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2010年11月30日火曜日

英語初級講座第6回

  • Mon, Nov 29 

  • 19:39  英語初級講座第6回:
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  • Fly Me to the MoonAll of Meはだいぶ形になってきた。英語発音筋肉トレーニングなので、気楽にいこう。リズムも外さなくなってきた。この段階でフレーズを覚えよう。英語はどんど んつないでいく。英語の歌だと普通は8小節が1フレーズだ。
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  • 19:42  All of Meだと、All of me why not take all of me, can't you see, I'm no good without youまでだ。長い!!これをひと息で言ってみる。発音しないところ休むところも腹筋は張ったままでいく。どうだろうか。
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  • 19:44  も ちろんこれは練習であって、実際はいろいろに変化する。だがポイントは切らないで一息で続けると、英語のうねりというかリズムというかようするにプロソ ディがはっきりと分かる。歌は普通のリズムの場合は8小節、これが目安。これを練習していると息の感じが分かる。実際にやってみよう。
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  • 20:10  さ て、『英語のバイエル』Step2に進もう。35番から。ここでフレーズをつくる。全部つなげる。感じは My-da-di-s(z)a-nengineer-ata-major-company発音記号で書いていないから変な感じがする(一カ所zにした。)が、こんな感じ。ここで質問があったlinkingが必要。
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  • 20:13  linking とは単語と単語をつないでいくこと。基本的には語尾の子音を語頭の母音につなげる。子音と子音、母音と母音がつながることもある。最初は不自然でもつなが るところに鉛筆の印をつけて無理に口に覚えさせる。全部が一つの長い単語と考えて切らないで続ける。これが原則。
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  • 20:20  間違いのない説明は次のURLを参考に。http://bit.ly/igkbaz  以下、このサイトからパラフレーズしてlinkingについて説明しておこう。英語は言葉と言葉をつなげてしまうので、ここを理解するのが肝になる。つながると音も変わっていくのだ。
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  • 20:20  だがここはあまり気にしないでつなげる。口の解剖学的な特徴があって、結構つなげていくとそれっぽい音になる。Linkingが発音できるようになって、英語が聞き取れるようになる。また英語も通じやすくなる。
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  • 20:25  種 類は子音と母音母音と母音の二つだが、僕は同時に子音と子音をつなげる練習も勧めている。Linkingとフレーズを一気に発音する。この二つの練習で 英語は見違えてくる。大西さんのバイエルを上手につかうと、さらに文法が身に付く。このあたりを繰り返していると口の周りの筋肉の動きがでる。
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  • 20:28  は じめのうちはかなり疲れる。また出てくる音が不自然に聞こえてLinkingを弱くする。だが聞いている方は非常に明確な英語としてきこえているので、自分で不自然に思っても続けてもらいたい。この練習で単語の語尾の子音が落ちなくなる。あとフレーズをつくることでリズムが自然と出てくる。
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  • 20:31  とまあいいことだらけで64番まで進めよう。相当疲れているはずだ。今回はここまで。Linkingとフレーズ作りに注意して第1番から第64番まで繰り返しやって見よう。飽きたら歌の練習でもして毎日続ける。自然と筋肉ができてくるはずだ。
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ナノメカトロ技術とデザイン思考 断章

  • Mon, Nov 29
  • 18:36  狭山にあるS社の工場を見学。小江戸号という特急で高田馬場からあっという間に着く。ことしのデザイン思考コンサルティングはテーマがグローバリズムイノベーションだったが、来年はナノ(テク)メカトロとデザイン思考の予感。なんだか技術が大きく変貌している。明日会う大阪のN社も同じ。
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  • 18:38  ナノメカトロ技術がエンドユーザを見つける。SF的夢の世界がプロトタイプにおりてきそうだ。そのときに最終製品の企画力、コア部品の企画力をもつ要素技術会社が突出してくる。20年まえにCPUをコアにPCを10年前にiPodをコアにサービスビジネスが登場。次のコアとビジネスは何か?
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  • 18:40  見え隠れしているし、量子力学的世界観からすれば見たら変わる。その姿を生み出す手法としてのデザイン思考の勝負の場所が大きく変わる気がする。今回話ができるのはここまで。
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2010年11月28日日曜日

