analysis

2010年11月19日金曜日

量 子力学的世界観とインタラクションデザイン その3

  • 06:32  量 子力学的世界観とインタラクションデザイン その3:相対性理論と探偵。
  •  
  • さて第3部に入ろう。ニュートン物理学では超越論的対象つまりは神であった光が、他の現象の横並びになってしまったところまで は前回説明した。この流れの延長線上に量子力学はある。だがアインシュタインは違う。
  •  
  • 06:35  ア インシュタインの理論と量子力学の理論は相容れない。世界は確率過程であるとはアインシュタインは考えていないからだ。したがって光は超越論的対象でなけ ればならない。光は波になって他の現象と同じとされた。だが波になるには媒体がいる。つまりエーテルである。この問題をどうすればいいのか。
  •  
  • 06:38  アインシュタインはそれを公理にしてしまった。つまり光速普遍の原理をつくり、それは証明しないで議論を進めたのだ。すると出来事間の同時性はどのように確定するのか、と大澤氏は筆を進める。(91P)同時性とは同一の地点、同一の時刻に生起していることである。
  •  
  • 06:40  そ のためには空間的時間的な同一性を確認できる観察者、絶対時間絶対空間を外から見ることが出来る観察者が前提になっている。話はちょっとそれるが社会科学 の研究をみてみるとこの超越論的観察者への疑問が無いものが多いのでびっくりする。指摘しても何を言われたのか分からずぽかんとしている。
  •  
  • 06:41  方法論への懐疑が社会科学者にはない。ヒューマン・コンピュータ・インタラクション研究者にもない。学会がこうした懐疑を受け付けないところが多い。大澤氏も社会学者だからこのあたり日常的にいらついているのではないだろうか。僕は発表を聴く度にいらっとする。
  •  
  • 06:44  閑 話休題。絶対時間空間を外から眺める超越的な観察者はガリレオ変換で表す。これは「異なる座標系(異なる観察者)における二つの出来事の同一性・相対性を 確認する」という作業だ。この比較が可能になるのはこれらの座標系を包括する絶対的な座標系つまり超越的観察者を前提としているからだ。
  •  
  • 06:49  では、もし時空が相対的だったとすると、観測した出来事の同一性は確認できるだろうか。これがアインシュタインの考えた問題だ。答えは「出来る。」そのために光の速度を不変とする公理を導入した。数学的にはローレンツ変換という方程式になる。
  •  
  • 06:52  こ れは3次元の座標を考えてそこにものが存在しているとする。それにもう一つ座標軸を考えて、それを時間とする。すると4次元だ。これをイメージすることは 難しいが、ベクトルで考えると4次元のベクトルになる。存在ABを4次元ベクトルで表現し、同一と考えた場合のAからBへの変換を考える。
  •  
  • 06:54  こ の変換を成立させて、ニュートン力学と熱力学は同じだとしたのである。出来事は観測者ごとに異なった時間的空間的位置づけをもって現れる。絶対的な空間を 想定しなくても、「光を通貨として導入し、異なる観察者の観測の比較検討可能性」を打ち立てることが出来るとしたのだ。
  •  
  • 07:01  こ こで大澤氏は否定神学のロジックを持ち出す。ここがうまいね。否定神学は『エックハルト説教集』が翻訳である昔の神秘主義で異端の神学者の説、くらいの理 解だったが、最近岡田温司氏の『イタリア現代思想への招待』を読んでからイタリア現代哲学の勉強をしているのだが、その基本概念だ。
  •  
  • 07:05  否定神学とは「##ではない」という否定的な形式においてのみ神の存在を表現できるという説だ。アインシュタインは「どの観測者でもない」という否定的に表現される超越的な観測者がいるのだ。この否定的観測者が観測の間の共通性、ローレンツ変換できることを保証している。
  •  
  • 07:07  つ まりアインシュタインにおいては光は絶対なので追いつけない。ゼノンのパラドックスにおけるアキレスと亀の関係だ。つねに亀はアキレスの前にいる。光はど の観測者もその場所をしめることは「出来ない」存在だ。ニュートンの物理学においては観察者には超越的な場所が静的に与えられていた。
  •  
  • 07:10  だ が観察者が動くとき、つまり静的な超越的場所がないときはどうなるか。どこにも超越的な場所がないというのが量子力学的世界だが、アインシュタインはいく ら動いても追いつくことの出来ない光を想定した。光は異なる場所の出来事を瞬時に知ることが出来て比較することが出来る存在としたのだ。
  •  
  • 07:12  た だし否定神学が具体的なものをさして「それではない」ということで成立するように、経験的な現象、有限の速度をもつ現象と比較して光の速度の絶対性あるい は超越性が保証される。これがアインシュタインの理論だ。量子力学はこの問題を別の方法で解くが、それは次回に改めて説明する。
  •  
  • 07:15  さて、ここで大切なことはニュートン力学は科学革命であったが、この革命は絵画における遠近法の確立、絶対王政の成立、資本主義の勃興と同じメカニズムを持っている、と大澤氏は書く。(94P)科学革命は孤立した現象ではなく大規模な社会変容の一部だったのだ。
  •  
  • 07:16  20 世紀初頭に始まる第2の科学革命はアインシュタインと量子力学の二つが絡み合うが、この革命もまた社会的変容と関連する。政治経済においては帝国主義から 世界大戦へと移り、前衛的な芸術活動が活発になり、社会科学が登場した。だが、こうした変化が第二の科学革命とどう関わっているのか?
