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2011年3月31日木曜日

デザイン思考と経営戦略 いよいよ勝負!

  • Wed, Mar 30

  • 20:14  大阪市の会オープンイノベーションビレッジ(仮称)の委員会午前中。午後一杯2年間続いたある会社のワークショップ最終回。5月過ぎに経営陣に新事業提案。グローバルコンペティションで生き残っていくために売り上げを3倍にする。その一翼を担う提案が出来るか!!メンバーはいよいよ勝負だ!

  • 20:18  デザイン思考は人間を観察してアイデアを作る方法である。これ以上でも以下でもない。そして非常に強力な方法だ。だがこれだけでは経営戦略には使えない。アイデア開発手法として教育プログラムにくみいれられるのがせいぜいだ。だがそれではこの方法の真価は出ない。

  • 20:21  売り上げと利益率の両方に貢献しないと、宝の持ち腐れである。だがここはマッキンゼーのような戦略コンサルティングかマーケティングが主導権を握る領域だ。ここにデザイン思考の方法を活用してどのように切り込んでいくか。京都との会社のワークショップはここが焦点だった。

  • 20:23  方法の習得、デザイン思考スタジオのデザインと実際の施工、そして新事業提案と進んできた。僕が手がけてきたコンサルティングの中では比較的売り上げが少ない。大きな会社の事業部くらいの売り上げなのだが、この規模が幸いして小回りが利き、人材も育ち、イノベーションも出来たと思う。

  • 21:10  民族誌をきちんと行う。ここがなんといっても難しい。潜在的な顧客を観察して記述して分析をする。ここがすべてである。しかし、ひたすらフィールドワークを行っても駄目である。ある程度民族誌の技法がつくまで経験が必要である。だが、その段階が終わったら誰を観察するのかが大切になる。

  • 21:23  つまりこの段階で市場を考える。そう、マーケティングとデザイン思考は実はほとんど同じ作業なのだ。市場にいる顧客の購買分析をするのがマーケティング。今存在しないマーケットに対して商品を企画する方法がデザイン思考なのだ。したがってまずは市場を見つけないことには話は始まらない。

  • 21:30  市場をみるとは顧客を見ることだ。メーカーの場合、初期の基礎開発から事業化を目指す製品開発の段階で市場を見ない。いわゆるプロダクトアウトといわれる方法をとる。すでに市場に製品があり競合差別化のときだけ市場を見る。お客様のニーズにそって商品開発というやつがこれだ。

  • 21:34  だが、なにか製品のコンセプトがあったとき、それをどう見るかつまりその市場をどう考えるかで大きく変わる。音楽をHIFIで再生する音楽携帯端末とみるか、音楽コンテンツの流通のメディアとしてみるかでウォークマンとiPodは勝負する市場が違っていた。そして市場とは顧客のニーズである。

  • 21:35  市場は顧客のニーズから逆算して考える。そのニーズにどのように商品やサービスを展開するかを考える。マーケティングは市場調査を重視する。だが、まだ市場はないのだ。潜在的ニーズをみつけて市場を創造する。これがデザイン思考だ。では市場をどのように定義するか
Thu, Mar 31
  • 10:05  先ずやっておかなくてはならないのは人口学的なトレンドの分析である。『イノベーションと起業家精神』ドラッカーは人口構造にかかわる変化をもとに何が起こるかを考えると間違いをすることはないとまで述べている。あらためてその重要性を指摘してもそんなこと解っていると思うだろう。

  • 10:14  ところがイノベーションのためのデザイン思考ワークショップを行っていると、実際の意志決定の時にマクロな人口学的な流れを意識することは少ない。なのでドラッカーは、まずは人口構造を理解しましょう、と述べるのだ。

  • 10:17  で、それが解ったらどうするのか。ここがポイントだ。実は人口構造の変化は前もって解る。若者は中年になり、老人になる。何年後にどうなるかは前もって解る。ドラッカーはこれをリードタイムと呼ぶ。人口構造の変化はビジネスの機会である。ここに備えてイノベーションを行う必要がある。

  • 10:22  ところが若者に物を売れば利益が出るという既成概念がものつくりの世界では消えていない。途上国にいこう、というのも若者がいまいるからだ。しかし若者も中年になる。「途上国」すらなくなろうとしている。平均寿命が70歳を越える国はざらである。

  • 10:23  変化が顕在化する前に手を打つ。これが人口構造をマクロに捕らえてイノベーションを行うときの態度の一つである。この方法は非常に有効である。なぜなら競合他社は変化は先に起こることだと思っているからだ。しかし起こってからでは遅い。今イノベーションをする。これがマクロで市場を見ることだ。

  • 10:30  次にミクロに市場を見る。普通にマーケティングで使われている道具が役に立つ。誰を観察するのか。どのようなニーズを持った顧客に対して売るのかなどを整理する。そのための道具がどのマーケティングの教科書にでも普通に書いてあるセグメンテーション・ターゲティング・ポジショニングである。

  • 10:39  セグメンテーションとは市場を細分化することである。ターゲティングはセグメンテーションで細分化された市場のどこをターゲットとするかを決めることである。ポジショニングは顧客にとって開発する商品やサービスが何であるかを明確に位置付けることである。この三つは同時に行うが異なる作業だ。

  • 10:43  こうした作業をおしえていると、セグメントサイズとか顧客アンケート調査とかの話と混合する。こうした話はマーケティングリサーチの話だ。デザイン思考はマーケティングリサーチにおける定性的な手法としても使える。だがそれではもったいない。もっと過激なイノベーションに使うべきなのだ。

  • 10:46  今ある市場の分析をいくらしても新しい市場は解らない。新しい市場は自分で創るしかない。デザイン思考という方法でイノベーションに挑戦して新規市場を生み出すのである。このあたりの整理はある程度フィールドワークを行ってからでも遅くない。マクロな市場動向は変わらないが、ミクロは変わる。

  • 10:50  さて、セグメンターション、ターゲティング、ポジショニングを明確にした後で、もう一度そこに相当するであろう人に対して民族誌的調査を行う。濃い記述と5モデル分析を徹底的に行う。ここでマーケットリサーチの方法を無意識に取り入れてしまうことが多い。多分会社でそういった研修があるのだろう。

  • 10:52  だがデザイン思考は創造的な活動なのだ。顧客にとってどのような商品やサービスが受け入れられるのか、つまり隠された無意識のニーズが何であるかはいくらアンケートをしたり観察して気付こうとしても無理である。観察して記述するのだ。それから自分で顧客の生活世界を解釈してモデルを創る。これをメンタルモデルと呼ぶ。

  • 10:55  そのメンタルモデルを反映したペルソナを想定して、ペルソナが使う製品やサービスをとりあえず作ってみる。そして顧客に渡してみる。顧客の反応がよければ、メンタルモデルの正しさは検証されたとする。反応が悪ければ作り直す。この作業を繰り返すのだ。セグメンテーションとターゲティングが変わることもあるだろう。

