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2010年11月2日火曜日

イタリア現代思想 美学を考える

  • Mon, Nov 01
  • 14:05  イ タリア現代思想 美学を考える:最近医療から家具まで人間の生活空間に関するプロジェクトをいくつか抱えている。KMDのプロジェクトもあればビジネスと してのプロジェクトもある。そこでポストモダン以降のイタリア哲学の話をするのだが、理解するのが難しいとの声を聞く。
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  • 14:08  何度かTweetsしているのだが、何回かに分けてまとめて説明してみたい。基本は岡田温司さんの『イタリア現代思想への招待』のパラフレーズだ。このTweetsで検討をつけて、岡田さんの本をガイドブックにイタリア現代思想の海へこぎ出して欲しい。
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  • 14:19  ド イツ発のベンヤミンハイデガーといった哲学者がフランスの哲学者に影響をあたえてポストモダン状況が生まれた。これがイタリアにたどり着いたのが 1970年代である。その後フランスのポストモダン哲学者が亡くなり影響力がよわくなってきた21世紀にイタリア哲学とくに美学が注目される。
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  • 14:25  な かでも身体と制度とデザインの問題を考えるときには「生経済(ビオエコノミア)」「生美学(ビオエステティカ)」という新造語が大切になる。それは経済と いう言葉が合理的市場における人間の行動に限定されていることに対する挑戦であり、美学が芸術の哲学を意味している状況への意義申し立てだ。
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  • 14:28  た とえば、ナチズムは政治の審美化であり、それに対抗してベンヤミンは芸術の政治化をぶつけた。生政治だ。つまりリーフェンシュテールの映画で権力が審美化 される。それにたいして、自分たちの感覚や感受性を前に出していく。技術的に作られたイメージを脱構築して別のコンテキストに置く。
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  • 14:32  2008 年MOMAの展示であるDesign and the Elastic Mindはこの動きを表現している。http://bit.ly/cDp1j 芸術が技術を介在させて社会に開いていく瞬間だ。もちろん技術が芸術を介在させて社会に開いていっても良い。そこに美学が絡む。
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  • 14:38  生経済とは権力による生の支配にたいして、生の優位性を主張する生政治と深く関わる。フーコーが予見したように現在僕たちの身体は卵子と精子から死後の臓器に至るまで権力に操作されている。そして最近の医療を巡る言説に見られるように生政治は生経済と結びついている。
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  • 14:42  た とえば、人間の誕生と死は家(オイコス)に閉じこめられていた。自宅で人が死ななくなったのはここ数十年のことだ。それがオイコスを抜け出て病院という公 的な場所に移動した。医療テクノロジー公の場所で結びついている。だがそのもとで私たちの幸福は達成されているのか。
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  • 14:44  そ うではないだろう。またその一方で公的な場所に移された身体がそのままオイコスに戻されようとしている。それが在宅医療だ。このときに解決困難な問題が浮 き上がり、人は当惑する。身体を計測し統計化し審美化が進む一方で、死が顔を出す。この問題とどのように向き合えばいいのか。
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  • 14:48  イ タリアの現代哲学者は政治経済美学といった異なる領域として問題を考えるのではなく生(ビオ)の問題として、そのまま議論しようと述べる。この視点は非常 に分かりやすい。生きている人間を生きているまま政治・経済・美学の視点から分けないで論じていく。これはまさにデザインという行為だ。
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  • 14:51  病 院で使われている医療機器を家庭にもちこみ、人々が幸福な人生を送るにはどうすればいいのか、様々な情報機器を生活の中に持ち込むにはどうすればいいの か、に始まり、我々の日常生活を巡る問題は山ほどある。医療を拒否して、情報を拒否して、機械を拒否して、生きていくことは出来ない。
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  • 14:53  だ が、だからといってこうしたテクノロジーを束ねる単一的なシステムに絡め取られて生きていくことも困難だ。この問題を中心もヒエラルキーもない緩いシステ ムの中で生きていくという視点が必要なのだ。19世紀近代を縛った鉄の枠組みではなく、多様で複雑な表現を許すような仕組みが必要。
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  • 14:56  イ タリアの現代思想家達はこれをアルチペラーゴ(多島海)のメタファーで語る。我々は単一なモナドではなく、自らの内部に複雑な思考や言語をもつ存在、いか なる固有のアイデンティティも持たない存在である。そうした存在が複数集まっていて、ちょうど飛行機から多島海をながめたときのような感じ。
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  • 15:01  多島海を良しとする美学。これがイタリア現代思想の中心にある。美学でありながら政治であり経済である。権力や収益性の走狗としての美学ではなく、ドイツの芸術哲学でもなく、倫理学から政治学までを含む美学だ。このような美学はベネディット・クローチェに始まる。(続く)
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  • 補遺
  • 15:02  RT @kizm_naoya: 医療の機能を、例えばお風呂的な日常にしたいなぁ。 RT @NaohitoOkude 病院で使われている医療機器を家庭にもちこみ、人々が幸福な人生を送るにはどうすればいいのか、様々な情報機器を生活の中に持ち込むにはどうすればいいのか、に始まり ...
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  • 15:03  そうです。そこをデザインする発想が大事。RT@kizm_naoya 医療の機能を、例えばお風呂的な日常にしたいなぁ。
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  • 16:18  座布団3枚!!!!RT@drinami "医"食住って楽しそうなテーマですよね

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