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2011年5月28日土曜日

新クラフト運動: ポストプロダクトデザインに向けて

  • Fri, May 27
  • 08:12  おはようございます。今日は午前中から原稿執筆。近代デザイン史をパーソナルファブリケーションとユビキタスコンピューティングから再考するという何年かおこなっている授業の一こまを再現。近代デザインが閉じ込められていた鉄の檻がはずれたんだよね。ポストプロダクト論あるいは新クラフト論。

  • 08:15  この物語の主人公はレイモンド・ローウィエトレ・ソットサス。近代デザインの形を作った人と壊した人。ソットサス以降は近代デザインは成立しない。その次を考えているのがデザイン思考の流れ。まだまだ不十分にしか展開できていない。ここに反省がないのがデザインプロフェッショナルの世界。


  • 08:17  いまあるものにスタイルをあたえて売ることを考えるとデザインプロフェッショナルの仕事はそこそこある気がする。だが例えば広告の最先端で仕事をしていると、次がないことが解る。一方で社会はなにかを待っている。デザイナーやクリエーターはここに踏み出す勇気が必要。

  • 08:21  ちょっと前にワイデン・ケネディのジョン・ジェイと話したときに、この話が出た。ポートランドでは若い連中にものをつくらせる工房を作ったと。ビジネスの上流でゼロから1をつくる作業をしないと、今後の会社の展開は難しい。デザインのプロフェッショナルがこの作業に介入することが必要。

  • 08:23  そんなことを近代デザインの歴史のなかで説明するのがいま書いている原稿の大枠。では暫く作業に入るかな。今日は午後遅く、メディアファニチャープロジェクトミーティング。そのあと博士論文工房。今日はliterature reviewについて。夜中は六本木でジャズのセッションに参加。

  • 12:08  第二章だいたい草稿が出来る。昼食後修正をして編集者に送ろう。僕たちの日常生活を見回してみるとプロダクトつまり工業製品である必要がないものが多い。コストを下げるためにプロダクトになったものをクラフトに戻してコストが爆発しない、これはウィリアム・モリスも破れた難問。

  • 12:11  付け加えると、プロダクトでなくてはいけないものもある。コストだけではなくて精度とか安全を考えると工業製品でなくてはいけないものも多い。また多くの部品もそうだ。超高性能工場が必要。このあたりの再考が21世紀産業の鍵だ。

  • 15:00  第2章再度手を入れて編集者に送付。週末は6章7章で最近のデザイン思考のワークショップについて詳細にまとめる予定。デザインを20世紀経済システムから引きはがす補助線が「デザイン思考」なので、デザインのあたらしい「着地点」についてもそろそろ考えないと。

  • 15:01  原稿執筆に飽きてきたら(答えが見えたからもう飽きてる?)The Universe of Design Horst Rittel's Theories of Design and Plannningでも読みながら執筆を続けよう。

  • 15:04  そうそう中断してしまったイタリアモダンデザイン史の作業も再開したいな。北欧、イギリスオランダドイツとイタリアデザインは実はとっても深く関係している。モーツアルトとイタリアオペラとかそんな絡み方なんだけど、そこを上手く説明してこれからのデザインに生かしたいと思っている。

  • 15:13  そうした視点がかたまってくると、室町から江戸への日本のデザインを見る目も変わる。まあこれは『日本のルネッサンス人 』花田 清輝が述べてる世界だけどね。さて今日の原稿書きはこれでお終い。4時30分からKMDでプロジェクトミーティングと博士論文工房。
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2011年5月25日水曜日

音と権力と行動経済学

  • Mon, May 23

  • 14:43  古川さんが紹介していた『サウンド・ビジネス』を入手。音は中世の時代からその強烈な力が知られていた。グーテンベルク以降活字視覚文化が表に出て、音の価値は知る人ぞ知るであった。センサー・アクチュエーターとしてマイクとスピーカーのイノベーションがあるだろう。この分野は急速展開する。

  • 14:52  前述の本はビジネスだが、伊東 乾『サウンド・コントロール 「声」の支配を断ち切って』は政治支配と音の問題を論じている。昔ソプラノ歌手の佐藤しのぶさんが、カトリック教会と音楽による支配の問題を雑談風に話しているのをきいて、なるほどとおもった。視覚だけではなく音も幻想を生み出す。