  • 10:56  この作業を確実におこなうためにアラン・クーパーが開発したのがペルソナ法である。この方法でなければいけないということではないが、ペルソナを作りゴールを設定してゴールを達成するまでのインタラクションプロセスを工夫することで、非常に正確に顧客のニーズにあった商品やサービスができる。

  • 10:58  また個別のプロダクトを作るだけ、つまりプロダクトアウトの製品でしっかりとした利益を生み出していくことは非常に難しくなってきている。モノがないときに製造設備を強化してものを行き渡らせた。これが工業社会の仕組みだ。モノを作ることが簡単になると、今度は広告やデザインで欲望をかき立てた。

  • 11:00  これが戦後消費社会の仕組みだ。だがモノを所有することで幻想を楽しむというという仕組みも市場において有効性を持たなくなってきた。人は所有による幻想以外の人生の目的をもっているのだ。それが何であるかを捜し出してイノベーションすることが必要なのだ。

  • 11:02  まとめ:マーケティングの基本道具に加えて民族誌記述と分析による仮説的メンタルモデルの構築。これがデザイン思考の第1フェーズである。ここが終わった段階で次はプロトタイプを作りながらメンタルモデルの検証をおこなうというbuild to thinkのフェーズに入る。(完)

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2011年3月30日水曜日

お勉強会メニュー 3月28日

  • Tue, Mar 29
  • 08:55  おはようございます。昨晩はNUS工学部で5日間デザイン思考ワークショップを行ったチームと総括と打ち上げ。方法論の新しい展開があった。やはりアウェイでやってみると方法論の評価改善に役立つねえ。

  • 08:56  Champagne Taillevent, Chateau Meyney 2004はマグナムで。Pomerol のChateau Chantalouette 2007、Haut-Medoc のChateau Lenejac 2006。最近気に入っている「経済的な」ワイン群から。

  • 09:00  お料理はみんなでつくった。ホンビノス貝の白ワイン蒸し、するめいかのオリーブオイル炒め。たっぷりのニンニクとコリアンダーで。メインは鳥の丸焼き。2キロ以上の大きな鳥をみつけたので、1時間焼きました。あと野菜とチーズ。簡単に手早く。ちゃんとしたワイングラスと食器を出して盛りつけ。

  • 09:02  7名での会食でしたが、11時過ぎまで楽しくすごしました。お勉強とワインと食事とお喋り。やはりアカデミアはこの饗宴をしぶとく続けてwicked problemに挑戦をすることが大事ですねえ。

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2011年3月29日火曜日

ポスト西洋社会と21世紀の啓蒙主義(平成22年度慶應義塾大学大学院学位授与式祝辞)

はじめに

この度、東日本大震災の被害にあわれた多くの皆様に心からお悔やみ、お見舞い申し上げます。

1:リーマンショックその後

さて、2008年のリーマンショックから徐々に世界が立ち直ってくるにつれて資本主義の活動の中心が西洋から東洋へとシフトしています。今日はこの問題についてすこしお話しして卒業する皆様へのメッセージとさせていただきます。スピーチのタイトルはポスト西洋社会と21世紀の啓蒙主義です。

2008年、慶應義塾大学とシンガポール国立大学は共同でCuteセンターを設立しました。私はそこの研究員としてまた昨年度からは工学部の招聘教授として、年に30日以上シンガポールに滞在しています。リーマンショックの時はさすがにすこし景気が冷めましたが、直ぐに復活して、2010年の夏以降には、人々の動きや経済活動の勢いがいままでと質的に変わったなという気がするほどでした。その頃、シンガポールのホテルで朝食を取っていた時に、ファイナンシャル・タイムズ(Financial Times以下FT)に、「西洋はいまこそ自らの理想に従って行動を開始しなくてはならない」という見出しの記事を見つけました。産業革命からすると、200年ぶりの、そして大航海時代を考えると500年に一度の大きな時代の変化がきていると言うわけです。(注1)
“The west must start living up to its ideals”  By Dominique Moïsi
August 3 2010, Financial Times
リーマンショックの前の世界には妙な資本主義が跋扈していました。市場からの資本の直接調達、日本の資産だった郵貯をむしり取りに来るグローバルな金融資本主義、そして奇天烈な銀行の行動。このことを的確に鋭く批判をしている人はいましたが、その声を聞いて行動を自粛した人は少なく、心ないお金が動きました。多くの銀行が資本主義の強烈な組み替えの嵐に翻弄されました。

金融のグローバル化のかけ声によって銀行が吹き飛ばされた後に登場したのが新しい金融システムです。ファンドをつくり、投資する。安く買って高く売る。グローバルにこれを繰り返す。ババ抜きになる。頭の良い人がややこしい理屈を作り、我々の生活とは関係ないところに「市場」をつくる。ところがリーマンショックでそれが壊れたのです。

リーマンショックの直後、「数値をいじくり回すMBAを作り続けてきた我々は間違っていた」とハーバードビジネススクールのトップが発表しました。そして2010年7月に新しくビジネススクールの学長になったのはニティン・ノーリア(Nitin Nohria)であり、彼は経済や財務の専門ではなくリーダーシップと倫理の専門家です。個人の収益を最大化するためにシステムを駆使する専門家を育成するのではなくて、アジアとどのように向かい合っていくのか、よきリーダーシップとはなにかなどを考えることをビジネススクール教育の柱にする、というメッセージを送っています。(注2)

 注2 “A health check for Harvard” by Stefan Stern
October 20 2008 FT
URL:
“Dean poised to shake up business”  by Stefan Stern May 10 2010 FT
URL*


有名にならなくても金持ちにならなくても自分自身が幸せになり、プチブルジョワジーのような自己中心的価値ではなく、といって英雄のように世界を支配するわけでもなく、生きていく。そのことが新しい社会システムの構築に繋がっていく。そのためには新しい英知、技術、倫理も、そしてなによりも新しい原理で運用される資本が必要となる。新しい資本主義の誕生が求められているのです。


FTのこの記事を書いた人はドミニク・モイジ(Dominique Moisi)です。彼は『感情の地政学』The Geopolitics of Emotion: How Cultures of Fear, Humiliation, and Hope are Reshaping the Worldという興味深い本を書いています。この本は世界の文化を感情で区分したもので、具体的にはインドと中国が希望、イスラム諸国は屈辱でヨーロッパアメリカは恐怖が文化的特徴だとしています。グローバル化とはこうした異なる価値観を持った"他者"との関係が重要になることなのだと言うわけです。

