- Tue, Nov 16
- 02:45 量子力学的世界観とインタラクションデザイン:
- 大澤真幸さんの『量子の社会哲学』読了。非常におもしろかった。いま博士課程で僕の研究室で勉強している学生はユビキタスコンピューティング時代のインタラクションデザインは不可逆の時間の中に存在しているというところから勉強する。
- 02:47 また実際にベイズネットをモデル化してプログラムするので、確率過程の中に物事が存在して不可逆な時間を流れていく仕組みとしてインタラクションデザインを扱うことになる。ここが身体で分かることが胆になるのだが、沢山の事柄を知らなくてはいけなくてちょっとハードルが高い。
- 02:50 なぜ不可逆の時間が必要かに関しては、http://xtel.sfc.keio.ac.jp/theory/dourish/で詳しく展開しているので興味のある方はどうぞ。
- 02:51 さて、大澤さんの本を細かく解説しながら何回かに分けて量子力学的世界観とインタラクションデザインについて考えていきたい。博士課程のSさん、U君、Kさん、もうひとりのKさんに向けての特別講義である。それでは始めるとするか。まずは第1部科学革命以前から。
- 02:54 科学哲学という分野がある。僕は大学院の初期のころに高橋潤二郎先生の授業で大分たたき込まれた。また慶應は沢田允茂先生という科学哲学の先生がいて、アリストテレスなど大分教えてくれた。非常勤講師で村上陽一郎氏がクーンの科学革命について講義をした。つまりニュートンなどである。
- 02:58 さて、科学革命以前に我々は世界を神はすべてを知っているという全知の存在としていた。ソクラテスは知っているつもりだが知らないということを主張したが、神が全知であることが科学革命以前の世界観だった。
- 02:59 これはアリストテレスが重力を説明したときに、例えば、リンゴが地面に近づくとスピードが速くなるのはその場所が本来の場所だから嬉しくて動きが速くなる、と説明したこととつながる。この話を澤田さんか村上さんから聞いたときはびっくりした。目的論というのだがこんな説明があるのだと思った。
- 03:02 そうした知の形が16世紀のガリレオ、17世紀のニュートンで大きく変わる。17世紀のこの変換を歴史家バターフィールドは「科学革命」と初めて呼んだそうだ。アリストテレスの目的論においては実体(たとえばリンゴ)は自分が向かう方法を知っている。だが、ニュートンの物理学においては違う。
- 03:06 それはリンゴがおちる仕組みはリンゴとは関係なく存在している、ということである。これが万有引力である。ガリレオは異端とされたが、この考え方にも実は神は潜んでいる。それが万有引力の説明だ。万有引力とは物体の間にはその距離の事情に反比例する引力が存在するとするものだ。
- 03:09 こうした考え方をパラダイムという。遠く離れたもの同士が影響を及ぼす。この考え方はコンビニの店舗を何処に配置するか、遊園地の遊びの装置の配置、オートショーのブースの配置、さらにはネットワークの仕組みの設計にも使われる。メトカルフェの法則がそれだ。
- 03:11 Wikipediaをみると、「通信網の価値は利用者数の二乗に比例する。また、通信網の価格は利用者数に比例する。」とこの法則の説明がある。だが、この万有引力は何故存在しているのか。リンゴは重力の法則を知らなくても、神が引力の存在を保証している。
- 03:13 アリストテレスの時はリンゴの中に知があった。科学革命はこの知の場所をリンゴに対して超越的な場所に置いた。自然法則を発見するには超越的な神の存在が必要になるのだ。これを大澤さんは「宇宙という書物を書いた全知の主体の存在が、前提にされている」と書いて第2章を締めくくる。
- 03:17 さて、科学哲学の初歩をお勉強していた頃は19歳くらいだが、そのころ林達夫著作集がでてパノフスキーのイコノロジーが紹介された。そのあと英文で読んだりしていた。翻訳『イコノロジー研究』が出たのはいつだったろうか。
- 03:19 そのなかで衝撃だったのはエスノグラフィーとエスノロジーにイコノグラフィーとイコノロジーを比較させていたところだった。観察して記録するのが「グラフィー」。それを分析して抽象的な仕組みを探し出すのが「ロジー」だ。ばりばりのエスノグラファーである現在とは違って当時論理は偉く見えた。
- 03:22 パノフスキーはルネッサンスの時に画家達が中心遠近法を発見したという。絵が絵の外に一点の消失点をもっていることを前提に描かれる。これをルネサンスの発明としたわけである。立体的な感じを2次元の絵画で表現する遠近法は古代ギリシャにも存在した。手で掴むことが出来ることだけが現実とされた。