  • 14:54  行動経済学の登場以来、人間の行動を無意識に決定する様々な知覚が注目されている。コントロールされて怖い、という一面もあるが、それを踏まえた上で生きていくことも必要になる。魔術と理性が隣り合わせになっているのが現実世界だから。フルッサーの『テクノコード』はここを乗り越える思想だ。

  • 16:27  マクロ経済においてもアカロフとシラーが『アニマルスピリット』でしめしたように、合理的に行動しない人が登場してしかるべきだった。研究室としてはまだ本丸に到達していないのだが、『ダニエル・カーネマン 心理と経済学をかたる』あたりで慣らし運転をしてから突っ込むかな。

Donal A Schonのプロフェッショナル論

  • Fri, May 20

  • 09:03  今日事務作業をおえてから読もうと思って積んで置いた本についてが出た。Donald A Schonの一連の著作に注目しています。いま手に取ってしまったのはThe Reflective Practitioner: How Professinals Think in Action.

  • 09:04  他に三冊。そしてその背後にはJohn DeweyHow We Think. 認知デザインに向かっていく地ならしです。これでお終い。はやく事務作業にもどって公証役場に行かないと。

Tue, May 24

  • 14:51  Cognitive ecologiesが歴史にも登場しているのですね。購入しました。@tricycler A cognitive cultural history of religion ですよ。これはとりあえず買ってみないとなあ。 http://bit.ly/jkU8Mx
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2011年5月24日火曜日

2011年9月生修士論文執筆準備

  • Mon, May 23

  • 14:18  9月生のための修士論文執筆講座終了。エイドリアンと英語で説明。ビデオとスライドはKMDの学生には公開されます。日本語でも同じなので参考に。論理的な文章を書くとは身体的な問題なので方法を知っても何ヶ月か書くことを続けないと学べない。来年卒業予定の3期生もそろそろ準備を始めましょう。

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2011年5月23日月曜日

iPad2音楽三昧

  • Sun, May 22

  • 13:04  昨日からiPad2に音楽関連のアプリを入れている。Garage bandiRealBとまだ決めてないがPiaScoreのようなPDF楽譜めくりソフトがあれば大体十分だな。Tuner、metoronome、音程やリズムを変換するmimiCopyをそろえてみた。

  • 13:06  Apogee duetとMacProとGaragebandの組み合わせでも大分コンパクトになったと感激していたのだが、iPad2でさらにコンパクトに。Apogee Duetの新しいものがUSBで発売されるので、うまくiPad2につなげることが出来ればさらにコンパクトに。
  • 13:09  このくらいになるとマイクスタンドにアクセサリーでiPadをつければ練習に必要なものはほとんどそろう。20年以上、録音機材そのほかの量と結線とに困っていたが、それから自由になる。あと大量の楽譜があるが、まあこれのPDF化は急がないことにしよう。

  • 13:14  あまってきた機材の活用としてはAllen&Heathの24チャンネルの卓があるので、これにMacBookProをUSBでつないで、DTMにして、一方で、SONYのPCMーD1をつなげて卓からミキシングして録音できるようにしてみるかな。いずれにしてもほとんど使わない気がする。

  • 13:17  自分で練習用の録音を作る手間がiRealBだとほぼ必要がない。キーもスピードもバランスも変えることができる。またそれをMacBook AirのなかでSoundflowerというソフトをつかうと「録音」して別ファイルにすることが出来る。これも便利。

  • 13:24  結局ここまで練習環境が簡便になると、いざというときには本当のスタジオが欲しくなるね。畏友岩崎哲也のスタジオ訪問せねば。http://blogs.yahoo.co.jp/tetsu52iwa
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2011年5月21日土曜日

2011年5月20日博士工房

  • Fri, May 20

  • 08:46  さて、今日は朝一番でまた公証役場にいって書類作成。残りの時間で原稿執筆。大分できてきたが、そうなるとまた手直しをしたくなる。午後はすこし研究を進めて大学へ。メディアファニチャーのあと博士論文工房。今日は小林茂さんとシンガポールからの留学生Eugine。博士研究は継続が命。