彼はリーマンショック以後の世界は「ポスト西欧社会」だと言います。イギリスがインドを征服して、中国の帝国が亡びる前の世界はプレ西洋社会です。そのあと、西洋はインドや中国を自分たちより「劣っている」と考えはじめます。西洋社会の登場です。しかしそれ以前は16世紀のヴェネチアとオスマン帝国の関係、あるいは初期の東インド会社とインドの関係は共感と好奇心に満ちたものだったのです。

西洋社会は、西洋が他者を支配し、他者を劣ったものと見る時代でした。だがその仕組みがついに崩壊したとモイジは述べます。資本は西洋から東洋へと移動している。人口学的にも2050年にはヨーロッパとアメリカ合衆国の人口の合計は全人口の12%にすぎなくなります。

現在、インドも中国も経済的に高度成長期にあります。このまま拡大していき、やがて多くの問題が生まれてくるでしょう。だが、西洋社会はこうした国と新しい関係を結ぶ必要があるのです。それは経済・財政、あるいは軍事的な関係というわけではなくて、理念あるいは理想、つまりは民主主義をとおした関係だといいます。

ヨーロッパの帝国が世界の覇権を確立して、非西洋の世界を「劣っている」と見なした少し前の時代である18世紀にヨーロッパで啓蒙主義が生まれます。人間の偏見からの解放を主張した18世紀末の啓蒙主義と民主主義ですが、20世紀後半にはその存在自体がヨーロッパでは危うくなり、北欧でかろうじて残っただけだとモイジは述べます。北欧では権力はつつましく、女性の社会進出が確立している。だが他の西洋諸国の体制はそうではない。ヨーロッパの社会は啓蒙主義の理念からはほど遠い。そして20世紀の資本主義がリーマンショックで終わったのです。

モイジはヨーロッパの思想家なので、西欧の国は自分たちの忘れ去った啓蒙主義の理念をもう一度自分たちの社会のなかで「再発明」するべきだとのべます。そしてそれはアジアに始まっている新しい資本主義と啓蒙思想をどのように組み合わせていくかをアジアとともに考える事でもあると主張するのです。


2:若者の反乱

2011年始めにはもう一つ大きな出来事がありました。それは若者の反乱です。チュニジアやエジプトでは若者が旧体制に反抗しています。一方英国では大学の授業料値上げに反対してやはり若者がデモを行いました。ある国では若者が多いために混乱が起きていて、ある国では逆に少ないために問題が生じているのです。人口学的な変化がこの原因です。多くの子供が大人になり、女性が子供をあまり産まなくなり、大人は長生きするようになる。この3つの変化が全世界を変貌させています。第1の要因は若者の割合を増大させ、第2の要因は今度は逆に若者の割合を下げます。そして第3の要因が老人の割合を増やすのです。FT紙でマーチン・ウルフ氏が「何故世界の若者は不愉快なのか」で興味深い指摘をしているので紹介しましょう。(注3)

注3 “Why the world’s youth is in a revolting state of mind” by Martin Wolf
February 18 2011 FT
URL:

人口が増えてやがて減る。動きはこうです。1954年、英国の平均寿命は70歳で乳児死亡率は3%でした。一方エジプトは平均寿命44歳、乳児死亡率は驚くことに35.3%です。2009年にはイギリスの平均寿命は80歳に延び、幼児死亡率は0.55%まで下がりました。エジプトはそれぞれ70歳と2.2%です。この半世紀あまり、一人の女性が子供を産む数は英国では2.3人から1.8人へ。エジプトでは6.5人から2.8人へと減少しました。イランでは7人から1.8人まで激減しています。人口が増大して減少する。この変化は先進国で起こったことですが、現在開発途上国ではそれを上回るスピードで展開しています。子供が幼くして死んでしまう悲しみが一般的ではなくなり、女性は終わりのない出産から自由になります。その結果として、古い社会の仕組みが機能しなくなっていきます。2011年のエジプトの人口の半分が25歳以下です。また36%が15歳から35歳です。一方英国では25歳以下は31%です。

50歳以上の人間は英国では35%です。エジプトでは15%に過ぎません。英国では社会システムが50歳以上の人に都合がいいように作られており、若者には不利になっています。エジプトでは若者の数が多いので、彼らに権力を渡さないと社会の安定を保つことは難しい。だがエジプトも同じ高齢化の運命をたどるといわれています。

2040年にはどうなるか。エジプトの人口の26%が50歳以上となります。イギリスはさらに高齢化が進み、41%が50歳を越えます。要するに世界中で高齢化が進むのです。イタリーは英国より早く高齢化が進み、50%が50歳以上となります。さらに9%が80歳以上になるといわれています。

いま若者が急激に増えている国は若者に職をあたえる政治を行わないと社会は維持できない。ムバラク支配の崩壊の原因はここにあります。中国も同じ問題に直面するといわれています。若者に仕事を与えなくてはいけないのです。

では先進国では問題はどう展開するのでしょうか?高齢者は働き続けるでしょう。だが若者にも職を与えなくてはいけません。社会の高齢化に相応しいシステムの構築が必要となっています。つまり、発展途上国も先進国も同時期に若者の叫びに対応する必要が生じているのです。若者は「いまのシステムはフェアではない」と叫ぶ。もっともです。だが覚えておいて欲しいのは最終的に今の若者が勝利することです。年長者はやがて老人になり去っていく。それは時間の問題なのです。

ウルフ氏の指摘する人口学的な動きについては最近非常におもしろい番組がありました。大量のデータをコンピュータグラフィックス技術を使って視覚化してその意味を一瞬で理解するという試みです。ハンス・ロズリング(Hans Rosling)がイギリスのBBCチャンネル4にむけて制作したテレビ番組「統計の楽しさ(The Joy of Stats)」の中で放送された「200の国の200年を4分で」というビデオがあります。YouTubeで紹介されて、大人気となり、いままでに400万人以上の人が見ています。このビデオが教えることは産業革命が始まり西洋世界の覇権が浸透した200年は技術の進歩により生活が豊かになり人々の平均寿命が延び続けてきた時代だったと言うことです。第二次世界大戦後植民地が解放されるとこの動きはさらに加速して、いまではすべての国が200年前と比較にならないほど平均寿命が延びて所得も上がっています。確かに科学技術が人間社会のあり方を根本から変えてきました。(注4)

注4 The Joy of Stats  “Hans Rosling's 200 countries, 200 years, 4 minutes”



しかしほとんどの国の人々の平均寿命が70歳を越えて高い生活水準で日常生活を送るようになった今、我々は何処に向かうべきなのでしょうか。行き場のない感じが世界を覆っています。21世紀社会を新しく創り出すためどのようにして第一歩を踏み出せばいいのでしょうか。


