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2010年8月30日月曜日

KMDとはどのような大学院なのか

  • Sun, Aug 29 
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  • 13:15  KMD教員合宿開始。今日と明日。半年に1回の合宿。来年のカリキュラム改訂とリアルプロジェクトの強化がまずは課題。ここで真剣に議論してKMDでの教育と研究体制の改善を図る。今回は来年度に向けてイノベーションを目指す。結果は学生と出来るだけ早く共有していく。
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  • Thu, Sep 02

  • 14:41  KMD はどのような大学院なのかを教員合宿で議論しました。従来の大学院は二つのタイプしかありません。講義をとって勉強するもの。Master by Course。ビジネススクールなどがこれに相当。もう一つは研究主体。Master by Research。KMDはそのどちらでもない。
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  • 14:48  KMD は3年目であるが当初からリアルプロジェクト中心と唱っている。リアルプロジェクトでの修行をもって修士号を出そうというわけだ。Master by Real Projectというわけだ。過去2年ちょっとやってきて、学生の成長ぶりをみるとこの方法は効果的だと自負できる。
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  • 14:50  チー ムを組み、目的を探し決定して、自分で戦略を立てて、実践する。失敗すればもう一度戦略を立て直して挑戦する。3回も繰り返すとたくましくなってくる。僕 が関係しているプロジェクトではメディカルポケットは第1年度に何度企業の説得に言ったことか。そしてそのあとはフィールドワークで現場に。
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  • 14:52  現 場からある程度の成果が出てくると、今度はそれを社会制度に入れるための挑戦が始まる。メディカルでいればセキュリティだ。こうした活動をやる中で能力だ けではなく人格も育成される。あまり言いたくはないが、就職先もほれぼれする。まさにMaster by Real Projectだ。
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  • 14:53  ま た、アーバンメディアプロジェクトは最初は企業スポンサーがいて順調に始まった。だがそのうち彼らが考えている方向と企業の方向が必ずしも一致しなくなっ た。何度もプレゼンを失敗した。だがそのうちに非常にオリジナルな考え方に到達した。ある者は海外の学会でそれを発表して評価された。
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  • 14:54  ま た別のチームは丁寧に何度もプロトタイプを作り直して完成度を上げた。来週にでももう一度全く新しい企業にプレゼンを行う。自分の思考やデザインを自分の 責任で社会に開いていく。人々が生活をしている現場で歯を食いしばってプロトタイプを作っていく。それがリアルプロジェクトだ。
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  • 14:56  あ るいは新しく始まった音楽プロジェクト。修士のメンバーは音楽のプロ数名である。全員が電子工作を学びプロトタイプを作る技術を身に付けると共に、自分た ちの考えがビジネスになる方法を何度も検討した。博士課程の学生がシカゴ大学シンガポール校のMBAを持っており、彼をメンバーに作業をした。
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  • 14:58  そ して、ある会社に説明に行った。再来週にはその会社が所有するある街のショッピングビル全体をどのような音と音楽の環境にするかのデモを行う。ミッドタウ ンや六本木ヒルズの音環境のデザインと質の面でも魅力の面でも負けない仕組みをプレゼンすると頑張っている。この勢いがリアルプロジェクトだ。
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  • 15:00  KMD は修士論文が必修である。コースワークで修士号を出す大学院では論文は入らない。だがこの論文は狭い意味での「研究」あるいは「科学」論文である必要はな い。何か素晴らしいものを作ったのなら、それが何か、誰がどこでどのように使うのか、を説明し、何故これが必要なのかのメッセージを出す。
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  • 15:01  あるいは様々な活動に参加したとする。するとその活動の記録を分かりやすく書く。これはaction reserachと呼ばれるれっきとした方法論だ。そのような修士論文は大歓迎。また研究論文を書きたい学生も勿論挑戦してもらいたい。そのための仕組みも準備している。
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  • 15:05  研 究論文は自然科学的な方法で書いてもいい。エンジニアリング的な視点で書いても良い。社会科学的な方法で量的にあるいは質的に証明して論文を書いてもい。 さらには歴史学として資料を整備して書いても言い。人文科学的な作品批評でもOKだ。だが方法論の明示を最初にしてもらう。それに従って指導。
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  • 15:11  論 文指導はCritical Writingの原則に従って行う。話が面白いか、論理的か、誰でも納得できる事例があるか、物語になっているか、書き手の声が聞こえるかである。という わけで、KMDでの2年間はプロジェクトを立案しプロデュースしていくための基本的な能力をみっちりと身に付ける。
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2010年8月28日土曜日

デザインエンジニアになるための必読書4冊紹介

  • Aug 27, 2010

  • 12:51  おぬしできるな、というレベルになるためには「小説は活字による想像力をはぐくむが、映画になるとそれがなくなる」という俗説に反論できなくてはいけない。ダボスの若手リーダーもこの手の議論で納得する未熟者がいた。メディアの本質と歴史を知らないことが露呈している。
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  • 12:53  文 字が生まれる前のコミュニケーションのスタイル、文字登場、そして電子メディアによる衝撃。18世紀啓蒙主義と19世紀の監獄的文字中心主義エピステーメ の世界。活字マスメディアによる小説の登場。イメージマスメディアによる小説世界の「通俗化」。複製技術の登場による単品のアウラの欠如。
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  • 12:55  ま あ幾らでも議論は出来るが、文字の方が想像力があって、イメージにすると想像力がなくなる、というのは教養がない主張。一方、ベートーベンがあって、ク リックすると楽譜が出て、それをクリックすると音が出る、ってのは「漢字をかなでひらく」という作業。メディアが変わっても何も変わらない。
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  • 12:58  5 感をつかって想像力の中にひたる感受性が技術によってどのように変形させられたか。いま我々はなにをしなくてはいけないのか。フルッサーの『テクノコード の誕生』マクルーハン『グーテンベルグの銀河系』ゴンブリッジ『芸術と幻影』バーバラ・スタッフォード『アートフルサイエンス』を普通に読む。
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  • 13:00  こ のレベルの本を読んで心から感動して、初めてエンジニアは人の心を揺さぶり精神的な高みに連れて行く自らの作品を創造できる。ARエンジニアはこの崇高な 世界をこころして学ぶように。何年か前だが、Siggraphの会議で若い大学院生(多分)がゴンブリッジの本をもっていて、感心した。
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サービスデザインと新しい制度設計

  • Aug 28, 2010
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  • 11:19  サー ビスにおける「制度設計」が今後非常に大切になるね。まったくなっていない。オブジェクト指向でサービスフローを作らないからいけない。手続き的にフロー を組み立て、妙なグローバル変数を勝手に作ると細部が動かなくなる。シンガポールで公共料金の設定をちょっと変えて、全員が不満足。