  •  
  • 07:33  ここで大澤氏は探偵小説を例に取る。コナン・ドイルチェスタトンだ。ジョイスなどの前衛小説も同じ構造をもつが、探偵小説の時間の扱いの方が分かりやすいという。だがその時間の扱い方とはなにか?それを理解するためにもうすこしアインシュタインとつきあってみる。

  • 07:45  第 2の科学革命を理解する基本は3次元の物理的空間の座標軸に時間軸をつけくわえて4次元とする感じを身に付けることにある。まあ行列式でもいいのだが、 いってみれば四角いゼリーがA地点からB地点に移動する感じ。するとぷりぷろゆれているよね。あんな感じを理解すると分かりやすいかな。
  •  
  • 07:50  お おざっぱな比喩はこのくらいにして、アインシュタインの特殊相対性理論に移ろう。速く移動している観察者の時間は静止している観察者からは遅く進んでいる ように見える。大澤氏はこれを「時間とは運動の数である」という操作的な定義を導入して説明する。そして二枚の鏡が向かい合っていると考える。
  •  
  • 07:54  この二つの鏡の間を光が往復する時間を1単位とする。鏡には光時計がついていて、鏡の間を光子が往復すると一単位と数える。鏡が移動しなければそれでいい。だが鏡が移動していたとする。すると光子が跳ね返って戻る距離が長くなる。これは普通に図に書いてみれば分かる。
  •  
  • 08:33  移 動距離が長くなり、光の速度が一定とすると、時計の一単位(行って戻って)はゆっくりとなる。さらに動く物体は運動方向に縮んで見える。これをローレンツ 短縮という。このように特殊相対性理論は一定の速度で相対運動している観測者同士の関係を定式化したものだ。ここまでは良いだろうか?
  •  
  • 08:36  物が移動するとき普通は重力があるので加速度が発生する。これを考えたのが一般相対性理論だ。リンゴは自分のあるべき場所である地面にむかっていると嬉しくなるので速くなる、というのがアリストテレスの目的論的説明だが、ニュートンはこれを重力として定式化した。
  •  
  • 08:38  加 速していく状態を微分を使って考えたわけだが、この重力の作用を相対性理論に入れるとどうなるかを考えた。つまりニュートン力学において超越的存在(無限 性をこれに当てた)として外部におかれた光と重力に経験的な性質を与えたのだ。時間と空間が縮むという現象を説明して見せたのだ。
  •  
  • 08:41  アインシュタインの理論は物質が持ちうる性質を変えることがない。ここを超越的なよりどころにしているのだ。しかし光と重力は説明の内部に取り込んだ。ここまでをよく理解して欲しい。さて探偵小説はまさに同じ思考のメカニズムをもつと大澤氏は述べる。
  •  
  • 08:43  相対性理論において光は否定神学的な意味での観察者である。なにものもその場所をしめることが出来ない。探偵小説では探偵否定的な意味での観察者なのだと大澤氏は述べる。(100P)殺人が行われて登場人物すべてに犯人の可能性がある。だが探偵だけは犯人ではない。
  •  
  • 08:46  殺 人に参加していないという意味で殺人に関わっている。否定神学的存在である。またホームズにはワトソンのようにあまり聡明ではないパートナーがいる。それ は探偵が正しい解決に達成するために誤った解決をする役を担う。マンガ『名探偵コナン』でも無能な毛利探偵が登場する。(348P)
  •  
  • 08:50  これを大澤氏は「誤りを真理へと解釈換えするためには、無謬性が投射される場所、つまりは探偵、が存在していなくてはならない」(102P)と述べる。おなじことが相対性理論においても言えるという。探偵の無謬性に対応するのが光速の不変性だという。この説明は上手い。
  •  
  • 08:52  つ まりニュートンの物理学においては宇宙を外部から観測するという超越的な視点があった。アインシュタインの物理学もその視点がある。ただし、それは直接的 にあるのではなくて、否定神学的に、つまり否定されえない存在としてある。つまりはアインシュタインはニュートン物理学を再構築した。
  •  
  • 09:01  超越的な存在としての光はアインシュタインによって完成したとも言える。したがって本当の意味での最初の科学革命からの離脱には量子力学の登場を待つ必要がある。これは次回以降のテーマだが、そのまえに大事なことがある。それは無意識の発見である。