3:技術の変化

2011年の北アフリカや中東での若者の反乱は1840年代のヨーロッパで体制に対して反抗した現象と似ています。1848年(163年前)のパリで民主主義をもとめる多くの人たちによって絶対王政が終わり、共和国が誕生しました。フランス2月革命と呼ばれます。この民主主義による革命の情報は当時の新技術:電信、蒸気エンジンで刷られる新聞、鉄道でヨーロッパに伝播し、フランス革命の後、1ヶ月も経たないうちにヨーロッパの国々で絶対王政が倒れ、民主的な内閣が登場したのです。これを3月革命と歴史家は呼びます。革命の影響は大きく、その後フランスに国王が現れることは無く、革命はフランスに留まらず、ドイツ・オーストリア、イタリアとヨーロッパ各地に伝播しました。

福沢諭吉『西洋事情』を書いたのは1866年、1868年、1870年です。フランス2月革命の後です。著作集第一巻の口絵に扉絵の複製がありますが、地球の周りに電線が張り巡らされ、電信のスピードが示されています。汽車、汽船、気球、新しい都市などのイラストが添えられており、まさに産業革命が始まろうとしていた19世紀の西洋についての報告なのです。こうした技術を使っていかに済人、つまり人を救う経済や政治を考えていくべきかがこの本が当時の読者に向けて発していたメッセージです。

2011年の中東での若者の反乱は1848年の2月革命と同じような非常に大きな変化をあらわしています。北アフリカと中東は3つの大陸が交差するところであり、現在経済的繁栄を享受している地域とこれから発展する地域が向かい合っている場所です。そして教育を受けた若者が多数いる地域でもあります。彼らには自分が受けた教育に相応しい仕事がありません。若者の高い失業率が現在の反乱を引き起こしたのです。

こうした若者達は21世紀の新しいテクノロジーを身に付けています。すなわちインターネットソーシャルメディアです。TwitterFacebookのような技術を使って今までは不可能だった密度の濃いコミュニケーションを多くの人たちとこの地域で行い、革命を可能にしたのです。情報を交換して、また新しい情報からアイデアを生み出していきます。いまのところ若者の反乱が大規模な暴力的活動には結びついていません。多数集まり、体制に対して表現の自由と職を求めている。短期的に見ると、この動きは軍隊などによって抑圧されるかもしれませんが、長期的には若者の反乱は多くの発展途上国に広がるといわれています。それだけではなくイギリスでのデモに見られるように発展した国においても若者は反乱します。

現在の大人は自分の生活の現状を守るために政府の負債を増やし、環境を破壊してきました。発展途上国の若者が先進国の経済活動の犠牲となり安い労働力で働き環境も破壊されました。若者は将来において安定して存在していく補償のないシステムを前の世代から手渡されているのです。(注5)
注5 “1848 vs. 2011” by Kurt Andersen Thursday, March 10, 2011 Time
URL:

これから新しく登場してくる社会の中で持続可能な産業を創出するにはどうすればいいのでしょうか。技術が大きく変わり、政策の立案の根拠が変わってきています。知識はたっぷりとネットワークの中を流れています。こうした知識を創造的に活用して新しい社会を創造する時が来ているのです。勿論新たに政策立案をしたり、社会制度設計を行う道はそれほど平坦ではありません。創造的な活動に挑戦するときに多くの障害があるのです。でもそれを越えて行かなくてはいけません。

今回エジプトの若者の活動をある当事者が革命2.0と呼んでいます。革命の英雄がいるわけではない。Web2.0と呼ばれるソーシャルネットワークがその利用者の個々の力を集合的にあつめることによって力を出したように、エジプトの革命は革命2.0だというのです。20世紀的な意味では「革命」ですらないかもしれませんが、若者の動きで社会システムは変わっています。Web2.0においては、インターネットのユーザー個々人が自分で少し情報を入力します。多数のユーザーが入力した情報が集められ整理され、再び個々のユーザーに戻されます。個人は自分の能力を超えた知識や知恵を、自分がほんの少し主体的に参加するだけで得ることが出来ます。200年前に始まった産業社会をささえたコミュニケーションのあり方とは根本に異なる情報システムがWeb2.0です。その考えで作られたFacebookやTwitterというアプリケーションを活用して行ったので革命2.0というわけです。(注6)

注6 Wael Ghonim shares Revolution 2.0 experience on Ted Talks




4: 効率性を越えた新しい社会システムを作る

多くの組織は前時代のテクノロジーを前提とした仕組みをいまだに維持しています。コミュニケーション技術と交通技術は効率性を優先させて単一的なシステムを優先する設計がなされています。効率的だけどいざというときに機能しなくなる。システムの完璧性をもとめてもどこかで問題が起こる。これが過去200年発展してきた巨大システムの欠点です。通信も交通もエネルギーも都市も効率的システムとして設計され造られてきました。このようなシステムはロバストネスをそなえた有機的な構造を持っていません。ロバストネス robustnessとは周りが混乱していても機能を保つことが出来るシステムの特性のことです。環境の変化に対して様々に対応していけるような特性を持っているシステムをロバストであるといいます。デモの間も人々と人々の緊密なコミュニケーションを確保したソーシャルネットワークは非常にロバストな仕組みです。もともとインターネットはそうした非常時におけるコミュニケーションを確保するために作られた技術という歴史もあります。

我々はいま、19世紀後半から20世紀の倫理や哲学では解決できない問題に直面しています。過去20年にわたって我々が経験してきたように、20世紀のシステムは変化に対してロバストではありません。さらに、効率的で誤りのないシステムを構築することは不可能に近いほど難しいことです。21世紀を生きのびていくロバストなシステムを作るために必要なのは実は天才的な閃き、超人的な技術力、神のような芸術性ではありません。必要なのは自分と異なる他者とコミュニケーションする力です。様々な人が社会で様々に出会いコミュニケーションをする。この環境を維持し守ることがシステムをロバストにするには大切なのです。コラボレーションすること、お互いにコミュニケーションすること、お互いに依存すること、お互いを必要とすること。人間が存在して繋がっているシステムです。このイメージは18世紀啓蒙主義には存在していましたが、19世紀20世紀とあまり機能しなかった考え方です。

こうした時代の流れを感じてみると福沢諭吉が『西洋事情』(1866)を記し、『学問のすすめ』(1871)を著し、「世間通常の人物」同士の開かれたコミュニケーションの重要性を論じた『文明論之概略』(1875)を明治の初期に書いた気持ちがわかります。もっとも彼はコミュニケーションと呼ばずに「交際」と呼んでいますが。彼は日本の社会に「交際」を通じて啓蒙思想を導入する必要性を感じていたわけです。いま、21世紀に入り、世界は再び激動しています。人口学的にも資本の視点からも、世界の中心はアジアに向かっています。200年あるいは500年ぶりの大転換期なのです。その時に、君たちには、西洋社会の貢献である啓蒙主義と民主主義を継承しつつ、ポスト西洋社会に相応しい新しい社会システムの構築にむけて、一身独立社中連携して向かって行ってもらいたいと思います。