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  • 11:21  病 院を含め多くの20世紀制度はコンピュータ言語で言うところの手続き型。グローバル変数の決め方が難しいし、まあきめ細かなことを考えるという態度が「グ ローバル」じゃないからどうにもならない。しかし、人間の行動を観察すると、抽象的でおおきく、合理的な仕組みを前提に行動をしていない。
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  • 11:22  と いって、行き当たりばったりに処理をおこなっているわけでもない。なので銀行や郵便局や鉄道を含める交通のシステムは人間のちょっとした工夫で成り立って きた。ところがその人間部分を外してそのままコンピュータシステムに移してもシステム側の作業は効率化されるが人間の部分が残される。
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  • 11:24  大 規模システムの問題はほとんどここだ。機械システムは設計図どおりには動かない。据え付けて、神業エンジニアが摺り合わせて動く。神業エンジニアの部分ま で設計が進出するか、人間を神様にしないレベルで導入して緩いシステムで統合させるか、ここが戦略。システムか人間かの選択ではない。
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  • 11:28  シ ステムが未熟で人間を神様にして統合してきたのが零戦であり戦艦大和だ。またそうして神業で作ったものを大事にして人間を重要視してこなかったのも日本 だ。飛行機の方がパイロットより大事。なので、優秀なパイロットを一気に失ったあとは、戦闘能力なし。人命軽視は坂井三郎氏の手記でも明らか。
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  • 11:29  こ れって、追いつけ追い越せの思想だよね。西洋の機械だけをみて性能で追い越そうとする。でもそこにある人間が見えない。技を重要視しない。実はアジア中の 指向形式だ。台湾も中国もシンガポールも同じ。「追いついた」と思ってもそこには人間や文化はない。で、アメリカはどう考えたか。
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  • 11:31  誰 でも簡単に作れる飛行機を考えた。部品をあつめて強力なエンジンを積んでとばす。粗雑な部品だから重い。その分エンジンを強力にする。PCの考え方と同じ だ。そして、それを操縦するパイロットの価値を維持する。つまり落とされてもパイロットを「回収」できるように、死なないようにした。
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  • 11:33  人 間と機械の組み合わせである。戦後の自動車も同じだ。だがオイルショックで強力なエンジンというパラメータが機能しなくなる。ガソリン代がかかり始めたの だ。でデトロイトは衰退に向かう。まあこの問題はこれとして、システムと人間の関係の考え方だ。さて、サービスに話を進めよう。
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  • 11:35  戦 争に負けたとき、エンジンが非力だったと考えた若手の参謀はエンジン研究に、レーダーが非力だったからと思ったものは通信産業に、コンピュータがなかった ためだとおもったものはコンピュータ産業で働くようになった。富士通の前会長の山本氏はその一人だ。彼は銀行のオンラインを実質上実行した。
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  • 11:37  銀 行のオンライン、そして病院レセプトシステムのオンライン、などは大規模システムを人間の日常的情報処理業務に投入した仕事で、大変な快挙である。だが、 それは大規模で矛盾のないシステムを構築するという非常に手間暇かかる作業であった。だが、このようなシステムの導入などで成功をする。
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  • 11:39  1980 年代になって、SUNなどワークステーションが登場する。やがてパソコンも登場する。当時の日本のコンピュータ技術からするとアメリカで登場してきたこの ようなシステムはおもちゃの様なものだ。だが、アメリカはいままで機械をうごかすスイッチの固まりに過ぎなかった仕組みを切り出した。
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  • 11:41  こ れを「ソフトウェア」と呼び、知財として固め、日本の「ソフトウェア」産業を知財を犯していると裁判で徹底してたたいた。日本もソフトウェアの優秀なエン ジニアを多く抱えていたが、彼らを十分遇していたわけでもなく、あっというまに外堀を埋められた。まあ第二の「敗戦」である。それから30年。
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  • 11:42  NEC がインテルに訴えられたときに弁護を僕のアメリカの友人が担当した。日本とアメリカを行き来しておこなったのだが、日本人のエンジニアは「僕が作った」と 法廷で言えない。「ええと、彼と彼と相談してみんなで作りました」って言うという。良い奴だなと僕は思うが、これでは勝てない。
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  • 11:44  ま あ法廷での答え方などを指導して裁判に備えた。当時アメリカの弁護士は日本で活動できなくて、アメリカはこれも日本をプッシュしていた。でこの準備はアメ リカ大使館内で行われた。(ねじれてるけどね)最終的にはNECが勝った。そりゃそうだ。インテルのまねなんかしてない。日本は進んでいた。
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  • 11:45  でも裁判に勝った頃には時代は16ビット。日本には優秀な「OS」がいっぱいあったが、これもまあMSとかのくずのようなOSに淘汰された。工場の制御や自動車の制御など大変なレベルになっていたのだけれど、それが「ソフトウェア」であるという意識がなかったからね。
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  • 11:47  ソ フトウェアを特許にという試みも敗れた。電電公社は解体を強烈に迫られた。研究所がなんたって「世界一」だったからね。当時交渉の矢面の課長補佐だった人 は「せめて光ファイバー敷設を終えてから民営化したかった」と述べた。さらにプラザ合意で追い打ちをかけられて日本の産業的優位は終了した。
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  • 11:49  ふりかえってみて、僕はこれも歴史の流れかと思う。所詮、追いかけて追いついて少しくらい抜いたって、まねはまね。本気を出されると一発でふっとぶ。それにそもそもアメリカの市場にものを売る話だから、勝ち負け以前の問題の気もする。アメリカは自動車などの産業を捨てた。
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  • 11:51  い まみてみるとMS,Apple, Googleなどなどアメリカの中心になる企業は30年前と全く違っている。日本は同じだ。同じ会社、たとえばGEなどはやっていることが大分昔とは違 う。ではこのまま行くのか。アメリカはそう思っていたかもしれない。アメリカ帝国なんて言葉もあった。
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  • 11:54  だ が、歴史の流れはねじれて動く。日本に対抗するためにつくりあげた「ソフトウェア」が独自に展開した。だれでもソフトウェアを作ることが出来る。それをつ かって簡単にビジネスができる。国家や大規模資本はいらない。世界は緩くなり、カジュアルな方法が普及した。工場すらカジュアルに作れる。
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  • 12:00  資 本主義は第3の段階に入った。アメリカの市場に物を売っていたのが第2の段階だ。そのまえは植民地に物を売っていた。勃興する新興市場にどのような物や サービスを売るのか。新しい交通システムさらには都市システム、医療システムが必要となっている。また、いま必要なシステムは実は先進国も必要。
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  • 12:02  よ うするに、時代は大きく変わっているのだ。ものを作る時代もおわり、大規模システムを売る時代も終わった。クラウドとWebアプリでサービスを構築する時 代だ。それを必要とする社会、それが生み出す社会システムなどは全く違う物になるはずだ。そしてそれがサービスデザインの本質になる。
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  • 12:05  医 療サービスにおけるセキュリティ問題は世界中を悩ませている。だが、それは病院という制度を我々の生活に拡大しようとしているからだ。病院が日常世界に拡 大することが21世紀の医療サービスのソリューションではない。日常の生活と医療を橋渡しする領域がある。こうしたところに次の産業を見たい。