  • 18:38  メディアファニチャーミーティング終了。修士二年生の発表。中級から上級へと移行していて面白い。自分が夢中になることが出来るコンセプトをつくる。それからそれをデザイン思考をつかって社会的コンテキストをつける。創造性はどこにも転がっていない。自分で生み出すのだ。夏休みに一気にいこう。

  • 19:11  博士論文工房 小林茂さん発表中。おもしろいなあ。Design Thinking, Tinkering, Storytelling... インダストリアルデザインというカテゴリーがなくなるかもねえ。この先はちょっと秘密。

  • 19:40  次はシンガポールからKMDに留学しているUegene Ngの発表。Designing Culture.社会科学的なアプローチ。おもしろね。
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2011年5月14日土曜日

アカデミズムで勝負するには(@tanajun009のTweetsのRT)

  • Fri, May 13

  • アカデミズムで学べることは社会に大きなインパクトを与える。世捨て人のようになり大学から給料をもらって学会村だけで暮らすのはアカデミズムではない。このあたり何度も博士課程の学生に言っているのだが、同じような意見をのべているTweetsをみつけたのでRTしておきます。

  • 10:07  RT @tanajun009: 大半の大学人はいわゆる「研究プロジェクト」と呼ばれる仕事をこなしているだけだ。それが実現するには時間がかかる。大学行政のための会議と国際化という社交儀礼がたくさんあるんだ。パリでの講演、北京でのシンポジウム、本部での会議、学会の会合、研究す ...

  • 10:07  RT @tanajun009: 本にしろ博論にしろ、コアになる問題に集中しないかぎり、いつまでたっても書けない。そういう意味での脇目も振らない妄想力(?)勝負なので、「研究プロジェクト」界隈のてんやわんやにいつまでも巻き込まれていたら無理。どこかで遮断することも必要。

  • 10:08  RT @tanajun009: そうした創造性を評価できる審査会でありたいと願うけれど、量は質を凌駕する。グローバル・スタンダードなる基準を否定する立場はグローバルには通用しない。けれど、本来、やがてカノンとなるものは、カノンと見なされている対象の更新(無視ではない)によ ...

  • 10:08  RT @tanajun009: 妄想力=創造力は自分を信じること。若いのに他者評価に一喜一憂してどうするのかと思うね。

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2011年5月11日水曜日

デザイン思考におけるIdeation

  • Tue, May 10
  • 04:27  RT @kotobuki: IMHO, teaching 'how to make' is not so difficult in comparison to 'what to make'.

  • 05:40  先日日本の超有名なグローバルカンパニーの戦略担当の切れ者と話した。デザイナーやエンジニアがエコとかいろいろいうけれど、地球を救う前に会社を救ってくれ、と言いたい、いつまでも居心地の良い会社が続くわけない、と。戦略立ててると不安になるからね。日本のインハウスはDもEものんきだ。

  • 05:51  おはようございます。今日は10時45分からメディアデザイン基礎の授業。デザイン思考3回目Ideation。チームはそれぞれフィールドワークを行いしっかりとした民族誌を描き5モデル分析しただろうか。これを僕は経験の拡大と呼んでいる。こうしてたっぷりと引き出しをつくっておく。

  • 05:53  その引き出しからポストイットでアイデアをつくり、メディアを変えて紙粘土でアイデアをつくり、またメディアを変えてダンボールでアイデアをつくる。出来たアイデアをまとめてコンセプトのようなものを作ってみる。この繰り返しだ。誰が使うのか、どこが心を打つのかなど考えていく。

  • 05:55  だが今日の作業で結論はでない。アイデアを作り組み合わせていくことで自分が生活している世界に揺さぶりが入る。それで十分である。ヤングの『アイデアの作り方』にあるように、こうした作業のあとリラックスしたりべつのことをしたりしているときに突然ブレークスルーのアイデアがやってくる。

  • 05:57  つまりみんなでアイデアを作って盛り上がっているが、ブレークスルーアイデアは個人の頭のなかに突然生まれる。そのアイデアをコンセプトにして検証するという流れである。したがってグループでのIdeationは1時間30分で十分である。だが、このグループでの検討が大事。視野が広まる。