皆様、卒業おめでとうございます。


2011年3月26日土曜日

デザイン思考を越えるための読書案内

  • Fri, Mar 25

  • 09:35  おはようございます。今日は3時から大阪市とのリアルプロジェクト来年度に向けての最終打ち合わせ。定義できなくて分析できない問題wicked problemを解くにはプロトタイプをデザインして現場に持っていき、修正する。何回も繰り返す。来年度もリアルプロジェクトはすべてこの方向で。

  • 10:06  何人かの方に教えていただきましたが、この文章はいいね。参考になる。"Design Thinking" Isn't a Miracle Cure, but Here's How It Helps http://bit.ly/egPYDx

  • 10:10  デザイン思考を本当に考えるなら、この本。Rittelの論文は15年くらいに紹介されて読んだ。The Universe of Design: Horst Rittel's Theories of Design and Planning 来年度の博士論文工房での課題書だな、これは。

  • 10:16  博士論文書いている暇ないよというビジネスの現場の人にはMarty Neumeier The Designful Company。一昨年の僕の会社オプティマは本書の枠組みを使ってコンサルティングをした。で成果が出てくると結局はwicked problemに挑戦することになる。

  • 10:18  wicked problemを解くには現場の人の声を聞かなくてはならない。難しい問題をどうにか人間の知恵で解決している。それも無意識の実践だ。なにか問題が起きて(breakdownという)初めてその存在が解る。無意識に適応(appropriateion)しているところを見つける。

  • 10:19  そして見つけたところを解決するプロトタイプをデザインして提案する。難しい状況で無理なくそのプロトタイプが使えれば、利用者のメンタルモデルを反映している。駄目なときは作り直し。でも不完全なプロトタイプでも現場の人はいろいろな意見を言ってくれる。これは質問して得る答えとは違う。

  • 10:21  こうした実践の中からシステムをくみ上げる方法は科学と言うよりは人文それも解釈学的な主観的な行為である。大規模システムは実はこうした人間の主観的な実践が科学的論理的システムをつなぎ合わせて存在している。すべて論理的に作ることは出来ない。またすべて実践的だと人間への負荷が大きい。

  • 10:23  この問題に設計論から初めて挑んだのが、Alan Cooper のThe Inmates Are Running the Asylum。これがマイクロソフトのほぼつかえないWindows3.1をWindows95に再設計した当事者の理論。僕のデザイン思考の原点。

  • 10:26  この本は『コンピュータはむずかしすぎて使えない!』として翻訳されている。翻訳者がコンピュータの仕組みも理解があって、英語が圧倒的によくできる山形浩生氏なので、一読をお勧めします。

  • 10:39  いまHenry MintzbergのTracking Strategies: Towards a General Theory of Strategy Formation をKindle で買おうとしたら、日本からでは買えないと。むか!!

  • 11:47  友人が、昨日コックさんの指導のもと、何人ものボランティアと1500匹以上の焼き魚をつくり、あと諸々準備して炊き出しへ。お魚も築地からのボランティア。今朝宮城県にバスで向かう。問い合わせると、どこどこに支援お願いします、と情報が入る。大きなお鍋とプロパンガスを持って。片道6時間。

  • 13:05  そろそろ名古屋駅到着。少し早めに大阪に着くな。
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2011年3月18日金曜日

デザイン思考とメンタルモデル

  • Thu, Mar 17

  • 06:33  新幹線で大阪に移動中。大阪市とKMDで行っているデザイン思考スタジオワークショップ第3回。民族誌の発表。午後は京都で某社とのワークショップ。戻って7時30分からKMDで訪問者ご案内。その後会食。

  • 09:44  KMD大阪堂島参上。今日は民族誌の発表。濃い記述と5モデルの分析。これは超越論的還元。メルローポンティ的には記述して「スイッチを切る」。ここをしっかり行って形相的還元 eidetic reductionに向かう。これがIdeation。今日はそれもすこしやる予定。現象学の実践。

  • 08:54  新大阪から新幹線で東京に戻る途中。昨日のデザイン思考ワークショップは非常におもしろかったしレベルも高かった。若い人を対象にワークショップをすることが多いが、会社の経営レベルの人たちに行うと、なにか本質的な所に触れる。「見栄とか恥ずかしさをはずすといきますね」とは参加者の感想。

  • 08:57  デザイン思考のエッセンスは顧客のメンタルモデルの発見だ。その手法として超越論的還元(フィールドワーク)と形相的還元(Ideation)を行う。その過程の中で本質を発見するのではなくて、現象を解釈して「本質」を創る。これをメンタルモデルと呼ぶ。

  • 09:00  メンタルモデルは単なる解釈なのでそれが受け入れられるかどうかをもう一度観察した顧客の生活世界に持ち込んで検証する。受け入れられなければ作り直す。そのうち適切なモデルができる。この流れがすべてだ。経営陣、あるいは大きな会社なら部長レベルににこの作業を行ってもらうと効果がある。

  • 09:02  8月にNUSのMOTの大学院学生にデザイン思考のワークショップを頼まれているが、彼らは学生といっても現役のビジネスマン。彼らが自分たちに必要な顧客のメンタルモデルを見つけ出すワークショップをきちんとデザインしてみよう。


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2011年3月17日木曜日

NUSDCCデザイン思考ワークショップ第5日目

  • 10:27  NUSDCCワークショップいよいよ最終日5日目に突入。午前中プロトタイプを作り、午後Glass House でプレゼンテーション。

  • 15:32  2時30分から最終プレゼンにむけてGlass House に参加者が集まってきた。もうすこしでプレゼンが始まる。

  • 18:57  5日間にわったったNUSDCCデザイン思考ワークショップ終了。プロデュースした瓜生君、各チームのTAとしてデザイン思考を伝授した安君、杉浦君、矢吹君、竹居君、佐藤さん、ご苦労様でした。KMDメソッドを初めて海外で展開したわけですが、非常にうまくいったと思います。今夜は打ち上げ。

2011年3月8日火曜日

デザイン思考と2011年プロジェクト準備

  • Mon, Mar 07

  • 11:52  来年度(4月)からの新しいプロジェクトの契約の準備に入り始めた。今年は3社から4社が前半のクライアント。面白いことに同じような領域の高度なテクノロジーを持っている会社がそろった。技術アセットにどのように価値をつけて刈り取るか、そのときに顧客を向いた開発が必要。

  • 11:54  扱っているテクノロジーがそれほど高くなければ顧客志向の開発は簡単。技術イノベーションがあるような場合、実は非常に個々が難しい。顧客のライフスタイルをイノベーションする視点が必要だからだ。ドラマ制作や広告のような手腕が必要。しかし、会社に価値をもたらさなくてはいけない。