@hirohrsm先生 アカデミズムには品格と直観が必要

  • Sat, Nov 27
  • 14:53  RT @hirohrsm: 思考にも「品格」がある。僕は学生に研究の品格をいう。例えば論文にも品格がある。わかる学生は、指摘すればすぐ納得する。わからない学生は、論理的な説明を求めてくる。でも僕には言葉でそれを説明できない。説明できないことにも、大切なことがある。
  • 14:53  RT @hirohrsm: ある数学者に質問したことがある。「定理の発見は、結果が先ですか?それとも証明が先ですか?」。その数学者はこう答えた。「結果が先です。それは数学者にとっては証明しなくてもわかっている。証明は自分自身の再確認のためとわからない人を説得するためにするのです」
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  • 14:57  @hirohrsm先生、はじけてるね。品格と直観。これからのアカデミズムの基本です。日本において次世代の研究者はぜひともこの指標で選び育てていきたいものです。

なぜ英語を学ぶのか

  •  Sat, Nov 27
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  • 10:01  「英語初級講座第5回」のTweetsをblogにあげました。一週間に一回ずつ進めていくと身に付きます。 http://okude.blogspot.com/2010/11/fri-nov-26.html
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  • 16:06  英語に関して@BebsonJPの意見はそのとおりで、僕の師匠の英語論と同じです。20年前のグローバル化の時代にはそんな感じ。つまり必要な人だけが英語をすればいい。SFCはその理念で作られた。まあいろいろと茶々が入ったが英語以外の教育に関しては画期的な成果が出た。
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  • 16:08  20年経った今、世界は急速に多極化している。工場は外国に展開し、そこで生産された物が日本以外のところで流通する。円高になってもびくともしない日本の会社も登場してきている。そして、大きなマーケットはインドであり中国であり、ちょっと遠いがブラジルだ。インドマレーシアも市場だ。
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  • 16:10  そしてすぐにアラブ圏が市場になり50年経てばアフリカも市場となる。西洋中心の世界が500年ぶりに変わり、アングロサクソン中心の世界が200年ぶりに変わる。この激動の中で生きていく訳である。このコンテキストをふまえて英語それもグローバルイングリッシュとしての英語の必要性を感じる。
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  • 16:12  それをつかう人は少数でいいと思う。誰もが英語を学ぶ必要はない。だいたいイタリア人だって中国のいくつかの言語を使う人だって、スウェーデン人だって母国語を一生懸命使っている。それでいいのだ。市場はしたたかで人々の欲望は国境も文化も超えて動いていく。商人はどこにでもいくのだ。
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  • 16:14  言語は他者を支配する道具であり焚書坑儒つまり前の文化を断つ活動は統治の基本だ。戦後の日本の国語教育によって戦前の知恵の継承ができていないのが団塊の世代以降の日本人だ。なので僕は英語を会社の公用語にとか、小学校から英語教育をするとかそういった議論はナンセンスだと思っている。
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  • 16:16  普通話でかかれた中国の文献を研究する人間が言葉に習熟する。政治をケンキュする人間が言葉を学ぶ。つまり言語能力は戦略的な武器なのだ。だとすると、ロシア語や韓国/朝鮮語を学ぶ人間はもっと必要である。これは鈴木孝夫『武器としての言語』での主張である。
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  • 16:17  20年前には日本人はだれからも強制されていないのに欧米の文化を学び英語にコンプレックスを持った。そのコンテキストで考えると英語教育はナンセンスだ。ここには全く同意するのである。なのでSFCをはじめて15年くらいまったく英語教育には興味がなかった。学生にも英語を強要していなかった。
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  • 16:19  僕の研究室の初期のつわものたちは本当に英語ができなかった。でも全く問題なく社会に進出していまでも重要なポジションで活躍している。その流れが少し変わってきたのが、外資系の会社が進出してアメリカのエリートビジネススクールの卒業生が金融資本主義を日本に持ってきてからだ。
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  • 16:22  それでも外資系でほとんど英語がしゃべれないバンカーが重職をしめていることもある。商人は利益を出してなんぼだから。でもここ5年いや7年くらいか、ちょっと流れが変わってきた。それが多極化を前提としたグローバル化である。つまりアングロサクソンヘゲモニーの外で世界が動く。
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  • 16:24  そうなったときに、もちろん英語でなくても普通話でもいいのだが、リンガフランカが必要になる。日本語がその一翼を担うべきだと鈴木先生は主張していて、僕もそれは分かる。がまあ先の話だろう。クールジャパンのようにソフトパワーが増大しているのでいくつかあるリンガフランカの一つにはなる。
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  • 16:26  このレベルの英語であればあえて時間をかけて教える必要はない。自分で学んでくれればいいのだ。だが、経済においては多極化が起こっているにもかかわらず、文化はあいかわらず英語ヘゲモニーが強い。発信はグローバル英語あるいはPlaine Englishでいい。