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  • 12:26  リー マンショックで大きく流れは変わった。アジアにおける新しいサービスデザインの問題をどのように解決してみせるか。ここを新しい制度設計に文子目ながら行 えるか?そして、大規模システムではない、クラウドとWebサービスでこれを実装できるか?スマートフォンやi-Padを活用する話だ。
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  • 12:30  サー ビスの中身は、利便性を超えて、感動や喜びが含まれ、信頼、そして精神的な充足までだろう。人が生きて死ぬ。この社会をしっかりと維持する。あたらしい仕 組みを考えると、そんな手応えが感じられる。シンガポールで会った世界的な蛇毒の権威の医師と話していて思ったことである。ここに進むぞ。
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  • 12:32  補 遺:蛇毒が?とおもだろう。パキスタンで洪水が起きたとき、大量の死亡者が出るが、水害で死ぬより蛇やサソリにやられて死ぬ人の数の方が多いという。また シンガポールは大きな病院が二つ。それを軸に病院がネットワークされているが、高齢化をむかえてどのように仕組みを動かすか考慮中という。
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  • 14:57  ア ジア人はすり合わせが出来ないか?そうは思わない。繊細な織物や染色、焼き物の職人がいる地域だ。手の力、素材へのこだわりはある。多くのヨーロッパの ボーンチャイナの染色も現在のアジアで行われている。むしろ工賃が上がって困っているぐらいだ。その繊細さは20世紀産業には転写されなかった。
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  • 15:00  ア ジアの多くの部品工場では大ざっぱな組み立てが行われていた。だが、iPhone4の作りをみて多くの日本のエンジニアは驚いたはずだ。同じレベルだと。 つまり日本のものつくりは零戦と同じでシステムに結びついていない。繊細なものつくりがシステムと結びつくとき、21世紀の産業が始まる。
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  • 15:02  安 く作ることは繊細なものつくりと矛盾しない。贅肉をそぎ起こしたメカニズム、微少な部品が統合されていく、こうした仕組みは価格を下げる。したがって、繊 細で安価なものをつくりそれを通して精神的な経験を提供する分野が出てくるに違いない。そう考えると多くの医療機器は住宅にはいると暴力的だ。
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  •  補遺
  • Sat, Aug 28
  • 11:42  稲 見さんがTwitterで僕が言っている「神様」で誰?という質問。沢山いるのだが、思いつくまま。トヨタ:長谷川龍雄、シャープ:佐々木正、日産:桜井 眞一郎、ホンダ:中村良夫、ソニー:木原信敏、松下:水野博之、戦前の東芝:西堀栄三郎などなど。西堀氏を除いて、当時の「ぼろ会社」に就職。
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博士論文を書くということ

  • Fri, Aug 27
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  • 10:46  博士論文指導を根回しと考えてはいけない。KMDではプロポーザルを提出してから論文執筆に着手する。プロポーザルが博士論文提出資格であり、Ph.Dであればコンプリヘンション、あるいはジェネラルと呼ばれる試験に相当する。そこにむけて過不足なく研究と思考を重ねて、提出して審査となる。
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  • 10:47  僕が主査である学生も、副査となるであろう学生も、プロポーザルを出す準備は博士論文工房での発表を基本とする。ここで皆で議論する。プロポーザル提出後は博士論文の進捗もここで議論する。議論のあと、ワインパーティがあるのは、インフォーマルな議論を続ける為でもある。この場で学問を学ぶのだ。
  • 10:49  主査としての個別論文指導はこれとは別に行う。文体から論理、学問的な真摯さ、哲学的な深みなどはこの指導を通して覚えて欲しい。またこれはまじめに実行する学生がまだいないのだが、一般の書籍も同時に書く。博士論文を書きながら一般書を書く。これは僕がアメリカで指導されたことだ。
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  • 10:51  論文はどうしても先生や同僚を向いて書いてしまう。それとは別に普通の人に向けて書く。やさしく、あるいはおもしろく書くのではない。これは啓蒙という思い上がった考えだ。読者が違うのだ。書くことは同じ。僕で言えば『アメリカンホームの文化史』と『物書きがコンピュータに出会うとき』である。
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  • 10:53  瓜生君とJanがプロポーザルを書き上げた。これからプロポーザルの口頭試問の準備だ。ここを経て博士論文提出資格を得る。Ph.Dのシステムでは博士候補になったということになる。学者としてはこの段階から一人前に扱われるのだ。どんどん学会やデザインコンペに挑戦していって欲しい。
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2010年8月26日木曜日

21世紀以降の社会を切り開くためにアカデミズムがすべきこと

  • Wed, Aug 25
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  • 12:13  アカデミズムと知的人格の形成:昨日のCuteシンポジウムでアカデミズムの役割を考えさせられた。タイミングよく、今朝のInternational Herald Tribune紙で An academic exercise retooled:という記事が出た。ちょっと考えてみた。
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  • 12:15  Cuteが抱えている最大の問題はデモなどプロトタイプをつくってSiggraphなどにだした結果が大学側に評価されないところだ。いわゆるピアレビューがある「一流」の学会誌に採択されるとか特許を取るとかといった評価が必要。もちろん「超一流英語圏大学」のPh.Dも大事。
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  • 12:17  台湾やシンガポールの研究者にあってびっくりするのは経歴が華麗でハーバード大学やらなんやらでのPh.Dをとって、論文沢山、という理系のお利口さんオンパレードだ。で話をしてみるとアカデミズムが培うはずの教養がなくてびっくりする。でもこれは日本でも最近までは同じ感じだ。
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  • 12:20  SFCに参加して理系の先生と同僚になったわけだが、物理学や生物学を修めた先生は教養が感じられたが、工学部の先生はびっくりするくらい無教養。教養主義者はけっこういるんだけど、文系の偏屈の教授に鍛えられた僕からすると、えっ、こんなレベルで大学で教えて良いの?と思った。
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  • 12:26  企業の研究所からきた人はさらに無教養で、すかすか。高等教育を担うタイプではない。知識はgoogleやwikipediaがあれば集まる。(その意味ではその程度の知識を抱え込んでいる学会や大学は問題外だけど)。でも自分の力で考えて判断するには長年の訓練が必要なのだ。運動と同じ。
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  • 12:31  達人ができるやつを見抜くように(おぬし、出来るなって感じ)自分で考える力をもっている人間にはある種の佇まいがある。インターネット系の古株の技術者にはこの雰囲気がある人が多いけどね。この雰囲気があるかどうかが、アカデミズムの住人であるかどうかの本当の条件だ。
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  • 12:33  アメリカでマッカーサー基金というものがある。別名天才基金といわれていて、財団がかってに研究者を見つけて評価してお金を出す。ギリシャ哲学から映画監督から理系の研究までジャンルは問わない。学問はそんなものだ。やっかいのはこうした文化制度の運用なのだ。
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  • 12:36  21世紀の社会を引っ張っていくのは創造性と論理性だ。このことはある程度社会と歴史を俯瞰すればイヤでも分かってくる。20世紀後半の間違いは、創造性のある人と論理性のある人が共同で研究すれば道が開けるとおもったことだ。学際と言われる活動である。統合する原理はシステム理論だった。