  •  
  • 09:07  無 意識をどうあつかうか、これは大問題だ。過去30年は反哲学としてニーチェからハイデガーと展開してきた流れがポストモダニズム哲学に引き継がれ、無意識 論と混じってぼろぼろになってしまった歴史といえる。適当な議論になってしまうのだ。だが無意識という現象の発見は非常に大切である。
  •  
  • 09:10  それは探偵小説と、そして相対性理論とおなじメカニズムの考え方である。探偵小説の探偵と精神分析家はおなじ「否定神学的な超越性」を持っている。つまり事件には直接関わらず、無謬性をもっているのだ。このあたりの話はなかなかめんどくさいが大澤氏は上手く説明している。
  •  
  • 09:13  な ぜ無意識は発見されていなかったか、という問いをたてて答える。古典時代のメカニズムでは世界に内在する視点と世界の外部の超越的な視点が共存している。 これはパノフスキーからフーコーにいたるまで古典時代の絵画の分析から分かることである。ここにおいては無意識は生じていない。
  •  
  • 09:16  客観的な世界(外部の超越的視点)と主観的な世界(世界の内部にある視点)の二つしかないからだ。いまアカデミズムで、とくに科学的に未熟な社会科学やヒューマン・コンピュータ・インターアクション、あるいはマーケティグリサーチなどでも同様だ。
  •  
  • 09:19  だ が、主観とも客観ともいえないものがある。無意識の欲望や幻想などだ。主観的なつまり意識的な制御がきかない。だが客観的な実在でもない。これは「経験的 な対象であると同時にどの観測者もそこに追いつかないという否定性によって成立している相対性理論と同じ思考メカニズムだ。
  •  
  • 09:29  大 澤氏はこの思考メカニズムの問題点をスラヴォイ・ジジェックが『パララックス・ヴュー』でおこなう黒澤明『羅生門』の解釈の説明をつかって説明する。『羅 生門』は盗賊が旅の途中の侍を殺し、その妻を強姦して殺した話だ。登場人物が証言する。盗賊は女を犯して侍と決闘したという。
  •  
  • 09:42  女は犯された恥辱をしる二人の男のうち一人は死ななくてはいけないと言って二人を決闘させたという。殺された侍は幽霊となって現れて、彼は屈辱のあまり自害したという。
  •  
  • 09:45  そして最後はその事件を目撃した杣(そま)売りの証言で、盗賊は侍の妻を強姦した後侍を解放するが、侍は盗賊に犯された妻を拒否する。従来の解釈は同じ出来事でも4つの解釈があるというものであり、その場合はこの人たちを裁く検非違使の視点になる。
  •  
  • 09:48  検非違使は映画には登場していない。裁きの白州を眺める視点である。つまり観客の視点だ。こう考えると観客否定神学的な意味での超越者の立場を取っている。だが『羅生門』はもっと不気味なことを表現しているとジジェクは言う。(111P)ここからの分析がなかなか凄い。
  • 09:54  ジ ジックはあとの証言ほど女の欲望に積極的な意味があるという。強盗、女、侍の証言は4番目の杣(そま)売りの証言からの逃避ではないかというのだ。最初の 3つの証言を否定神学的超越性をもつ検非違使(探偵あるいは精神分析家)が聞く限り相対性理論的超越性が否定神学的に保たれている。
  •  
  • 09:58  だ が第4の証言者は第三者でありながら映画の登場人物でもある。我々観客は特権的な位置を彼の登場で失っている。このメカニズムをもった思考が量子力学なの である。だが時代の思考はそれほど簡単に量子力学には舞台を譲らない。大澤氏はこの流れを社会学のマックス・ウェーバーの思考に見る。
  •  
  • 10:30  奧君の頭脳で分からないことはないとおもうけど。わかんなかったら聞いて。RT@k1oku しばらく茂木健一郎氏の twit を TL から外していたのだけど復活させた。奥出先生と茂木さんの連続 twit で(中略)アカデミックだ〜。もう少し理解できるとよいのだが。(笑)
  •  
  • 10:33  さ て、ニュートン的合理的世界を20世紀に延命させたのがアインシュタインの相対性理論であれば、西洋社会で発達した合理性を研究したのがマックス・ウェー バーである。彼の記念碑的著作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は相対性理論発表とおなじ1905年に出版されている。