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  • 16:28  受信が問題。横暴なまでにヴァナキュラ-英語話者同士が英語を母語としていない人間の前でしゃべる。これははっきり言ってやめてほしい。全部リンガフランカの英語で話してもらいたい。だが、言語の武器性を考えるとそうはいってられないところがある。
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  • 16:30  勝手に密談しているところにのりこんでかき回したい。またいつもアウェイで戦うのもしゃくだから、こちらに呼び込んでホームで試合をしたい。そんなところから博士課程の学生の英語力のトレーニングをしているし、そこにいってもいいかなと思っている学生にも英語を教えている。
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  • 16:32  英語をはなすことに疑問をもっていなかったり、ちゃらちゃらと英語をたれながしている人間にいま僕が考えている武器としての英語を教える気はない。アメリカ人やイギリス人の用に英語を話すことに憧れている人も願い下げだ。西脇順三郎のように、日本人であることをのろっている人もお断りだ。
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  • 16:34  だが、その一方で、英語力に問題がない留学生にもアリストテレス的修辞学のトレーニングは行っている。ここに英語が母語でインテリの所詮「ネイティブスピーカー」が教師として入ると話は全く分からなくなる。「ネイティブスピーカー」になるために英語を使っている訳ではないからね。
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  • 16:36  まあここまで確信犯的に英語を教えている。Plain Englishでアリストテレスの修辞学/詩学の形式をふまえて、自分の感じていることをそのまま話す、これが目的である。経済力の次には思考力というか文化力の大変動を10年から20年の間に引き起こしたい。そうおもって教えている。
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  • 16:39  倫理や美学といった主観的な領域において多様性のくさびを打ち込みたいと思っているのだ。ポピュラーカルチャーにおいては十分多様性が保証されていると思っている。所詮ハイカルチャーでも同じように挑戦したい。翻訳大国である日本に感謝をして、様々な言語による思想を学びつつ、挑戦したいのだ。
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  • 16:41  本腰を入れて3年ほどだがいいところまできている。あとちょっと。中学校までアメリカにすんでいた学生だともうそのレベルになっている。チェコからの留学生もいい感じだ。普通の大学生活を送った学生ももう一息のところまできている。21世紀の倫理と美学を構築する先兵たちの武器としての英語だ。
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  • 16:43  このような英語の教え方はいわゆる語学教育とかではむりだし、具体的な数値として方法の成果をもとめてくるので大学教育ですら制度に組み込めない。なので私塾的に勝手に教えているのである。語学は権力的支配の道具になってしまうので、安易な人からは学べないのである。
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  • 16:45  というわけで全然一般の学生のことを考えて英語を教えている訳ではない。KMDは英語と日本語で授業をしているが、日本語を選択した人には日本語で、英語を選択した人には英語で教えている。英語で日本人学生に教えるという愚かなことはしていないのである
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  • 16:48  初級英語にかんしては、僕は大西さんや松澤さんの本は本当に素晴らしいと思っている。確実に力がついて武器となる。だが英語教育ビジネスとは相容れない。ダイエットや自己啓発本と同じで口当たりが良くないと商売にならないのだ。それは大学教育の英語でも結局は同じ。
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  • 16:50  なので、今回は時間をかけて自習すれば武器としての英語を本格的に修行するレベルに達するまでを時間軸(一週間一回一時間30分のレビューセッション、およびその準備に一日30分から一時間をさく)をふくめて提供しているつもりです。その先の英語の達人レベルに関しては勝手にやる。
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  • 16:52  まあこんな仕組みになっています。枠組み的にはリンガフランカとヴァナキュラー論で提示したものと同じです。ネイティブの英語話者にはplain Englishで話せ、無礼者!という気持ちでいつもいます。
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  • 16:54  おまけですが僕の道楽であるJazzのスタンダードの歌詞は移民の子供が「正しい英語」を学ぶためあるいは学んだ結果というものがおおく、ある意味「誰のものでもない英語」になっています。
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  • 16:55  フランス語が国家を統一する機能を要求されてアカデミーフランセーズによって人工語になったように、アメリカのスタンダードの歌の歌詞は多様な民族が同じ言語をつかう工夫に満ちています。なので人工語における表現もあるのだなあと思ったりしています。このあたりは脱線ですが。
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  • 17:02  Tweetsしていたら、もう5時。今晩のジャムセッションの楽譜を用意しないと。今日は長丁場だからな。
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2010年11月27日土曜日