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  • 12:40  とうぜん何も生まれない。アメリカでは文化人類学者と脳科学者とコンピュータ科学の学者が1950年代からいろいろと挑戦するが成果はでない。いるかの研究とかいろいろやっていた。そのうち、学問の縦割りが問題だと言われ始めた。京都大学の人文研究所などが先鞭を付けて、プロジェクト制を導入。
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  • 12:43  この動きの一方でアメリカでは冷戦を反映して巨額の研究開発費がエンジニアリング系に投入される。1980年には核ミサイルの配置と防衛のために通称スターウォーズ計画が実行されていく。だが、ベルリンの壁の崩壊で研究の目的がなくなる。
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  • 12:45  MITのメディアラボが政府の軍事予算ではなくて民間企業からの予算を想定して作られたのは有名な話だ。このあたりから民間企業から予算を獲得する動きが始まる。企業からお金をもらうと成果物が必要になる。研究の性格が変わっていく。そうした動きと、査読された論文の評価が微妙に結びつく。
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  • 12:49  論文の査読というのは奇妙な制度である。物理学から経済学へと広がり、凡人が天才の論文を理解できない、あるいは老人が若手の研究を理解できないというリスクがありながら、普及していった。それには理由がある。大学で研究して教えるという仕事は技をつたえるようなところがあるので、免許はない。
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  • 12:51  社会が多くの高等教育を受けた人材を必要するようになると、大学で教える人も多く必要になる。大学の職は人柄を見て仲間に入れるかどうかを決める非常に主観的なもので、マスが小さいときは機能したが、大勢の大学教師が必要になると、そうもいかない。そこで大学で教えるには、と資格を決めた。
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  • 12:54  僕は丁度そのころに勉強したのでPh.Dをだして、査読論文を二つか三つ書いた。だがその時代の教師は古い制度の中の大物だったので(アメリカでも日本でも)、その先生との「お稽古」が基本だった。Ph.Dの試験も公聴会があって、そこでのパフォーマンスが勝負だった。
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  • 12:57  好き嫌いもあるが勝った負けたもある。僕の先生の一人である鈴木孝夫の先生は西脇順三郎とイスラム学者の井筒俊彦。学問の継承はない。だが、学風とものの考え方は受け継いでいると思う。アカデミズムとはそういうもので、師匠から弟子へと引き継がれていく。このメカニズムと品質保証をどうするか。
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  • 13:03  福沢諭吉の話は改めて行うが、半学半教はまさに秘術の伝達と品質保証をかねそなえた制度である。もともと先生を十分にやとうお金がなくて始めた制度だが、学生がおこなったことを一方的に先生が評価しない。一緒に考えていく。これが卒業生との連携を強める社中協力になる。卒業生がお金を出した。
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  • 13:07  そして実学。これは書いておかないとな。詳しくはWikipediaの慶應義塾をみてね。実学とは実利的な学問ではない。語学とか工学が分かりやすい利便性だけを求めることを戒め、こうした学問を「虚学」と呼んでいる。まず、本を読み、数学を学び、歴史を学び、社会の仕組みを知る。
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  • 13:20  では、実学とは?19世紀後半から20世紀において、資本主義を構築するための人材を育成して彼らに人格と能力を持たせる学問であった。また臨床や公衆衛生をになる人材を育成する学問だった。21世紀の実学は何だろうか?この答えは未だない。だが、ひな形はインターネットの立ち上げだ。
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  • 13:32  そしてその方法を21世紀社会の構築に展開するのがKMDのリアルプロジェクトの役割なのだ。で話はようやく最初にもどるが、アカデミズムの役割とそれを担う人材の育成をどうするか、である。大量の大学教員を作る、という目的のために導入された論文査読とPh.Dの制度は役割を終えつつある。
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  • 13:35  必要なくなったというわけではない。大学教員を確保するためには必要だろう。だが21世紀を切り開いていく人材を評価するときに査読論文は入らない。必要なのは優秀な人材なのだ。Ph.D論文もそうした人材を育成する方法となるべきなのだ。KMDではPh.D論文を出すために査読論文は無用。
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  • 13:38  指導教授とコミッティーメンバーの教授とガチンコの勝負をする。そしてその成果を外部評価者に委ねる。匿名のレフリーと外部学会の権威はいらない。博士論文は公開されるのだからその評価はKMDの教員の評価にもなる。この考えを延長すると、査読論文が教員の採用や昇進の条件である必要はない。
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  • 13:47  議論は途中だが、マッカーサー基金について。勝手に「天才」を探して勝手に援助する。税金をつかう助成はアカウンタビリティが伴うが、自分でやっているから問題はない。でも財団を作って税金払わない、つまり税金の使い道を自分で決めるわけだから、ちゃんと使えと言う権利がアメリカ人にあると思う。
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  • 13:50  話戻して、21世紀を先導する人材を作るとした場合に、査読論文の数、いや質でも同じだ、で教員を雇って良いのか、という問題がある。大学の教員は研究だけすればいいという話はあるが、実は研究はチームで行うので、授業ではないが教育能力が必要。ほれぼれとする研究チームは新人の教育も上手い。
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  • 13:52  CuteもKMDもそうしたミッションをもった実験的な大学の組織である。実学の枠のなかで、査読論文に挑戦するのは楽しいし、僕が見ているプロジェクトでもそれは積極的に行っている。だが研究資金を民間から獲得して研究成果をだし、そのプロセスで人材を育成していく。ここが大事。
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  • 13:54  シンガポールや台湾のプロフェッサー達はほれぼれするような学歴をもち論文も書いている。だが、イノベーションをおこなったり、実学を行ったりする力がない。言われたことをきちんと実行する。自己主張はしない。うちとけると能力もチャームも創造性もあるが、それと研究を分ける。日本も同じ。
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  • 13:55  僕はここにエンターテイナーみたいな要素を要求したいとは思わない。話がうまいとか、講演で受ける、ということではないのだ。これもSFCで経験したことだが、600名の大教室を満杯にして講義をする先生の話は、20名くらいの部屋だと大ざっぱで実学を考えるとあまり役に立たない。
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  • 13:59  私学の経営上大教室講義は必要だが、それはお話しであり見聞を広げるものであって学びではない。その資質をすべての大学教員にもとめるのは無茶な話だ。MITやハーバードが名物講義を公開しているが、それは無料で公開した方が価値があるからだ。公開講義に魅せられて優秀な学生が来るわけだから。
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  • 17:45  つまり、いま大学は21世紀に活躍する人材とそうした人材が生み出す研究成果を出していく競争を行っている。その競争の中で生き残っていくために、査読論文の数で人を集めていては駄目なのだ。ではどのようにすればいいのか?なにができれば優秀なのか、どのような人をあつめればいいのか?
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  • 17:47  ここを真剣に考えないと、21世紀に競争力をもつ大学や研究所を作ることは出来ない。ではどうすればいいのか?アカデミズムの人材を育成して評価を変える方法を変えるしかない。試験と採用や昇進で結局は人は動く。なのでその仕組みを変えないことには社会は動かない。