- 03:24 したがってギリシャ古代の遠近法は手を伸ばす線にしたがって描かれている。この技法とルネッサンスの技法の大きな違いはパノフスキーによると、物体と非物体の対立を超えて両者を横断している空間一般という概念だという。(30頁。以下『量子の社会哲学』よりの引用は書名省略)これは面白い。
- 03:28 つまり古代に手で触れる物体を描いていたときには物体と物体との間にある空虚を描けていなかったとするのだ。アリストテレスも同じであった。有名な4つの資源的な物質、土、水、火、空気に暖かい冷たい乾いているしめっているなどの特性が与えられそれに相応しい行動をする。
- 03:31 空間はものが目的とする行動をする場所である。我々の身体に内在する宇宙と物体の存在する空間は同じものなのだ。これに対して空虚な空間は座標空間である。つまり方向や原点の位置を任意に設定できる。上下前後といった方向性は備わっていないのだ。古代哲学はこの問題を考えたのだろうか。
- 03:34 物体と非物体を等しいとする抽象的な空間がないということは、逆に「あらぬものはありえない」というギリシャ哲学者パルメニデスの説が成立することになると大澤氏は述べる。つまりこう考えないとゼノンのパラドックスが成立してしまうのだ。
- 03:37 科学革命は天文学はアリストテレス=プトレマイオスの体系からコペルニクス・ケプラーの関係へ、生理学はガレノスの体系からハーヴィの体系へ、運動学はアリストテレスからニュートンの体系へと変化させた。だが物質観にかんしては古代ギリシャの考えを受け継いでいるという。
- 03:42 デモクリトスの原子論は物質はこれ以上分割できない内部構造を持たない単位としての原子からなる、とするものだ。原子と原子の間の空虚は残る。だがその空虚を描かなかった。ルネサンスの線遠近法ではなくて、自分の身体から線を延長するときの角度に注目する遠近法を使っていたのだ。
- 03:43 原子と原子の間の空間が空虚であることをみとめないためには真空を認めないというアリストテレスの考えが必要になるのだ。奥行きがある古代絵画は立体的な描写を行っているルネッサンス絵画とは異なる技法によっている、と大澤氏は述べる。(35P)
- 03:47 さて、アリストテレスは上下の運動を目的因で説明しているという話を最初に行った。リンゴが落ちていく。それはその場所がリンゴに相応しいからだ。だがアリストテレスの話はものが上にあがっていく運動も説明する。それが天上界の円運動の法則である。
- 03:49 高校生の時の物理の授業で、データを与えられて月だったか火星だったかの軌跡を描くという授業があった。描かせた後東大の地球物理学を卒業して赤いポルシェかなんかにのっていた教師(40年前だよ)がどんな形でしたか?と聞いた。僕を含めて愚鈍な高校生は「円」ですと答えた。
- 03:51 少数のきちんと軌跡を描いた生徒は「楕円です」と答えた。もちろん楕円が正しいが、大体丸ければ円でいいじゃないかと僕は思った。もちろん大違いなのだが。アリストテレスは天上界における運動は円になると考えた。地上界は垂直運動である。
- 03:54 円運動の天文学を完成させたのはアリストテレスの約500年ごに活躍したプトレマイオスである。かれは惑星の動きが円運動でない観察結果に対して、複数の円運動の組み合わせというepicyle 周天円という工夫をした。この考え方によると局所に注目するのと地上界の上下の動きになる。
- 03:57 一方、視野が拡大されると宇宙となる。これが天上界だ。ここまで円にこだわる。それは「<無限>が排除されているから」と大澤氏は述べる。(38p)面白いねえ。無限を排除することで円運動になる。カントールの無限集合の考えとも勿論つながる。無限と言うことは完遂不可能性があるのだ。
- 03:59 科学革命は無限という概念をどのように取り入れていくかにかかっている。以降第2部最初の科学革命のテーマだ。機会をみてじっくりと解説してみよう。インタラクションデザインは現象学をこえてあたらしい方法論を獲得する直前である。そのために不可欠な量子力学的世界を理解するまで旅は暫く続く。
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2010年11月17日水曜日
量子力学的世界観とインタラクションデザイン その1:
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