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2010年11月22日月曜日

(本当の)アカデミズムの仕組みを学ぶ

  •  Sun, Nov 21
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  • 11:44  アカデミズムの真髄をまなぼう
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  • 奥出研究室博士論文工房の学生も大分力を付けてきて国際学会に投稿し、評価され始めた。本格的な論文が受理されていくまで後もう一息だ。ここで、アカデミズムの本質を教えておきたい。
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  • 11:47  現代のアカデミズムを理解しているとは(つまり博士Ph.Dに値するとは)アイデア・コンセプト・引用・検証・謝辞・剽窃(してはいけないの意味で)の考えをしっかりと身に付ける。これらすべてが内的な価値判断基準になったとき、本物のアカデミズムを体現する知識人となれるのだ。
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  • 11:48  この問題を名誉と学問として整理して見せたのが、ロバート・マートンという社会学者である。立派な研究者で日本でも『社会理論と社会構造』という翻訳が大分前に出た。彼の一般的な興味は自然科学と人文科学がせめぎあう「社会科学」の領域でいかにしてアカデミズムを成立させるかにあった。
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  • 11:53  議論は大分古いのだが、インタラクションデザインの領域が人間の身体の科学から人間の精神へと拡大し、あらたなるa rationale つまり概念枠組みが求められている現在、この問題をもう一度確認しておく必要がある。
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  • 11:53  彼は『社会理論と社旗構造』において、社会学の研究と社会学史・理論の研究の関係を説明する。たしかに僕が慶應大学の大学院の社会学研究科で勉強していたときは、最新の調査方法を使って社会調査をする先生と古びた社会学の古典を輪読する先生に分かれていた。マートンが言っているのはこの状況だ。
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  • 11:57  僕は同じ頃文学や哲学の授業をとっていたが、こちらは調査なんかなくて、ただ古典のテキストを読んで解釈する授業だった。人文科学は伝統的にそんな感じだ。社会科学はその間にある。自然科学の知識は実験や観察で得られる。人文科学は過去の叡智の解釈を積み重ねる。社会科学は両方が必要である。
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  • 12:00  まあこれは50年くらいの状況だが、この議論から先が大切だ。マートンは名誉(honor)と金(cash)という直接的な言葉を使ってここを説明する。どんなアイデアもコンセプトもそれが突然生まれてくると言うことはない。アカデミズムではどのような由来でこの考えが生まれたかを示す。
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  • 12:02  これが引用である。何をどのように引用するのか、そのときの方法はどうなのか、ここにかんしてアカデミズムではお作法がある。これが研究初期の段階の博士課程の学生が最初に躓くところだ。それぞれの学問分野には歴史がある。学会は論文集を出している。ここについての勉強に時間を割く。
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  • 12:05  マルチディシプリナリーになると指導教授が指導できる範囲を超える。アメリカ型のPh.Dではジェネラル試験というものがあって研究に必要な複数領域の知識がちゃんとあるかを試験する。単一分野で研究に必要な知識があるかを問う試験はコンプリヘンションと言われる。これでは実は役に立たない。
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  • 12:07  日本はきちんとこの段階をとらないで博士論文に着手させるので、査読論文の数がそろうと博士論文としているが、これは形式主義でアカデミズムを学ぶことは出来ない。ちなみにKMDではプロポーザル試験をしていて、かなり高度な研究プロポーザルを提出して審査して合格すると博士論文執筆許可を出す。
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  • 12:09  さて、研究論文は一人で書いていても研究が単独で行われることはない。現代のアカデミズムはこの問題を解決するためにも引用の方法を重視する。例えばウィノグラードの名著『コンピュータと認知を理解する 人工知能の限界と新しい設計理念』は現象学をつかった画期的な設計論だ。
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  • 12:13  ハイデガーの現象学のなかから道具性を引き出して、それを身体の延長として説明する解釈はドレイファス『世界内存在?「存在と時間」における日常性の解釈学』で展開したものだ。ウィノグラードが論文を執筆した段階ではまだ出版されていない。
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  • 12:15  ウィノグラードは注でドレイファスの原稿を見せてもらったと述べる。こうした引用によってドレイファスの名誉が讃えられ守られる。若い研究者は研究成果の新規性が大事だと考える。とくに新規性で論文が評価されその論文の数が出世につながるとなるとそこを強調する。それは名誉ある行動ではない。
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  • 12:17  名誉の反対の概念が金(Cash)だ。名誉は金では買えない。だがこのことが企業内の研究所の研究者に分かっていない人が多い。新規性を主張した論文の数が評価され結局は金(研究費)につながる。功利主義だ。アジアの大学もこうした基準を導入する。すると名誉のない(いやしい)研究者が増える。
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  • 12:20  アカデミズムはしたがって自分のアイデアやコンセプトに関して出来るだけ多くの人の研究を引用して名誉を讃え、自らの論文の名誉を高める。これが非常に大切なのだ。ディベートすらしてはいけない。このことは前に書いたことがある。http://bit.ly/d1pEs2
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  • 12:21  こうした名誉ある行動はある意味資質だ。平気で人のアイデアをつかって発表する学生が昔いた。絵なんかも誰が描いたか言わない。8年くらい前のことだが、頭も良いし一生懸命研究するのだが、この癖は幾ら指摘しても抜けなかった。またおっとりとした学生が無防備にアイデアを出すので盗まれる。