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  • 17:53  Cuteシンポジウムの2日目で4つのチームにわかれて議論をした。僕はMedia2.0のグループでリーダーはThomas Cramton氏だった。そのとき、僕は近代的な学問は活版印刷によって可能になったが、その次のメディアを考えるときにきているのでは、というテーマを出した。
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  • 17:59  ロンドン王立協会は、1640年頃から活躍を始め1660年に創立。当時ヨーロッパで勝手に実験をしていた変人達が自分たちの研究を文字にして出版して知を共有したのが始まりである。いまの学会論文の御先祖様だ。ニュートンも会員だ。
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  • 18:01  科学あるいは学問が文字の形で表現されて継承されていく。グーテンベルグの活字の発明が科学の誕生に貢献した。だが、科学や学問が文字の中だけで完結するとされるのはフーコーが書いているように19世紀の事だ。それまでは文字だけでは伝えられないところは別の方法で伝えていた。
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  • 18:14  ジョン・デサグリエという人を知っているだろうか。バーバラ・スタッフォードが『アートフルサイエンス』で紹介しているが、ニュートンの実験のデモを担当した科学者である。だが、このような科学者が人前で分かりやすい実験を行うことは人々を欺いているという考えが18世紀後半に登場する。
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  • 18:15  科学を分かりやすく伝えるという考え方もおかしいよね。デモで見せるしか伝えることができないことが科学にはある、という考え方のほうが普通だ。だが19世紀20世紀と科学は数理的なモデルと自然現象を組みあわせて、それを文章で書く、という方法で行われてきた。
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  • 18:18  それは文章で書くことができることだけが科学の対象であるという形で展開して、多くの学問が「科学」ではないとされてきた。数式や文章になりにくいことを対象としている学問が「科学」の座からずり落ちていった。還元主義が科学とされ、アカデミズムの方法とされた。
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  • 19:14  大学の意味も変わっていった。もともと大学は現実世界の問題を実践的に解決する秘術をおしえるところだった。医術とか法律とかだ。ボローニャ大学はヨーロッパ最古の総合大学だが、教授が学生をあつめて、授業料をとって技を教えていた。知識の継承は修道院の仕事だった。写本を作っていく。
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  • 19:17  福沢諭吉の実学は大学本来のあり方とも言える。博士号も知識を伝達できるという証明はPh.Dだが実践力を保証する医学博士などはPh.Dではない。大学の使命が変わり教え方が変わり科学のあり方も大きく変わっていった。それが18世紀だ。そして19世紀末には現在の大学の形ができる。
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  • 19:20  20世紀の大学の特徴はまず民主化である。大学入学の資格から古典語教育をなくして、本来大学にいかない層を取り込んだ。戦後はアメリカではGIビルという法律を通して帰還兵にどんどん大学教育を与えた。このあたりは拙著の『トランスナショナルアメリカ』に詳しい。
  •  
  • 19:24  また、Ph.D教育をすることで大学教師の質を確保した。僕もこのトレーニングを受けたが、確かに高等教育と研究に必要なことをすべて学んだ。アメリカ式だけどね。Ph.Dを書くとはこの能力を身につけることなのだ。
  •  
  • 19:27  一時期日本で何もしない同じことばかり教えている教授のことが問題になり、教授の業績を審査するようになった。だがものになるかならないかという問題を考えているから学問であり、そうして学問は進んできた。なので、職業として成立するのかどうかもはっきりしていなかった。
  •  
  • 19:29  だが、大学が増え、大学の教師の数が増えてくると、なんとなく職業として成立してきた。加えて、大学間のヒエラルキーがあり、頂点を目指して学者が競争するようになった。人事も公平にといわれ、分かりやすい基準が導入された。ここ30年くらいだとおもうが査読論文の数が問題になってきた。
  •  
  • 19:32  おもしろいのは、こうして公平に実力主義で登用された多くの教員が無能だったことだ。そりゃそうだ。研究能力や育成能力で人を選んでいないのだから。抜擢と動乱のなかでしかるべきポジションについたいま80歳くらいの人が考えた計画を上手に実行する研究者が高く評価される。そんな30年だった。
  •  
  • 19:35  これがシンガポール、台湾、韓国、そして現状をみていると多分中国も同じ問題を抱えているだろう。研究者の能力を思い切って評価をして人事を行う、ということができない。これは難しい。SFCでも採用と昇進に査読論文以外の業績を認めます、とうたったがその実行は非常に難しかった。
  •  
  • 19:37  その結果、最年少層で教員になった僕の世代は長い間「最年少」にとどまり続けた。次の世代の人材を抜擢できないで、評価の確立した人の採用が続き、僕や村井さんは最年少グループのままだった。さらに、学問の価値や意味が大変動した。進んだ研究やそれをおこなっている研究者を評価する枠組みが消滅。
  •  
  • 19:39  外部の評価を取り入れる仕組みがあったために、一気に研究の質が下がった。査読論文があるから、博士論文提出の資格がある、という論理が動き始めたのだ。いい研究ならそれでいい、という基準もつくっておいたのにである。ではなぜ査読論文主義、一流学会主義ではいけないのか。
  •  
  • 19:42  それは時代が変わったからとしか言いようはない。21世紀が必要としている想像力と論理性を兼ね備えた創造的な人材をつくる競争が始まったのだ。だがどうすればいいのか?創造的な活動をしている人を教授に迎え入れても、査読論文が沢山ある研究者を呼んでもそのような人材は作れない。
  •  
  • 19:44  いま世界各地でこうした人材を育成する大学院や研究所が作られている。だが、人材を育成する人材、排出した人材を評価する軸がないのだ。いやあるのはあるのだが、それで人を評価したとき、成果が出ない場合の責任の所在がないのである。10本も査読論文があるのに馬鹿だった、というのは説明できる。
  •  
  • 19:46  だが、おもいきって抜擢しましたが、馬鹿でした、ごめんなさい、ではすまない。そこで工夫されたのが登用を有期にする方法だ。一発勝負ではなくて3年とか5年の期間をあたえるのだ。これをテニアトラック採用という。だが、この方法と、能力中心主観的人物評価を会わせて使うことが難しい。
  •  
  • 19:49  サットンの名著に『あなたの職場のイヤな奴 』がある。うっかりイヤなやつをやとうと、それがまたイヤなやつをやとってイヤなやつが増える、という本だ。だが能力があってイヤなやつをどうしても雇って、問題が起こる、というメカニズムの説明だ。査読論文で採用された研究者は似た人を採用する。
  •  
  • 19:52  21世紀、世界を先導していく人材を輩出したいならその人材を教え鍛えることができる人材が必要だ。福沢諭吉が半学半教といったのは、十分な教員の給料が払えないからと言われているが、だれも先生がいないなら、お互い教え合うしかない。この態度が大事なのだ。査読論文の数が大切なのではない。
  •  
  • 19:55  Thomas Cramton氏は、このあたりの議論をきいて、では1ヶ月でできること、1年でできること、5年でできることを決めようといった。論文ではなくてパフォーマンスで研究を上手に語る。デザグリエのように。研究や論文執筆の手をとめて、パフォーマンスができるようになる。
  •  
  • 19:58  次に一年でできること。これはCuteの研究をまとめて、巡回展示会ができるようにする。Webでショーケースにする。PRの専門家をやとって、メディア露出を増やす。広く研究者をつのって、『スター誕生』のように公開で審査していく。長期目標はこうした業績を評価する新しい学問メディアを作る。
  •  
  • 20:02  昨日はこうした議論をCute外部評価委員(ったってエイドリアンの友達、ダボスヤングリーダーたちだからラディカルで若くて面白い)とした。英語の話もだいぶしたのだがそれは次に書くとして、こんな感じで議論した翌日、査読をcrowd-sourcingするという記事が出た訳である。
  •  
  • 23:58  研究者のプロモーションに不可欠な査読論文を公開でやってしまおう、というこころみである。http://mediacommons.futureofthebook.org/がURLだ。論文の査読をネットワークを使って行う。少数のエリートが選抜するわけではない。面白い。
  •  
  • Wed, Aug 26