  • 05:59  なんともいえない創造の瞬間を経験するための準備と考えてもらえばいい。僕の師匠の一人である経済地理学者で現在慶應大学の名誉教授の高橋潤二郎先生に昔教わったことがある。一時間30分ほどブレーンストーミング(と当時は呼んだ)をしたら、急に「これでおしまい」といって部屋を出て行かれた。

  • 06:00  「奥出、めしでもくいにいこう」といって、三田の中国飯店にいったのだが、「どうしたのですか」と言ったら「ブレストなんてながくやってはだめだ。どうせろくなアイデアはでてないし。でもそれをするとブレークスルーアイデアが突然ひらめく。そうしたビッグアイデアでなくては使い物にならない」と。

  • 06:02  たっぷりとどんなアイデアでも良いからだしてみよう。1時間30分のIdeationを楽しんで欲しい。そしてモードをかえてリラックスしていると突然ビッグアイデアとコンセプトが浮かぶ。アルキメデスはお風呂場でそれが浮かんだ。そして言った。「ユリイカ!!

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2011年5月9日月曜日

研究現役復帰実践 その1 研究における第2外国語

  • Sun, May 08

  • 09:54  原典と解説本:先日の博士工房の回でハイデッガーの話をしたらたまたまウィーンで大学を卒業したデザイナーがいて、ハイデッガーをドイツ語で読んでなくて議論できるの?という話になった。この手の話はよく哲学者に言われる。答えはYesとNoだ。

  • 09:58  まずNoの方から。ドイツ語でハイデガーを読みこなしている家具デザイナーを知っている。彼は日本の高校を卒業してフライブルク大学に留学して、その後退学をして木こりになった。それからデザイナーに。とてもハイデガー的だな。

  • 10:00  またSFCで博士をとってドイツでイメージ学を研究している若手の研究者がいる。かなりの業績を近いうちに出すと思うが、かれはドイツ語が全く不自由しない。彼からドイツの研究の動向を教えてもらうことも多い。若いときにToolとしてドイツ語を身に付けていれば普通に読めばいい。

  • 10:02  だが、ドイツ語が出来なくてもハイデガーの問題はインタラクションデザインに関しては議論できる。この話は前にも書いた。ドレイファスのハイデガー論をウィノグラードがインタラクションデザインに利用した。いま僕たちがGUIをつかってマウスをつかってコンピュータを操作しているのはこの影響だ。

  • 10:04  なのでドイツ語が出来なくてもインタラクションや認知科学においてはハイデガーは議論できる。哲学を勉強していてハイデッガーを20年も読んでいれば何らかのことを言うことは出来るようになる。だがそうなったときに、インタラクションデザインを研究し実践している人が英訳のハイデガーを引用していたとして、「君は原典を読んでいないから解っていない』というのはナンセンスなのだ。

  • 10:06  哲学を使おうとしているのだから、ポイントはそこにあるべきなのだ。それを指摘してもしょうがない。メディアをコンピュータでプログラミングして作っていこうというわけだから。なので出発点はドレイファスのハイデッガー解釈本となる。この本をしっかり読めばいいのだ。これがNoの答え。

  • 10:10  だがYESの答えもある。原典からしかるべき解釈がなされていない場合である。コンピュータが巨大なメインフレームだったときにはそれを作る原理はデカルト主義であった。初期のコンピュータはそうでもないがメインフレームが普及すると合理的な推論の塊が知識を意味しており、その集積が知能だった。

  • 10:12  ミニコンが普及して研究組織に一台コンピュータとなり、複数のターミナルで繋がるようになると、この形でのコンピュータデザインに疑問が出てきた。これがハイデガーの考えを拡張して人間の道具としてのコンピュータを生み出す動きとなった。

  • 10:14  これはハイデガー現象学を様々な分野に応用する動きの一つであり、1989年Applied Heidegger Conferenceが行われた。この会議での報告を見ると世界と道具と人間との関係に注目することがいままであまりなされていなかったことが解る。

  • 10:16  いわゆるパソコンの普及がここ20年の大きな出来事である。ソフトウェア設計にデザインを持ち込むという動きはハイデッガーの考えを基本にしているし、IDEOが定式化したデザイン思考も超越論的還元形相的還元の繰り返しであり、フッサールからハイデッガーの流れを受けたものである。

  • 10:18  モバイルデバイスとユビキタスコンピューティングの普及は21世紀となたいまから始まる。そのときにコンピュータは「道具」なのか?という問題がいま注目されている。お気に入りのスマートフォンをなくしたときに心が痛まない?機械をみているといとおしかったりかわいかったりしない?