ブラザー工業講演(2010年11月26日)概要

  • ブラザー工業講演(2010年11月26日)概要

  • 06:41  今日は名古屋でブラザー工業での講演会。社内だが530名もの登録があったという。8時過ぎの新幹線で移動して、13:00から講演会。今回は今年1年コンサルティングで開発した新しい手法のその成果の詳細を初めて人前で話す。たっぷりと準備した。
  • 06:41  KMD のメディカルプロジェクトが3年目で成果が出てきて、AXIS(2010年8月号)に発表したり展覧会(Hospex 2010)に出したりしたので、クライアント企業の事例を使わなくても詳細が説明で きる。これは助かる。今書いている『デザイン思考と経営戦略』もこの事例でいける。アイデア民族誌調査分析をへてプロトタイプに。
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  • 06:43  粘 土やダンボールのスケッチから、tinkeringによる電子回路をつかったインタラクションデザインのスケッチ。ソフトウェアの開発ビジネスモデル。 最後はパーソナルファブリケーションの仕組みでハードな筐体のデザインを行い、展示可能なプロトタイプに仕上げる。全部の流れを見せる。
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  • 06:45  さらにコラボレーションをするためのデザイン思考スタジオの設計についても過去の事例から現在設計中の事例まで詳細に説明する予定。全部で3部構成。デザイン思考と経営戦略の理論、デザイン思考上級編:どこまでやっているのか、そしてスタジオデザインの手法と実際。
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  • 06:47  デ ザイン思考は奇抜なアイデアを作る方法でもなければフィールドワークで「気づき」をえるスケールの小さな手法でもない。イノベーションを実現する、大風呂 敷を広げればシュンペーターのイノベーション理論を実践する技法なのだ。このスケールの大きさを理解してもらえると嬉しい。
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  • 09:14  新幹線名古屋へ移動中。

英語上級へ:独学特訓への道

  • Fri, Nov 26
  •  英語上級へ:独学特訓への道
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  • 05:12  英語達人のレッスンは博士工房の論文指導のところで行っている。論文や書籍のレビューをしながらパラフレーズを行い、論文を書く。こちらは第二言語としての 文章指導なのだが、論理的な構成をつめるだけつめて、最後に英語を母語とする話者に直してもらう。実はここは微妙だけどね。
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  • 05:15  理系の論文は言葉と意味とが一意的につながっているので、単語を並べるとメッセージは伝わるが、人文科学はそうではない。社会科学はその中間くらい。インタ ラクションデザインは半分以上人文科学的なので普通に英語で論文を書くことは無理。サイエンスやエンジニアリングしか英語でかけない。
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  • 05:18  ここ数年手を変え品を変え挑戦しているがどうしても超えられない壁がある。最近は修辞学が復活してきたのでそれを参考に攻め込む方法を模索していて、ちょっ とは見えてきた。ここ一〜二年で壁を越えるかもしれない。英語じゃないみたいだけど言ってることは分かるなあ、くらいを目指す。
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  • 05:24  だが敵もさるもの、最近は知的先端の表現がプレゼンテーション主体になってきている。TEDなどを見ていると、このパフォーマンスをアングロサクソン文化ヘゲモニーで行うのか、と唖然とする。たしかにアリストテレスの修辞学は弁論術だったなあと今更のように思う。
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  • 05:27  知的バトルが弁論の世界に広がってきている。ここで戦い続けるのはかなり大変だ。これからの英語上級をめざすにはスティーブ・ジョブズのスピーチとかを学ぶ必要があるよねえ。ちょと考えてみよう。いずれにしてもKMDの学生はまずは初級をきちんとやっつけましょう。
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英語初級講座第5回