  • 00:02  だ が、論文が大事、という点では物足りない。文字とか数式で書けないところに英知があり、それを共有させることで王立教会が文字情報の共有で近代科学を生み 出した活動に匹敵する変化をおこすことが大事なのだ。文字での「論文」にこだわるなら、いまの査読制度がそれほど本質的な問題だとは思えない。
  •  
  • 00:17  問 題は想像力と論理性が交錯するフロンティアにあるのだ。シニアがジュニアの研究を評価できない。それは論文の内容が分からないこともあるが、研究のルール が変わってきている事の方が大きい。ジュニアからするとなぜ、評価されないのか、と思うかもしれないが、研究対象が文字や数字を超えている。
  •  
  • 00:18  と すると、いま一生懸命一流の査読論文を書こうとしているジュニアは次の世代には生き残れない。しかし論文以外の活動をしているジュニアはアカデミズムに組 み込めない。アカデミズムに組み込めないと、一匹狼になって次の世代を育てられない。査読論文の王者が次の世代を育てても通用しない。
  •  
  • 00:20  結局、方法は大半(80%くらい)を査読論文にむけて研究する研究者・大学教員として、のこりの20%くらいを新しい学問の担い手として育成するという方法になる。コンティンジェンシーを考えるなら、リスクを研究者の評価方法を新たに確立するということになる。
  •  
  • 00:23  し たがって、アカデミズムのうち20%くらいは21世紀の学問を切り開く組織として、そこでの活動の評価はメインストリームとは別にする。NYSEにたいし てNASDAQがあるようなものだし、P&Gの用に内部にリスクイノベーションの領域をもうけても良い。ここで活躍する能力と評価は独自 だ。
  •  
  • 00:26  SFC 時代の奥出研究室からN社に何人も入っている。この会社はお給料も良いし、仕事も楽しい。で日本中の優秀なエンジニアが競って応募している。皆素晴らしい 連中だ。そこに創造性教育をうけた奥出研究室から入社する。「僕らはノイズ採用ですから」と言う。来るべき大きな変化に備える人材だ。
  •  
  • 00:28  21 世紀の人材を育成し、新しいタイプの研究者を擁してフロンティアで勝負をする。CuteやKMDのような組織はそこでの活動を評価するための新しい基準を 自分で開発しなくてはいけない。誰も評価してくれないのだから自分で評価して、それを人に理解してもらうように努力する。
  •  
  • 00:30  まあ色々書いたが、若い研究者はちょっと立ち止まって、論文以外の処で自分の研究を紹介して理解してもらうために時間をかけてみよう。またそうした若手のプレゼンテーションができるだけ人目に触れるようにしよう。そして、うまくいけばアカデミズムの構造を変革しよう。
  •  
  • 00:35  @drinami @NaohitoOkude (前略)文字や数式の記述は思考を肉体から切り離す行為なんですよね.その代わり永遠の魂を得る.>>これがプラトンが間違えた処。肉体から切り離してはだめ。でも数式も文字も必要。抽象化するときの単位が分子か確率過程の固まりか、胆はここです。  [in reply to drinami]
  •  
  • 00:38  @drinami @NaohitoOkude (前略)思考を外化できれば絵画でも映像でも種類は関係無いですよね。>>そうです。なので思考の外化を評価する態度さえあれば、アカデミズムになる。25年前に写真を資料に使っただけで、論文ではないとクレームがついたことがありました。  [in reply to drinami]
  •  
  • 00:42  僕 は国際的に通用するかどうかはあまり気にしてない。想像力があって論理性がある創造的な作品をつくり、それを分かりやすい英語で表現して世の中に投げか る。そこが大切。これはイノベーションを標的にしている研究活動を議論しているからです。日本の若手の研究者はこのくらいの力はすでにある。
  •  
  • 00:44  Cute に集まっている若手の研究者も同じだろう。思考を外化して表現して、物語の形で自分のイノベーションを語ろう。そして同じ志の仲間と競い、コラボレーショ ンしていこう。その活動を通して、アカデミズムの評価法を大きく変えよう。これが今日のメッセージである。(この項 完)
  •  
  • 05:20  @kizm_naoya (前略)査読論文数の話に関しては、被引用数の話も追記して頂けないかなぁ。そうすると僕ら理系育ちの子にもなじみやすくなると思うんです。>>大事なポ イントなんだけど、理系の評価はイノベーション評価にはいらない、って話なんです。理系の能力は不可欠だけど。(続く)  [in reply to kizm_naoya]
  •  
  • 05:23  21 世紀のフロンティアは創造性である。そして創造性を可能にするのは実はいま「理系」と呼ばれているエンジニアリングの能力である。その能力をつかって創造 的な表現をする実践の能力。これが大事でここを評価する仕組みがない、ということです。技術が新しいかどうか、そこだけを評価する。変だ。
  •  
  • 05:26  引 用数による評価はCitation Indexというものがありこれも30年以上前に導入され、研究するときに相互引用の世界からおこなうのは、アカデミズムのプロの常識。僕らの時はメイン フレームのコンピュータがそれをおこない、巨大な書籍として図書館に常備された。いまはインターネットで。
  •  
  • 05:28  つ まり、人を喜ばすとか、心を豊かにするとか、悲しみをいやすとか、希望を与えるとか、そういった行為を行うためにはエンジニアリングが不可欠。だが、そこ をしっかりと追求するHumaneなエンジニアリングを行ったとき、それを評価する仕組みがアカデミズムにはないのは問題、ということです。
  •  
  • 05:31  ロ バート・マートンという社会学者がビジネスとアカデミズムの違いをマネーと名誉と言っています。人を感動させてお金を儲ければビジネス。人を感動させて名 誉を感じればアカデミズムです。アカデミズムが必要なのは、イノベーションを行うため。短期的な生存は問題は確実な事をやる方が良い。
  •  
  • 05:38  一 方長期的な生存には不確実なことを繰り返して成功するまであきらめないことが必要。それをする組織がアカデミズムです。巨大なアカデミズム組織ができるの が10世紀から11世紀。良源が延暦寺を組織化し、ボローニャにも大学が出来る。オックスフォード大学もこのころだ。松岡正剛氏風解説だけど。
  •  
  • 05:41  エ ンジニアリングサイエンスという動きが僕が勉強した頃には言われていた。僕は文学部だけど、工学部はサイエンスを目指していた。卓越した匠でもある工学部 の教授が、サイエンスができる弟子を後継者にした。老教授が引退した後はエンジニアリングの魔術師は消滅し、車もロケットも飛ばなくなった。
  •  
  • 05:43  医 学部はつねに病院で患者と向き合ってきた。出世はメディカルサイエンスを行う研究者に負けたが、臨床の価値は保った。医局をなくすことで臨床の技の継承が 難しくなっていると思うが、まあ臨床なくて医学なしはみな分かる。サイエンスになる医学は医学博士では対応できなくて、いまはPh.Dも必要。
  •  
  • 05:46  ア カデミズムである工学部でなぜ「臨床の技」が評価されないのか。これはMITでもカーネギーメロン大学でも同じです。現在ではデザインがある意味エンジニ アリングの臨床を引き受けていると思っています。しかし、アカデミズムとして認知されているかというとそうではない。ここが問題です。
  •  
  • 05:48  査 読論文ばかり書いていて患者を診る能力がない医師というのは大学の医学部の抱える問題ですが、それが「問題」として意識されるのは臨床の知が必要と分かっ ているからです。しかしエンジニアリングはどうでしょうか。サイエンスを理解していることとサイエンスに科学者として貢献することは別です。
  •  
  • 05:50  Ph.D や論文なんかいらないから自由にやればいい、という議論もあります。しかし、アカデミズムの傘を出ると評価はお金です。お金をきちんと計算するとイノベー ションは出来ません。なのでリスクをとって、長期的なサバイバルをするために、アカデミズムに一部のお金を使う。
  •  
  • 05:52  リ スクマネーである研究資金はアカデミズムの原則で、つまり名誉で運用する。名誉の基本は剽窃をしない。紳士は先人の業績を称え、引用し、自分の貢献を付け 加えます。これがアカデミズムにおける引用の意味です。引用を明言しないで先人の仕事を使えばもっとも罪が重いとされる剽窃になります。
  •  
  • 05:56  そ の習慣を数量化したのが、引用によるインパクトの話ですが、だからどうだ、という気もします。うもれた論文を探し出して高い評価を与える、という目利きの 方が大事ですよね。ノーベル賞が権威をもつのもそこだし。そして今の日本はノーベル賞をとるより、それに匹敵する賞を作ることが必要。
  •  
  • 05:58  エ ンジニアリングをサイエンスにしたい研究者はそれでいい。でもいま社会が必要としていることを可能にする実践の方法を生み出すエンジニアリングの方が価値 が高くあるべきだ、あるいは同じくらい価値を認めるべきだ、というのが昨日からの僕の議論の主旨です。既存の学会は認めていない。
  •  
  • 05:59  い ま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができているのは21世紀社会がそれを必要としているからです。しかし、この新し いアカデミズムを評価する方法がない、というのが一番の問題。サイエンスの評価方法しかないのなら、デザインの評価方法を確立していく。