  • 10:20  機器が小さくなり持ち歩きできるようになり、その機器がいつもインターネットにつながり、さらに自分を取り巻く環境がそれに反応するとき、僕たちは別の世界を経験している。これはハイデガーの考えている「道具」と人間の関係とは異なる。

  • 10:21  ここにデジタル環境をプログラミングしてデザインする人の興味が現在集まっている。インタラクションデザインのプログラミングを行っていない限りこの話は関係ない。デザインは形の話に留まるからだ。だが、インタラクションデザインを行いながらも、「道具」とする。このためにドレイファスのハイデッガー論が必要だった。ラップトップやマウスのインタラクションデザインがあってコンピュータは金槌のような道具になったのだ。

  • 10:23  ではこの先はどうなるのか。10年ちょっと前にドーリッシュが問いかけたことだ。コンピュータ画面と人間という狭い世界ではなくて、社会性をもった日常世界にまでハイデッガーの「道具」の間隔を広げたらどうだろうか?これがユビキタスコンピューティングのデザインを巡るここ10年の議論だ。

  • 10:28  KMDの館先生、稲見君が主導する研究や稲蔭さんをリーダーとして僕も参加したCRESTが支援してくれた活動も日常世界に現象学的道具感覚を持ち込む実験である。だが一度日常世界に「道具」を持ち込むと別の世界が見えてくる。この世界に向かわないで、日常世界で「道具」を作り続けてはいけない。

  • 10:31  日常世界に道具を持ち込むと、道具と人間と環境の関係が見えてくる。これはハイデガーでは十分展開されていないところだ。道具と人間を同じと考えてこのインタラクションが環境をつくるとする流れがある。こちらは新しい都市論につながる。環境と道具から人間をみる考えがある。

  • 10:32  人間と道具が「共生」をして環境に中に住み着くという考え方だ。こちらは身体論になる。新しい都市論と新しい身体論をユビキタスコンピューティング環境で考えていこうという流れがある。この両方がいま僕の研究のメインテーマだ。さて原典で読むかどうかの話であった。

  • 10:34  40年前にコンピュータのインタラクションの問題と現象学のつながりを理解していたら、僕はドイツ語を勉強していただろう。SFCで博士をとった若手研究者は20年前にドイツ語をSFCで集中的に勉強して留学もした。その一方でインタラクションデザインも学んだ。そのシナジーがある。

  • 10:37  だが、都市論と身体論が新しい局面で問題になっているときにハイデガーをドイツ語で読んでいる暇はない。ドレイファスの研究を継承していく。だが、ドレイファスがやり残したところがある。それがメルロー・ポンティの身体論だ。ここを解釈してデジタル設計論として説明している研究は今のところない。

  • 10:39  そのような視点から、ポンティの著作を読んでみると、翻訳だとやはりよく分からない。それは翻訳が悪いのではなくて、デジタル環境をデザインしようという視点からの解釈ではないからだ。結局の所、先人の解釈がなければ自分で解釈するしかない。そうなると原典が必要。

  • 10:41  まあそうはいってもフランス語の原典を読む手助けに英語と日本語を使うってのが実情だが。これはラテン語ギリシャ語でも同じだろう。むかし慶應の古典語の先生の藤井さんが「奥出君、社会的なこととかに興味があるのなら英語で読んで十分だよ。文学をするなら別だけどね」と言ったことを思い出す。

  • 10:42  僕はさすがにギリシャ語やラテン語あるいはサンスクリット語にもどって学問することはない。そんな時がくるかもしれない。いずれにしても重要な著作を原典でよむ必要が出来たときに読めばいい。いつか役に立つとおもってギリシャ語・ラテン語・ドイツ語・フランス語を勉強していても意味はない。