  • 11:57  その価値はブランドだけではない。資材調達、製造、流通、広告、販売こうした実際のオペレーションをどのようにイノベーションすれば技術イノベーションによる会社のアセットから価値を刈り取ることができるか?ここがポイント。多くの会社は技術イノベーションと従来型の営業チャネルで勝負。

  • 11:58  だが、じりじりと売り上げが下がっていく。それは日本の会社だけではない。20世紀後半に繁栄した世界の大企業が同じ問題に直面した。最初は完成品の会社の利益が下がり、次に部品会社の利益が下がった。またアジアの賃金上昇を見ると、安価な労働力だけをもとめてアジアに進出はできない。

  • 12:00  昨年からアジアの資本主義は1920年代のアメリカでの展開と似てきた。フォードが工場を造り大量に安価で良質な自家用車を製造し、労働者は工場で働いた賃金で自分の自動車を買った。さて、アジアの市場にアジアの人たちのライフスタイルをイノベーションする製品やサービスを導入できるのはどこか。

  • 12:02  P&Gやフィリップス、ネスレ、ジョンソン&ジョンソンといった大企業が次々とアジアに向かっていく。日本企業も出て行かなくてはならない。そのときに日本企業のアセットを最大限に活用した価値をつけることが必要となる。いきなりアジアの市場をマーケティングするのではなく、別の視点から考える。

  • 12:04  やはり、強みはものの作り込み、クオリティだろう。日本製だから品質高いよね、デザインいいよね、欲しいよねというところだ。今年は、落ち着いてこのアセットに高い付加価値をつけるイノベーションをやってみたいな。

  • 12:06  昨年のコンサルティングは国内トップの企業が海外市場に出て行かざるを得ない状況になり、そのときにいきなり競争力のつよい会社とぶつかる。そのときのサバイバルのイノベーションはどうするか、というものが中心だった。このあたりは『デザイン思考と経営戦略』としてまとめている。

  • 12:07  最初のところを書き上げて編集者に送った。喜んでもらえたので、せっせと続きを執筆中。以上近況でした。

  • 16:43  1時30分 KMDでIのS氏とミーティング。2時30分稲蔭さん合流。引き続きミーティング。次回3月3週にS氏と僕で。4月5日、S氏と上海からのR氏と稲蔭さんと僕で。両方とも表参道。5時からH社と西麻布。ってなんだか解らないね。まあ色々動いていると言うことで。

  • 18:02  今日は珍しくこれでお仕事終わり。晩ご飯を作ろう。暖かいブイヤベースかな。これから買い出しに。
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2011年3月1日火曜日

アジアの創造性教育:植民地官僚主義をぶっとばせ

  • Mon, Feb 28

  • 00:00  最近TLやRTでアメリカやイギリスの高等教育の最先端を褒めるものが多いのでちょっと気になる。ハーバードやケンブリッジの教育制度が圧倒的に優れていることを認めた上での、高等教育に関する社会学的歴史学的なコメントを少しして起きたい。まず高等教育は誰のものかということである。

  • 00:01  いうまでもなく資本主義社会を支配しているブルジョワジーのものである。社会主義では高等教育は人民のなかから能力のある者を試験によって選抜する仕組みである。したがって卒業時の成績の順位が一生を決める。なので皆頑張る。卒業したらもう頑張らない。この手の高等教育は今回は議論しない。

  • 00:04  ケンブリッジでもオックスフォーでもアイビーリーグでも、入学を許されるのは支配階級の子弟だけだった。幼年時から古典語を鍛えられ文章を鍛えられた生徒のみが入学を許可されたわけだ。社会が近代化してくると、支配階級以外も高等教育を求めるようになる。そこで大学の意味が変わり始める。

  • 00:07  このあたりは拙著『トランスナショナルアメリカ』に詳しく書いているが、支配階級の子弟ではない若者が「学力で僕たちを選抜してもらいたい」というアピールを始めるのである。だれもが認める学力とは結局は暗記で評価する筆記試験の点数だ。だが、それを認めると支配階級の子弟は入学できない。

  • 00:08  そこで、民族グループ毎に入学の割合が決められたりした。これをクオータと呼ぶ。さらに卒業しても就職先がない。オックスフォードやケンブリッジをでても就職はないのだ。アイビーリーグでも同じだった。アメリカでは1930年代、ルーズベルト政権の時に実力に応じて要職に登用した。

  • 00:10  イギリスではサッチャー政権からではないか。フランスはブルジョア支配は1960年代に消えて、それ以降は実績主義で、いろいろな民族の人間が成績で要職に登用された。所詮暗記の試験で高い得点をとった人たちだ。アメリカでも同じだ。現在SATが高得点でないと上位大学に入れない。

  • 00:13  その勉強を見ているとあまりにも表層的だ。イギリスもAレベルと呼ばれる試験には創造性のかけらもない。暗記だけだ。なのでケンブリッジなどでは独自のテストも課している。要するに支配階級の再生産の大学から、小手先で頭のいい子が入学できる大学へと変化している。

  • 00:15  またこうして学力でのし上がってきた学生は人のことなど全く考えない嫌な野郎が多い。自分の立身出世しか考えていない。暗記市場主義で自己中心主義。不思議なのはこうしたむかつくような優等生がきちんとした教養と判断力と創造性を身に付ける。ここがアメリカの特徴。もちろん教育なので全員ではない。

  • 00:17  イギリスの大学は3年間なので、高校までに教養を身につけていないとアウト。なのでケンブリッジでてます、といってもあんまり信用できない。アメリカは4年生で、大学にはいるまでは教養がないということを前提としている強烈な教養強化カリキュラムが入学後1年ないし2年続く。ここで変わる。

  • 00:19  表層的な勉強しかしていないアメリカの高校生のうちSATで高い点をとった連中が一流大学に入り、1年か2年のうちに変貌する。それは凄いと見ていて思う。ヨーロッパは教養は家庭での教育を前提としている。IBではTOKという科目がそれに相当するが両親が知識人でないと家で教えるのは無理。

  • 00:24  なので、ヨーロッパは高等教育での「教養」の低下が著しいと見ている。労働者階級からたたき上げてオックスフォード大学を卒業してケンブリッジ大学で教えていたテリー・イーグルトンですら大学の死をうれいている。イギリス人にはただのようだった授業料も値上げとなりストが勃発した。

  • 00:27  実はイギリスの高等教育を巡る環境の変化に関してはちょっと期待することがある。現在の世界の大勢の不都合の多くはアラブもアジアもみな大英帝国のせいである。この大英帝国がついに消えようとしている。ここ1年くらいの話だが。アラブは爆発しアジアは経済的離陸が始まった。

  • 00:29  イギリス人による世界支配の道具としての高等教育の根本的な見直しが始まると見ている。ではアメリカはどうか?憎らしいまでに「正しい」正統派教育をアイビーリーグなどでは行っている。だが、何のために?世界の人を幸せにするために?アメリカはやっかいなことにこれに対する答えを持っている。