  •  
  • 06:01  こ こに挑戦しないとCuteもKMDも設立した目的は達成されない。いままで解けない社会問題を解決したり、人に感動や安らぎをあたえたりするものやサービ スをつくることに名誉でもって答える。その勇気をもつ組織が必要だと思っています。そして秘術をもつエンジニアがここで実践に励む。
  •  
  • 07:10  @drinami @NaohitoOkude この点だけが疑問で、まさに確率の様に直観には反するが、正しく、生活にも重要な事柄も多いので非身体もうまく使いこなせば良いと思います。>>また高等問題を!確率論的あるいは量子力学的身体感覚がもてるか、がポイントなんですよね。  [in reply to drinami]
  •  
  • 07:17  ニュー トン的身体感覚でわかる世界だけを問題にするのではなくて存在していない抽象的なものを疑いえないと感じる力、これを明証性といいますが、がある。これは 疑うことが出来ないだけであって、正しいかということとは関係ない。また、物理的な存在の明証性も大事。正しいのではなくて疑いえない。
  •  
  • 07:22  21 世紀の問題を解決する戦略はここ20年ほどの議論でわりと多くの人が共有できるようになった。だがそこから戦術を立てて実行して評価することが出来ない。 アカデミズムの競争はいま、決められた評価軸の中でどのように良い研究をするかではなくて、どのように研究を評価していくか、である。
  •  
  • 07:24  SFC を創設するときに一番の下っ端で加わっていたが、教員の評価問題は非常に大きかった。授業評価を取り入れたのも最初だ。僕がテレビに出て落語家さん相手に 説明したこともある。研究の評価に関しても今議論しているようなことは大分考えて組み込んだ。だが、世界の変化はその先にいった。
  •  
  • 07:26  グ ローバル化が進み、従来の学問では解決できない問題が溢れてきた。資本主義と民主主義がもう一度くりかえすなんて、あるいは社会主義がなくなるなんて25 年前には想像できなかったのだ。地球環境が聴きだということも医療が機能不全になることも、アメリカの金融資本が崩壊することも予想外だ。
  •  
  • 07:28  そしていま世界中の高等教育機関が新しい社会に対応する研究と人材育成の方法を模索している。Cute とKMDはこの大変貌の波を感じながら、しっかりと乗りこなす人材を育成し、素晴らしい研究を評価する勇気を持って前に進みたい。(この項 完)
  •  
  • 補遺 複雑なテーマをあつかったのだが、多くのメンションがあった。
  •  
  • kazuyatanaka
    STeLAやTMIで風穴をどこまで開けられるか。。RT @NaohitoOkude: いま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができているのは21世紀社会がそれを必要としているからです。しかし、この新しいアカデミズムを評価する方法がない、というのが一
  • 大久保惠司 keijix55
    ですね〜(^^) RT @k_hayashida 学生の頃にそんな大学があったらなぁ。 RT @keijix55: テクノロジーとデザインとマネジメントの融合!RT @NaohitoOkude いま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができて…
  • 林田 浩一 k_hayashida
    学生の頃にそんな大学があったらなぁ。 RT @keijix55: テクノロジーとデザインとマネジメントの融合!RT @NaohitoOkude いま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができているのは21世紀社会がそれを必要としているか…
  • ウジトモコ UJITOMO
    デザインの評価基準は誰がどうやって決めるのだろう?興味RT @NaohitoOkude いま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができて…サイエンスの評価方法しかないのなら、デザインの評価方法を確立していく http://bit.ly/9UBPEB
  • Nobuko Yanagida n_yana
    ホントこの三点セットは悩ましいですね。RT @keijix55: テクノロジーとデザインとマネジメントの融合!RT @NaohitoOkude いま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができているのは21世紀社会がそれを必要としているからです。…
  • Assume HAYASHI_T
    学術会議さんとは(経済的に)相容れない立ち位置ですな RT @NaohitoOkude: でもいま社会が必要としていることを可能にする実践の方法を生み出すエンジニアリングの方が価値が高くあるべきだ、あるいは同じくらい価値を認めるべきだ、というのが昨日からの僕の議論の主旨です
  • 大久保惠司 keijix55
    テクノロジーとデザインとマネジメントの融合!RT @NaohitoOkude いま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができているのは21世紀社会がそれを必要としているからです。しかし、この新しいアカデミズムを評価する方法がない、というのが一番の…
  • cezan nekonoco
    RT @NaohitoOkude: いま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができているのは21世紀社会がそれを必要としているからです。しかし、この新しいアカデミズムを評価する方法がない、というのが一番の問題。サイエンスの評価方法しかないのなら、デ
  • nagai.yumi. nyagai
    RT @NaohitoOkude: 人を喜ばすとか心を豊かにするとか悲しみをいやすとか希望を与えるとかそういった行為を行うためにはエンジニアリングが不可欠。だがそこをしっかりと追求するHumaneなエンジニアリングを行ったときそれを評価する仕組みがアカデミズムにはないのは問題…
  • オカジュン 0kajun
    RT @NaohitoOkude: いま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができているのは21世紀社会がそれを必要としているから。しかし、この新しいアカデミズムを評価する方法がないのが一番の問題
  • 岡田 唯男 (Tadao Okada) familydoc
    RT @NaohitoOkude: 査読論文ばかり書いていて患者を診る能力がない医師というのは大学の医学部の抱える問題ですが、それが「問題」として意識されるのは臨床の知が必要と分かっているからです。。
  • SODA YOSHINOBU SODAYOSH
    同感です!RT @NaohitoOkude: 21世紀のフロンティアは創造性である。そして創造性を可能にするのは実はいま「理系」と呼ばれているエンジニアリングの能力である。その能力をつかって創造的な表現をする実践の能力。これが大事でここを評価する仕組みがない、ということです。
  • 高橋雄一郎 kamatatylaw
    同感。成功例の数以外に評価指標はありえない。 RT @trigence: 大学発ビジネスの成功数が指標になるべき@NaohitoOkudeいま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織が・・この新しいアカデミズムを評価する方法がない。
  • 江口彰 | プロデューサー eguchi_akira
    北大の映画系プロジェクトは3つの分野を凝縮している。 RT @NaohitoOkude いま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができているのは21世紀社会がそれを必要としているからです。しかし、この新しいアカデミズムを評価する方法がない、、、
  • Yuriko Sawatani yurikos
    同意 RT @NaohitoOkude いま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができているのは21世紀社会がそれを必要としているから。サイエンスの評価方法しかないのなら、デザインの評価方法を確立していく。
  • NaohitoOkude
    @drinami @NaohitoOkude この点だけが疑問で、まさに確率の様に直観には反するが、正しく、生活にも重要な事柄も多いので非身体もうまく使いこなせば良いと思います。>>また高等問題を!確率論的あるいは量子力学的身体感覚がもてるか、がポイントなんですよね。
  • 岡村淳一 trigence
    社会が真に必要としているなら、大学発ビジネスの成功数が指標になるべき@NaohitoOkudeいま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができているのは21世紀社会がそれを必要としているからです。しかし、この新しいアカデミズムを評価する方法がない。
  • Masa Inakage inakage
    @NaohitoOkude え?ADRIANも?