  •  
  • 10:35  も ちろんこの二つに直接的な影響関係はない。だが扱っている問題とそれを解決するメカニズムは同じである。狂信的にキリスト教を信じていたプロテスタントの 信者達は物質的には無欲であった。かれらが逆説的に資本主義の推進者となったメカニズムを解明しようとしたのがウェーバーなのである。
  •  
  • 10:43  ウェー バーにとって宗教の合理化とは呪術からの解放である。呪術では人間(呪術師)が人間を救済するために神々を使役する。これを「神強制」という。宗教は礼拝 祈祷などで人間が神に従属する。これを「神奉仕」とウェーバーは『宗教社会学』において分類する。神強制は合理的ではない。
  •  
  • 10:45  カ トリックの免罪符もルターの「喪失可能な恩恵(悔い改めると獲得できる恩恵)」も神強制の残滓があるとウェーバーは述べる。(116p)こうした働きかけ が不可能であるとしたときにプロテスタントの予定説つまりは合理的な世界は完結する。ウェーバーはこの考えを音楽にも広げる。
  •  
  • 10:54  グ レゴリオ聖歌、バッハ、モーツアルト、ベートーベン、マーラー、シェーンベルグと並べてみると大体の流れは分かる。平均律によって調性がうまれてそれが崩 壊するまでである。平均律は一オクターブを「2の12乗根」という半音音程に分割した。この割合が無理数による比であった。
  •  
  • 10:59  「12平均律は、調性をもった音楽、すなわち中心音を持ち、協和音をもって終結するような音楽」をもたらすために整備されてきた。(121P)しかし、第1次世界大戦の直前にシェーンベルグはこのやり方を徹底して12音技法で無調の音楽を作る。
  •  
  • 11:01  皮 肉にもウェーバーが『音楽社会学』で西洋の合理性を称えた同時期に西洋の調性の音楽は終わるのだ。僕は中学校で芸大の作曲科を卒業した教師が音楽通論(書 名はわすれたが)をつかってグレゴリー聖歌からシェーンベルグまでの音楽史を楽譜とレコードと実演で教える実験的な授業を受けた。
  •  
  • 11:04  こ れにはおどろいたね。数学的合理性で古典派の音楽が作られ、それが20世紀の前半に急変しそのあとは現代音楽だからねえ。それを横目にジャズに夢中になり 始めていたが。閑話休題。無限の導入で西洋の合理的世界が確立した。絵画でも物理学を始めとする科学でも音楽でも、古典派の経済学でも同じだ。
  •  
  • 11:06  こ の世界が壊れてくる。この社会現象にきがついてきたのもウェーバーである。合理性を研究しあるいみ讃える研究を続けたウェーバーは1910年以降、非合理 的なカリスマに注目する。それ以前のウェーバにとって、予言者は合理的な宗教に対応し、呪術師は非合理的な呪術に対応する。
  •  
  • 11:08  だ が『古代ユダヤ教』を書いたときにウェーバーはいままでにないカリスマに注目した。それは都市王と勇敢にたたかう農民戦士のようなカリスマだったという。 ウェーバーは第一次世界大戦後直ぐに亡くなりその後の展開はない。しかし、ウェーバーが感じた社会の変化に対応する科学が登場する。
  •  
  • 11:10  さて、ここまで終わってようやく「第4部量子力学の神秘」になる。光が波であるという現象をどう理解するかを巡って様々に争われていたときに、光を絶対速度をもつ存在として定義することで合理的世界の拡大と保全をはかったのがアインシュタインの相対性理論であった。
  •  
  • 11:12  相 対性理論と同じ思考メカニズムを持つのがかならず問題を解決する探偵であり、非合理な欲望を解釈して解決する精神分析家であった。新しい局面に超越的存在 を生みだし、世界を合理的に解釈するメカニズムを残したのである。だが第1次世界大戦後、合理性を救済する近代的なメカニズムが終わる。
  •  
  • 11:13  次回からいよいよ量子力学である。時間軸を持った3次元に存在する物質とは一体どのような性質をもつのか?ニュートンもアインシュタインもこの問題には挑戦していなかった。(この項、完)
  •  

0 件のコメント:

コメントを投稿