  • 00:31  アメリカ史ではマニフェスト・デスティニーというのだが、要するに世界に民主主義を普及させるミッションを担っているという考えだ。まあライシャワー氏の時代ならそうだったかもしれない。余談だが、ライシャワー氏の日本観って彼の本を読んでみるとびっくりだ。遅れている国なので啓蒙すると言う。

  • 00:33  その指摘している事実がいちいち気に障る。彼を讃える人は一度彼の本を読んでみるといい。さて話はもどって、民主主義を世界に普及させるためにアイビーリーグで必死に勉強をしている学生がどれほどいるか知らないが、まあ危害を我々に加えるほど多くはないだろう。ほとんどは自分の立身出世だ。

  • 00:36  フェイスブックの創業者を描いた映画はさもあらん、という感じだ。ではなぜ、教養もあり勇気も寛容もそなえた人物になるのか。(フェイスブックのまわりの連中は寛容はないが、寛容がエリートの最も大切な要素で、これが無いとばれるのが恥じ、とはトム・ウルフ『虚栄のかがり火』で描いて見せているところだ。)

  • 00:38  イギリスもフランスもドイツも教養を教えるのは家庭の仕事だ。アメリカでは大学の仕事になっている。そして点取り虫がいっぱしの人間になる。素晴らしいと思う。では何故日本では多くの点取り虫は点取り虫のままなのか。この状況を批判している人もまあ点取り虫のなれの果てが多い。

  • 00:44  僕自身は慶應なので点取り虫としてのレベルは低いのでこういった発言をするのは気が引けるが、今のテストで良い点を取る教育がどうして悪いのかと思う。いまNUSの工学部の若手の教員を教える仕事をしているが、NUS工学部はランキングで世界10位くらいだ。一学年1200名。

  • 00:45  そこから50名ほど選抜して特別クラスをつくった。それを教える教員にデザイン思考を教えた。学生の作業のメモやスケッチを見たが素晴らしい。頭のいい子は頭が良いのである。これは学力試験(暗記中心)で評価できる。問題はその次だ。

  • 00:47  こんなに頭のいい子を集めておいて、なぜアメリカの様な教育が出来ないのか。日本の高等教育もひどいが、韓国も駄目だ。創造性もオリジナリティもない。台湾もだめだ。自分の力で考えられない。あ、学生の話ではなくて教員の話ね。中国も駄目。シンガポールも教えていて駄目な感じがする。

  • 00:49  これは近代化を宿命とする、つまり追いつけ追いこせの教育システムの副作用かなあと思っていた。そしてインドも駄目だと最近解った。情けないくらい暗記による能力判定から先の展開がない。なにかもっと深いところに原因がありそうだと思い始めている。

  • 00:54  それは植民地官僚育成教育という名の高等教育である。インドもアジアの諸国も近代国家というシステムを運用していくにはある程度の人数の合理的な判断が出来て読み書きが出来る人間が必要である。だがそれ以上は入らない。我々は高等教育とはこの水準までの人材をつくるだけだと思っていないだろうか。

  • 00:55  いや、日本は植民地ではなかったという意見もある。植民地でもないのに植民地方式を喜んで採用して西洋にひれ伏したのが日本だというのが我が師鈴木孝夫の意見だが、それにはある程度の真実があるとしても明治からの日本の態度はそんなに悪くはなかったと思う。

  • 00:57  僕は産経新聞社まわりの日本の教科書を考えるという人たちとは真逆の立場をとっているのだが、戦前の知識人は偉かったと思う。いろいろ考えていた。陸軍や海軍のインチキぶりはたしかにそうだが、でも結構考えていたと思う。

  • 00:58  やはり大きく変わったのが戦後であり、アメリカ軍による日本支配時の教育体制の大変化だと思う。この変化に比べたら日教組の意見などささやかなものだ。この変化によって僕たちは戦前の知的伝統にアクセスできなくなっている。つまり漢字の改革だ。

  • 04:52  すこし間が空いた。漢字の改革である。戦後の漢字改革は焚書坑儒である。他民族を支配するときに文化的伝統を断ち切るのは当然の戦略であり、僕たちは戦前の知的伝統から切り離された。だからといって、戦前に戻るべきだと言っているわけではない。切り離されていると自覚して進むしかない。

  • 04:55  小説家丸谷才一氏も同じことを言っていて、漢文の素養無しに新しい教養をいかに作るかを主張している。IBはブルジョワ家庭のハビタスを教育制度にして提供する試みである。さて、「教養」を大学生のときにたたき込む。ここがアメリカの大学の特徴だと話をした。ではなぜ日本の大学はそうしないのか?

  • 05:04  さらに何故シンガポールは、インドは、中国は、台湾は、韓国はそうしないのだろうか。近代化がこれまでの答えである。追いつくためにというわけだ。だが追いついてしまった。長生きをするようになり、生活を楽しむことが大事だと知った。ところが、近代化といわれていた啓蒙的な知識の体系に答えはない。

  • 05:07  アメリカの一流大学の教養育成は確かにたいしたものだ。だが結局のところ、そこで身に付けた能力で世界を支配している。ルールを自分で決めて、そのルールで戦うことが上手い人間を育成している。それは強いよね。で我々が考えている高等教育はこの水準には届かない。近代化の方程式の先に答えはない。

  • 05:10  近代化の方程式だとおもっていた教育体系の最後の答えがない。これがいまのアジアの大学の焦りだ。それは無いはずだ。そもそも植民地支配の中間層を形成するために押しつけられていた教育体系だからだ。この体系をいきなり否定することは出来ない。近代的なシステムが壊れる。

  • 05:14  エリートは一部の大学でのみ教える。とうぜんエリートではない連中もそこでの教育を求める。なんらかの方法で入学の基準を明示化する。統一テストの点数だ。当然その点数を上げるために競争が激烈になる。そして、アメリカに限ればその競争に勝った人間に「教養」を教えようとする。

  • 05:15  その教養が身につかなければ「寛容」のない下劣な人間とされる。実際多くのこうした名門校卒のエリートが「身も蓋もない高慢ちき」というのは、このレベルの人間と仕事をした人であれば分かっている話だ。かれらは「下劣」な人たち。もちろん「すばらしい」人もいる。そうなるべく教育をしているからね。

  • 05:21  植民地時代は終わっている。にもかかわらず、高等教育の中には「言われたことをやって評価をまつ人材しか作れない」仕組みが残っている。これが僕らを含めて多くのアジアの高等教育の抱える本質的な問題だ。二番煎じと業績主義。どこかでこの連鎖を断ち切らないと先に進むことは出来ない。