  • 10:45  ところでここまでの話は僕を含めた凡人の場合である。ときどき多言語を苦もなく操れる人がいる。この人達は別格である。コンサートピアニストとかそういった才能と同じで、生まれ落ちて直ぐ出来る。その能力をもっているひとが努力をする。この世界に生まれてない限りはこの天才を讃えるだけでいい。

  • 10:47  というわけで、自分が当事者でない限り原典主義の問題を原則論として論じない。当事者であり本当に不可欠であれば原典の問題を直視して勇気をだして突っ込む。研究を始めるとどうしても無い物ねだりになるが、できることからつぶしていくのだ。なに?英語が出来ないって?僕の初級英語講座をどうぞ。
補遺
  • 22:04  有り難う。勉強させてもらいます。@mmmmm_mmmmm @NaohitoOkude いつもツイートで勉強させてもらっています.メルロ・ポンティの身体論をデジタルメディア(主にメディアアートの領域ですが)にアップデートしている人に,マーク・ハンセンという人がいます.ご参考まで
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2011年5月8日日曜日

11PMとジャズの時代

  • Sat, May 07

  • 14:24  昨晩は六本木All of Meのミッドナイト・セッション。 池貝政俊(d) 関根敏行(p) 山口和与(b)という凄腕のミュージシャン。Just Friendを全回し(それぞれミュージシャンがアドリブを1コーラスして)ドラムのソロの後歌に戻る。ぴしっと決まって快感。

  • 14:30  その昔、11PMという番組があって、司会をしていたのが大橋巨泉さん。音楽はザ・サラブレッズ。バンマスはテナーサックスの杉原淳さん。ベースは根市タカオさん。慶応大学の先輩。ドラムが池貝政俊さん。ピアノは僕の師匠の澤田靖司だったことが少しあって、そのあとは何度か変わっている。

  • 14:35  杉原淳さんにもすこしテナーサックスを習っていた関係でこの歴々に伴奏してもらうことがある。KMDにきて忙しくなってライブをしていないが、一昨年の夏、ライブで根市さんと池貝さんに入っていただいた。くろすとしゆき氏がプロデュースしていたVANが男の子の服のセンスを向上させていた時代。

  • 14:41  僕の時代は世代的にはポパイ・ブルータス・ハッピーエンドだけど。中学生のころから少し上の時代を背伸びして覗いていた。ジャズにはまったのもこの頃。高校に入ったら縦笛で渡辺貞夫のパストラルをふいて、ビルエバンスの和音でピアノを弾く奴にあって直ぐ友達に。ソニースティットを知って感動。

  • 14:45  テナーはその後、ベン・ウェブスターベニー・ゴルソンと聞き込んできた。当時習っていたのは山口真文さん。いまでは慶應が誇る大ジャズサックス奏者。当時は恵比寿のヤマハ音楽教室で教えていた。ヤマハに就職して、でもやめてサックス奏者になった頃かな。40年くらいまえの話だから。

  • 14:48  大学院にはいる前だろうか、銀座のJunkという恐ろしく素晴らしいジャズクラブに行き始めた。ダンスフロアが真ん中にあった。隅っこでこそっと飲んでいたら「奥出!!」と声がする。見たら法学部の十時先生。ジャズ好きで知られていた。彼の「メンバーにしてやれ」との口利きでJunkの会員に。

  • 14:51  Junkは今はないがいろいろなミュージシャンを聞くことが出来た。テディ・ウィルソンが来日したときに、ここでもライブをして、えらく感動したのを覚えている。気楽な感じなときは六本木のBody and Soul。いまは南青山にうつって立派なお店になっている。ママがおなじというのが驚き。

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2011年5月7日土曜日

Emacsへの帰還 その1

  • Wed, May 04

  • 08:39  Emacsへの帰還 その1 少し前にEmacsへの帰還を書いたが、その続きを。 http://okude.blogspot.com/2011/04/tue-apr-19.html l