  • 山田光利・研究者支援活用コンサルタント 2ndlab
    テクノロジーをデザインしてマネージメント、かな RT @NaohitoOkude: いま世界中でテクノロジーとデザインとマネージメントを融合した大学の組織ができているのは21世紀社会がそれを必要としているから。しかし、この新しいアカデミズムを評価する方法がないのが一番の問題
  • Keita Watanabe 100kw
    @drinami @NaohitoOkude 僕とか最適だと思うですけどねー笑 身をもって実践しているつもりです。
  • Masahiko Inami drinami
    @NaohitoOkude 欧米の書籍に「図が入ったら負け」のような印象を持った事が確かにあります
  • Masahiko Inami drinami
    @NaohitoOkude この点だけが疑問で、まさに確率の様に直観には反するが、正しく、生活にも重要な事柄も多いので非身体もうまく使いこなせば良いと思います。
  • ISHIKO Masayoshi gyrowalk
    RT @NaohitoOkude: つまり、人を喜ばすとか、心を豊かにするとか、悲しみをいやすとか、希望を与えるとか、そういった行為を行うためにはエンジニアリングが不可欠。だが、そこをしっかりと追求するHumaneなエンジニアリングを行ったとき、それを評価する仕組み、、
  • ISHIKO Masayoshi gyrowalk
    RT @NaohitoOkude: 21世紀のフロンティアは創造性である。そして創造性を可能にするのは実はいま「理系」と呼ばれているエンジニアリングの能力である。その能力をつかって創造的な表現をする実践の能力。これが大事でここを評価する仕組みがない、ということです。
  • nagai.yumi. nyagai
    RT @NaohitoOkude: 21世紀のフロンティアは創造性である。そして創造性を可能にするのは実はいま「理系」と呼ばれているエンジニアリングの能力である。その能力をつかって創造的な表現をする実践の能力…ここを評価する仕組みがない…技術が新しいかどうか…だけを評価する。変だ
  • KOIZUMI Naoya kizm_naoya
    今日の@NaohitoOkude先生のツイット、前半は非常に面白く興味深いのですが、後半の評価軸(軸じゃないんですけど)はなんだかしっくり来ません。査読論文数の話に関しては、被引用数の話も追記して頂けないかなぁ。そうすると僕ら理系育ちの子にもなじみやすくなると思うんです。
  • 山之内淡 TanYamanouchi
    さすが RT @NaohitoOkude 思考を外化して表現して、物語の形で自分のイノベーションを語ろう。そして同じ志の仲間と競い、コラボレーションしていこう。その活動を通して、アカデミズムの評価法を大きく変えよう。
  • Naohito Okude NaohitoOkude
    @drinami @NaohitoOkude (前略)思考を外化できれば絵画でも映像でも種類は関係無いですよね。>>そうです。なので思考の外化を評価する態度さえあれば、アカデミズムになる。25年前に写真を資料に使っただけで、論文ではないとクレームがついたことがありました。
  • Naohito Okude NaohitoOkude
    @drinami @NaohitoOkude (前略)文字や数式の記述は思考を肉体から切り離す行為なんですよね.その代わり永遠の魂を得る.>>これがプラトンが間違えた処。肉体から切り離してはだめ。でも数式も文字も必要。抽象化するときの単位が分子か確率過程の固まりか、胆はここです。
  • Masahiko Inami drinami
    @NaohitoOkude 先日Media Labで講演したとき気づいたのですが文字や数式の記述は思考を肉体から切り離す行為なんですよね.その代わり永遠の魂を得る.思考を外化できれば絵画でも映像でも種類は関係無いですよね
  • Satoshi Matsuoka 松岡聡 ProfMatsuoka
    まあ文系のメトリックは同じ研究者でも科学者とは随分違うなあ、と興味深かく思います。でも何故web時代で評価法が変わると良いの、というメトリックが分からない。@slx01: . @NaohitoOkude 先生と @ProfMatsuoka 先生のtweetを並行して読むと面白い
  • よしはる estate4
    これは本当に分かります。 QT @NaohitoOkude: 達人ができるやつを見抜くように、自分で考える力をもっている人間にはある種の佇まいがある。ネット系の古株の技術者にはこの雰囲気がある人が多い。この雰囲気があるかどうかが、アカデミズムの住人であるかどうかの本当の条件だ。
  • shunsuke taura twilightwalk
    CGMチームも活用したらいい。RT @Kmt_3a @inakage @NaohitoOkude @makisugimoto SFCだけじゃなく、KMDも是非検討を!RT “@itmedia_news: iTunes Uに東大や慶応SFCなど4大学が新たに参加 ^IT戦士 htt
  • Kiyoshi Y kiyoshiy4
    知らなかった RT @NaohitoOkude: 20世紀の大学...大学入学の資格から古典語教育をなくして、本来大学にいかない層を取り込んだ。戦後はアメリカではGIビルという法律を通して帰還兵にどんどん大学教育を与えた。このあたりは拙著の『トランスナショナルアメリカ』に詳しい
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  • Kmt_3a
    ちゃす!これこそ“リアル”プロジェクトです!RT “@miho0301: この3先生宛ってのが、めちゃくちゃ秀逸!RT @Kmt_3a: @inakage @NaohitoOkude @makisugimoto SFCだけじゃなく、KMDも是非検討を!”
  • Yusuke Tamura slx01
    . @NaohitoOkude 先生と @ProfMatsuoka 先生のtweetを並行して読むと面白いな。
  • miho ishii miho0301
    この3先生宛ってのが、めちゃくちゃ秀逸!RT @Kmt_3a: @inakage @NaohitoOkude @makisugimoto SFCだけじゃなく、KMDも是非検討を!RT “@itmedia_news: iTunes Uに東大や慶応SFCなど4大学が新たに参加
  • Shinyashiba.Kmt-3a Kmt_3a
    @inakage @NaohitoOkude @makisugimoto SFCだけじゃなく、KMDも是非検討を!RT “@itmedia_news: iTunes Uに東大や慶応SFCなど4大学が新たに参加 ^IT戦士 http://bit.ly/9DxG3F
  • satton_maroyaka s_mryk
    @NaohitoOkude すみません、RTする詰もりだったのですが、"RT"をつけ忘れてしまい、リプライになってしまいました。失礼しました。
  • satton_maroyaka s_mryk
    RT @NaohitoOkude 教授のツイートが面白い。 >それは文章で書くことができることだけが科学の対象であるという形で展開して、多くの学問が「科学」ではないとされてきた。数式や文章になりにくいことを対象としている学問が「科学」の座からずり落ちていった。還元主義が科学とさ
  • satton_maroyaka s_mryk
    @NaohitoOkude 教授のツイートが面白い。 >それは文章で書くことができることだけが科学の対象であるという形で展開して、多くの学問が「科学」ではないとされてきた。数式や文章になりにく いことを対象としている学問が「科学」の座からずり落ちていった。還元主義が科学とされ、アカ
  • takuchan tauk
    RT @NaohitoOkude: そして実学。これは書いておかないとな。詳しくはWikipediaの慶應義塾をみてね。実学とは実利的な学問ではない。語学とか工学が分かりやすい利便性だけを求めることを戒め、こうした学問を「虚学」と呼んでいる。まず、本を読み、数学を学び、歴史を学…
  • 杉山真大 mtcedar1972
    @NaohitoOkude 日本でそれやると、「科学技術の天才ならまだしも、芸術だの運動だの何の意味があるんだ?」って水掛け論になっちゃいますよね。同じ天才でも、分野によって扱いが違ってきちゃう。
  • Futureisnowhere. michimotosatoh
    @NaohitoOkude リチャード・フォアマンというNY在住の劇作家をどのグラントを受けていたと思います。
  • 西富亮介 tommy2413
    「文理(分離)」に分けてしまっている日本のスタイルの弊害ですかね?やはり「教養教育」の期間は、みっちりやらないとダメでしょうか RT @NaohitoOkude:...
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