  • 05:23  アメリカの社会学者が『ブラックブルジョワジー』という本を出している。ギリシャ語からはじまり西洋音楽を含めヨーロッパの正しいとされる教養を身に付けた黒人のブルジョワジーだ。彼らが黒人の地位向上に役立たないことを批判的に書いている本だが、ブラックブルジョワジーの気持ちは分かる。

  • 05:26  ルールの通りにしっかりと能力を身に付けた。だが結局約束された地位は提供されない。この苛立ちが公民権運動となり、アメリカは変わった。シンガポールではきちんとした教育を英語でおこなうというやり方にあまり抵抗感のない子供はそのまま英語で能力をみにつけてアメリカに行ってしまう。

  • 05:29  日本の文脈で言えば帰国子女状態だ。母語ではないが英語が第1言語になっている。そのあと帰国してくる者も多いだろうが行ったきりの学生も多い。だが、アメリカでのびのびと人生が送れるのか?という疑問がある。要するに、自分が何をやろうとしているのかが彼らには解らない。

  • 05:33  我々は伝統的世界からは切り離され、一方でもはや植民地支配はない。自分たちのことは自分たちで始末を付ければいい。だがその方法が解らない。これが現状である。大英帝国は終わった。でもそれはそんなに昔ではない。アジアにいると大英帝国の時代が終わってから50年もまだ経っていないと実感する。そして今、アメリカの時代が終わろうとしている。

  • 05:37  次はアジアの時代だ。それは解る。でもどうすればいいのか?日本がいま直面している閉塞感はすくなくとも高等教育ではアジア全体が直面している問題と同じだ。自分たちで自分たちが納得いく世界を作りそのなかで争いをすることなく生きていく。こうした世の中を創造することが急務なのだ。

  • 05:39  そうおもって周りを見てみる。すると、ハーバードやケンブリッジをでて「優秀」とされている人が自分からは何もすることが出来ない役立たずだ、と唖然とする。自分がケンブリッジで勉強していたときの屈辱を味あわせたくないと、子供の教育を心がけた。ところがその子供達が役立たずだ。

  • 05:42  あるいは骨のありそうな奴は国をでていく。これがシンガポールの悩みである。インドは自分で考える人間が作れない。インドの外に新しい大学を作ろうとしている。そのくらい創造的な人材が不足しているのだ。近代化教育の悲しさで創造性の「先生」をまたアメリカやヨーロッパに求める。

  • 05:45 しかし、そこに答えはない。自分で作るしかないのだ。いまの世界を動かしているルールで戦うしたたかさも必要だろうし、自分でルールをつくって楽しい世界を生みだし、様々な人を誘うのも手だ。アジアの我々の日常生活はこうした可能性に充ち満ちている。だが、目がここに向かない。

  • 05:49  さて、このくらいにしよう。アジアの高等教育は自分たちの「教養」をつくる時期に来ている。生きのびるための近代化は終わった。平均寿命も衛生状態も食糧事情も乳児死亡率も可処分所得も改善した。読み書き能力も普及した。基本的なところは充実しているのだ。次の一手は我々はどのように生きるかを考えることだ。

  • 05:51  インドネシア、中国、シンガポール、韓国、台湾の若い研究者と勉強していると彼らの人生に対する気持ちは日本の若手の研究者と同じだ。この優秀な若者がのびのびと自分の人生を生きていける環境が必要だし、彼らが世の中に貢献する仕組みも必要だ。

  • 05:53  KMDではチェコやレバノンの学生も教えているが彼らも同じだ。自分で考える。自分で世界を作る。自分の立身出世(そんなものは幻想なのだが)だけを考えてはいけない。友達をつくる、家族を作る、社会を作る。人生を楽しむ至福の時間を持つ。人類がこのような贅沢な目的をもてるのは初めてだ。

  • 05:57  そろそろお終いにしよう。点取り主義受験戦争は終わっているという意見もあった。これは別の問題だ。愚民政策というものがある。支配するにはあまり人民は利口でない方がいいという考え方だ。身体をたっぷりと活用した「詰め込み」教育を受けることは国民の権利だと思う。これはでも別の問題。いつか議論したいが。

  • 05:59  Facebook創業者がどのようなやつか?あったことがないから解らないが状況はトム・ウルフの小説『虚栄のかがり火』に描かれている状態と同じだと思う。「教養」を身に付けていないことがばれる恐怖というかそれとたたかうのが現状なので、「教養ない」と映画では描かれているわけだ。

  • 06:03  僕は教養は大事だと思うが教養主義者ではない。ギリシャ語もラテン語も漢文も出来ない。だがそうした「教養」がなくてもストリートの生活から教養を構築することが出来る。情報社会とはそいういうことだ。ピッツバーグに生まれた大学ドロップアウトのケネス・バークは若い頃の僕のヒーローだ。

  • 06:05  知識はストリートに、つまりは公共図書館に、(いまではインターネットに)ある。それをどのように身に付けるかの身体性が教養につながる。だが同じことを大学で行った方が友達もいるし無駄がない。ハイカルチャーだけではなくてローカルチャーというかポップな世界にも教養のネタは溢れている。

  • 06:10  じっくり自分の周りをみわたして教養を身につけたときに、決して世界のトップには立てない立身出世主義の道具とおもわれていた能力が生きてくる。それは数学だったり英語だったり物理だったり経済学だったりする。まず必要なことは自分で莫大な知識をかきわけて教養を身体的に身につけること。

  • 06:12  ここがポイントである。本来ブルジョワ階級の再生産につかわれていたIBがグローバルな視点から見た次世代のエリートを作る教育システムとして注目されている。この方法は英語がメインなのが欠点だが、これを日本語で行ってもよい。文部科学省も検討を始めているはずだ。

  • 06:14  下からのこうした試みに加えて、大学や大学院では「植民地官僚」根性をすてて自分で考えて自分で始末をする人生を目指す。これにつきるね。イギリスの大学制度は変わり始めた。アメリカはまだ先かな。日本も変わっていきたいものである。アジアの連中と一緒にね。(完)
補遺:
IBに関する貴重な情報を教えていただいたので、ここに載せておきます。SteFoyLesLyonFrさんはイギリスの状況を的確にTweetsしており、僕は愛読しています。この問題に興味のある方はフォローしてみて下さい。

SteFoyLesLyonFr @NaohitoOkude 驚異的な IBの成果をあげているイギリスのこの学校 http://tinyurl.com/6d4ww8l に注目しています。最近校長の話を直接聞く機会がありました。 ...


補遺2


11:08  RT @kentarohmizuno: ハーバード大学などへの留学が激減していることが問題視されている。留学しても国内就職へのメリットがないこと、若者の内向き思考などが原因とされているが、もっと底流にアメリカによる洗脳からの脱却があると思う。アメリカと少し距離を取りたい気 ... 


ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のblogからの紹介。下記URL


http://mariyoshihara.blogspot.com/2011/02/blog-post_26.html


そのとおりなんだよね。