  • 08:41  Emacs23を入れた。http://sakito.jp/emacs/emacs23.htmに詳しい方法がでていたのでそれを参考にした。快調。バイナリー版をダウンロードすれば直ぐに使える。さて、Emacsの使い方の特徴はメタキーにある。コントロールキーとメタキーを使いこなす。

  • 08:44  Macのキーボードだと、Cotrolが文字通りコントロールキー。これを押しながら文字コードを入れると操作ができる。もうひとつがメタキーである。メタというのがわかりにくいね。Mと表記する。MacだとOptionのキーに相当する。この二つのキーとアルファベットのキーを組み合わせる。

  • 08:51  そして大切なことはメタキーとアルファベットを組み合わせた入力はミニバッファーという画面の下にあるところに現れる。ここからEmacsを操作するわけである。20年前に始めてEmacsと出会ったときもすでにSONYのNEWSのワークステーションでビットマップディスプレイ表示だった。

  • 08:55  文字も魅力的だったが、今回のEmacs23はいろいろと改善されていてかなりいい。これからEmacsの練習を始めたい。C-x C-fとうつと、ミニバッファーにファイルを探しますかと聞いてくる(Find file: ~/)のでファイル名を書くと新しいファイルを作ってくれる。

  • 08:56  すると画面がでてくるので、そこに入力すればいい。仮名漢字変換はいまのところATOKである。これで不自由していないがEmacsの世界ではSKKが一般的なので、後ほど組み込んでみたい。

  • 08:58  さて、現状で画面のフォントが小さい。メニューバーからOptionsをクリックしてSet Fefalut Fontをえらぶ。Emacs23の画面はなかなか美しい。アンチエイアスがきいているからである。フォントとしてひらぎの明朝を選んだ。快調である。

  • 08:59  フォントはいろいろと検討できるようなので、いずれじっくり決定したい。 これで書く方の作業は問題なさそうである。次は印刷。LaTexとの連携をどのように行えばいいか。次はこのあたりを。とりあえずEmacs23をいれて、自分好みのフォントの種類と大きさを選び、文章を入れてみよう。

  • 09:06  EmacsはLispで書かれていてこれを開発した人たちはまあコンピュータ至上のエリート主義者達である。考え方もそれをリテラシーとして普及させようという態度も非常に鼻持ちならないものがある。またLaTexを開発したクヌース博士も書き方は丁寧だがやはり18世紀啓蒙主義の視線がある。

  • 09:09  実際多くのEmacs関連の本をみてもそうしたコンピュータサイエンスの傲慢さがにじみ出ている。そうした文化はいま僕たちがコンピュータをメディアとしていろいろとつかっている状況とはかけ離れている。いま僕がEmacsについて書いているのコンピュータ至上主義にもどるためではない。

  • 09:10  きちんとした長い文章を一般的なワードプロセッサーで書くことが出来ないからだ。できないというと語弊がある。大変だからである。テキストエディターをつかえばいいだろう、という話であるが、短い文章ならそれでいい。しかし複雑で長い文章を書くのはかなり大変。

  • 09:13  そうした文章を作成するときにLaTexをつかうと非常にうまくいく。エディターとLaTexの連携が効果的なのである。いくつかのエディターを試してみたが、どれももう一息。Emacsは23になって大分変わってきた。とりあえずEmacsをつかって暫く作業をしてみようというのが今回の挑戦。

  • 09:15  Emacsが嫌いな人も聞いたことがない人も一度つかってみると言い。ATOKもそのままつかえるし、ひらぎのフォントも使える。普通のエディターとして結構良い感じだ。次にLaTexとの連携を説明するが、まあお気に入りのエディター候補の一つとして試してもらいたい。

  • 09:17  最後に一般的な用途を考えているわけではなくて、修士論文や博士論文を書く人を想定しているので、なにがなんでもEmacsというわけではない。タッチタイプの練習をして、エディターに馴染む。それだけのことなので興味のある人はためしてみたらどうだろうか。使うのはEmacs23である。

  • 10:14  ところで、プログラミングをEmacsでといっているわけではない。いろいろとプログラミング環境はあるし、それぞれ魅力的だ。LaTex用のエディター候補としてEmacsはどうかと述べている。もっとよいエディターがあればそれを使う。