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  • 12:24  先行研究の引用を上手く行うこと、これはなかなか大変な修行がいる。プロポーザルの指導をしていて、引用の形式を何度も直される学生がいるが、ここのお作法が名誉を讃え守る大きな武器となる。ぜひともめげないで頑張って欲しい。さて引用と名誉と金に関しては最近困ったことがある。
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  • 12:26  それはアカデミズムにおいては引用するつまり出典を明らかにするということで著作権料を払わなくて良いという慣習があった。これをフェアユースという。学問を継承していく引用の連鎖は人の著作の利用である。引用されることが名誉だとアカデミズムでは考える。だがビジネスではそうではない。
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  • 12:29  著作権料という金が発生する。ここは難しいね。アカデミズムも大学で授業料をとってるし、講義を公開したり、本を出したりしているので微妙って言えば微妙だ。だが、功利主義的な金銭のやり取りではなくて、お布施とか寄付とかそんな感じの金銭の流れもある訳なのでこのあたりは非常に複雑だ。
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  • 12:33  大学が知財を管理する動きも始まっているので非常に難しい時期に来ている。しかし新しい知を生み出すアカデミズムの仕組みを失っては先に進むことが出来ない。このあたりこれから大問題になる。私見を言うと、アカデミズムは煎じ詰めると創造的で論理的な思考の出来る人間に価値がある。
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  • 12:35  アイデアをコンセプトにしてそれがうまれたコンテキストに対して名誉を讃え自分の名誉を守る。これがアイデア・コンセプト・引用の流れだ。ここをあやまると学問としてもっとも不名誉な行為の一つである剽窃となる。自分のコンセプトや理論を発表するときには関係した人すべての名誉を讃えて引用する。
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  • 12:37  その引用の連鎖を書ききるのが博士論文の第2章先行研究レビューである。ここを名誉を持って書ききる誇りを持って欲しい。さてもう一つ大切な名誉がある。それはコンセプトの検証だ。方法論を示してデータを提示しコンセプトが正しいことを検証する。検証する方法を明示する。
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  • 12:39  この段階で妥協してしまう研究が多い。証明しやすい方法が導入される。その方法と研究のコンテキストの関連が曖昧なままである。かなり有名な国際学会の論文を見てもこのあたりの緩いところが多いし、出来てしまったコンセプトをありえないような社会科学的方法で検証しようとする論文も多い。
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  • 12:40  まあそのチャレンジの態度で一流論文から三流論文に分かれる訳だが、ここで絶対に行ってはいけないのがデータのねつ造である。剽窃と並んで不名誉な行為だ。まあインタラクションデザインにおいてはあまりおこらないが自然科学やエンジニアリングの論文においては時々発生し世界的スキャンダルとなる。
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  • 12:42  アイデアでしか存在しなかったものをコンセプトを提供して利用できるようにした、という論文であればそれは高く評価される。アイデアがオリジナルで、コンセプトを構築してそれを検証した。そのときにコンセプト構築に人の手をかりたり人の論文から方法をかりても引用しているかぎり、評価される。
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  • 12:44  アイデアを作った人も評価されるし、コンセプトを作った人も評価される。だがアイデアだけ、コンセプト(仕組み)だけではなかなか難しい。こうしたところに気配りするのがアカデミズムの心性である。そして謝辞。所属する研究室、アイデアを交換する勉強会、論文の相談に乗ってくれた人すべてが対象。
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  • 12:45  さて、アイデアから謝辞までアカデミズムのお作法と技法を説明してみた。ここで一番問題になるのはアイデアである。アイデアをそのまま評価して名誉を与える仕組みはない。アイデアの私有を認めると科学の発展がないからだ。アイデアを公開するためにアカデミズムの仕組みがあると言っていい。
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  • 12:49  したがって、公開する前のアイデアは盗まれたら負けだ。アイデアを名誉にすることも出来れば金にすることも出来る。アイデアを盗んでも罰則はない。負け犬の遠吠えになる。佐々木俊尚さんが紹介していた新井満氏の「千の風になって」盗作事件がある。http://bit.ly/awEA7F
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  • 12:51  アイデアを新井満氏が「盗んだ」ことは明確だが、法律として盗みを働いたと罰則を科すことは出来ない。特許とかだと別だが。なのでアイデアは盗んだ方が勝つ。ゲームの理論でも説明されることだ。だが豊穣なアイデアは一人では出てこない。コラボレーションが無数の豊かなアイデアを生む。
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  • 12:53  つまりアイデアが無数に生まれてくる研究環境において人のアイデアを盗んで論文を書いても罰則はない。人の貢献(論文とかプログラムとか理論とかコンセプト構築法とか解釈とか場合によっては相談への私信とか)を引用しないと剽窃であり、データを改ざんするとお終いだ。だがアイデアは盗み勝ち
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  • 12:55  なので研究機関はアイデアの管理に注意をするし、厳重に警戒をする。すこしまえアメリカの研究所が日本の研究者をスパイとして拘束した事件があったが、それも同じだ。特許になると公開されるのでアイデアとして秘密のままにしている企業研究所もある。
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  • 12:57  アカデミズムにおいてアイデアをどう扱うか。これは共同体としてアイデアの名誉を守るしかない。共同体メンバーの一人一人が紳士であるかどうかだ。紳士でないとわかればその共同体から除名する。それだけ凜とした態度をもつ研究共同体を維持するには、アカデミズムで名誉をえる感動を示す必要がある。
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  • 12:59  そのためにはきちんとしたアカデミズムで名誉を得るように博士課程の学生を指導していくしかない。論文の数を競争している卑しい研究者が日本も含めアジアには多い。残念なことである。追いつけ追いこせの弊害だ。KMDは名誉があり実力のともなった研究者に博士号を出して進んでいきたい。
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