博士工房 Fri, May 06


  • 11:33  今日は2時からデザイン思考についてのインタビュー。文部科学省科学技術政策研究所科学技術動向研究センターで活動をしている複数の会社の人たちから。4時30分からメディアファニチャー、6時30分から博士論文工房。新しいメンバー数名が加わって指導している博士が12名。他数名。

  • 11:35  各自発表をしていくわけだが、質問することも練習の一つ。他人の話をしっかりと聞く。基本はCritical Readingと同じ。理解するという態度が大事。5WIHの質問を発表を聞きながら自分の心に問い続ける。そしてどうしても解らないところだけを聞く。この態度がないと学問は出来ない。

  • 11:38  論文も本も書いてあるとおりに読む。自分の都合のいいところや論争を吹きかけたいところを選んで読んではいけない。この基本があってこその研究なのだ。また未熟な発表も何を言おうとしているのかを理解する努力をする。そして相手の言っていることを理解するために不足の情報を相手に質問する。

  • 11:40  当然発表する方はこうした情報をすべてそろえておく必要があるが、自分で大丈夫と思っても他人には伝わらないのが普通だ。なので発表と質問を繰り返して研究を深めていく。決してディベートをしてはいけない。また論理的に話す必要があるが、それはアリストテレスのような古典的な論理学で構わない。

  • 11:42  論理的とは近代的であり科学的であるというところから論理学者が文章論や思考法を説明している本があるが、一般的にはすすめられない。そんなに厳密な話ではないのだ。常識的な範囲で論理的に話を進める。それを論理的に聞く。まずはこれが第一歩だ。ここが出来るようになってから次の段階に進む。

  • 11:44  3割から4割が留学生なので英語と日本語でチャンポンして工房をおこなっているが、やっていることは同じで、学生の出来なさ加減も同じだ。これは方法なので出来るようになると突然出来る。出来ないとまるで駄目。自転車に乗るようなものだ。出来るようになったときがプロポーザルを出すときである。

  • 11:46  あと博士論文指導にもいくつかの方法があるが、僕のやり方はプログラム型。学生の興味に会わせて複数の領域を組み合わせる。論文提出資格としてはGeneral Examという方法をとるのが普通だ。異分野の知識が論文執筆に必要なだけあるかを試す。学問が深まった今はこの方法が一般的だ。

  • 11:48  もう一つは特定の分野の知識を試して合格したら論文提出資格資格をもつもの。Comprehension という試験をする。KMDでは多様な分野で多様な方法で博士号を出すので、プロポーザル試験を課している。指導方法は教員で異なっていてもよいとしている。プロポーザルを複数の教員で審査。

  • 11:51  まあ普通にプロポーザルが書けていれば論文執筆は可能だ。ここがいい加減だと常識的には論文は完成しない。ここをすり抜ける方法が査読論文何本という条件だ。査読論文が3本通っているのに博士論文を認めないのですか、と言われるとつい出してしまう。これでは本当の研究者は育たない。
  • 11:53  なのでKMDでは査読論文がなくても博士論文を認める。これを「簡単に博士号が取れる」と思ってもらっては困る。形式ではなくて内容で博士を出すというわけだから、実は大変。その第一関門がプロポーザル試験というわけである。

  • 11:55  博士論文提出にはあとToolsと呼ばれる試験がある。外国語や数学、コンピュータなどの技法だ。これも各自必要な者は違っているので一律に試験は出来ないと思っている。複数領域の知識と技法能力の証明がプロポーザルの目的と言って良いだろう。というわけで今日の博士論文工房が楽しみである。

  • 18:46  Ph.D Workshop。今日は12名。発表者は英語。今日は英語で行う日だな。

  • 補遺
  • ちょっとまえのRTだがここに上げておく。

  • handainakano 設計の「ディテールは事務所での徒弟奉公なしには分からない」(建築とは何か-藤森照信の言葉)。研究のディテールも研究室での徒弟奉公なしには分からない。本質的なものはどこでも似たり寄ったりであるが、暗黙のディテールによって、ある種の「流儀」あるいは「流派」が受け継がれていくのである。
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