  • Fri, Nov 26
  • 03:57  英語初級講座第5回:日曜日(21日)に行った。
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  • Fly Me to the MoonをJulieLondon風カラオケにあわせて歌う。大体できてきた。毎日何度も繰り返している効果が出てきている。発音に気をつけると腹式呼吸を忘れる。意識できていない不随意筋に意識が回るようにする。
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  • 04:00  All of Meを読む。m音の発音は自分で恥ずかしいと思うくらいでよい。n音も同じ。鼻に響かせる音をしっかりと覚える。あとlinking。これは鉛筆で歌詞のテキストの書き込む。all of me はal lo fme となる。f とmの間に母音を入れてはいけない。
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  • 04:02  参考にはBilly Holidayの歌を使っている。よく聞いて、つながっているところを鉛筆で印を付ける。発音記号も歌詞テキストの下に書いておく。
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  • 04:06  『英語耳』の著者の松澤さんは最初に徹底的に聞くことをすすめているが、これは人それぞれだ。耳のいい人はそれで発音はできるようになる。だが僕を含めてだがそれほど耳が良くない普通の人は聞く作業と発音記号をつかって口の筋肉を作っていく作業を同時に行う方が良い。
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  • 04:08  発音記号をみて瞬間に口の形を作る練習をする。これは松澤氏が発音のバイエルとしてまとめているところだ。短音から単語へ。そして単語からフレーズへとつなげていく。フレーズをつなげていくときに文法の問題が発生する。このあたりが一緒になってプロソディの習得へとつながる。
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  • 04:11  僕はジャズを歌うのだが、英語ができないのに英語の発音が上手い人がいる。いわゆる耳が良い、という人たちだ。一方、日常的に英語を使っているのに壁にぶつかる人がいる。僕はそこで大分苦労した。意味先行で英語を使っている癖で歌という表現の微妙なところをごまかしてしまう。
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  • 04:12  ところがある程度歌になってくると、実は英語の意味も分かっていなかったということが最近わかった。なんというか、心に迫って涙が出るとかぞくっとする感じがしてきたのだ。プロソディが文法として身体の一部になったときである。英語(の文章)が頭から最後までそのままで分かる感じがする。
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  • 04:15  この感じがつかめるまで何回も練習する。100回以上同じことを繰り返す。実際歌を学ぶためにはお手本の歌を聴き返す。100回どころではない。そのうちに微妙なニュアンス具体的な技法として聞こえてくるようになる。「えっ、ここで息継ぎしていないの!凄い!」とかね。
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  • 04:18  英語の不思議なところはとにかく音に依存した言語だと言うことだ。さて、意味が身体の奥から生まれてくる感覚を身に付けるレッスンに移ろう。『英語のバイエル』1番から34番(Step1)までを使った。文法通りにプロソディをしっかりと意識して発音する。最初に僕がお手本に音読。
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  • 04:21  それをまねしてもらう。文法通りに読んでいないと修正する。大西さんの本は良くできていて、文法の説明がある。I hate youとあればyouが目的格だ。hateは他動詞。そんなこと知ってるって?身体で分かっているだろうか?大西さんは目的格は「力が及んでいるのはココだよ」と説明。
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  • 04:24  発音していて他動詞が他動詞として目的格が目的格として存在するようにしなくてはいけない。そしてフレーズを作る。要するにつなげる。1番の文章は全部つなげて一つの長い単語のように発音してしまう。もちろん文法構造が分かるようにプロソディも気をつけて。linkingも忘れない。
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  • 04:29  何度か発音してみる。大体文法通りに発音できたかなと思ったらNo2へ。No5で自動詞が登場。大西さんは自動詞は「力が及ぶものがない、単なる動作」と説明する。なのでそのように発音する。動きは向かう方向がある。なので前置詞と組み合わされる。前置詞を発音して休んではいけない。
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  • 04:33  9番から説明。AはBだということで、これは二つの積み木が空間に配置されている感じ。大西さんは「be動詞はつなぎ」と説明している。ようするにbe動詞を意識しない。10番I'm proud of youであればIが一つの積み木で次の積み木はproud of you. こんな感じ。
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  • 04:37  14番から「フレーバー文」。これも同じ構造。look, become, sound, tasteなど。AはBとして積み木を意識する。一息でフレーズとして発音する。18番は目的語が二つ。全部つなげてフレーズを作って発音する練習をする。
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  • 04:40  同じ意味でも前置詞を使って言い替えるときがある。言葉が出てくる順番に「心を動かす」と大西さんは言う。to me とかfor meという感じだ。発音しながら自分を指さしてみると感じが分かる。さて以上で基本は位置は終了。22番から24番はto不定詞。動詞が来る。
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  • 04:43  つまり文のなかに文が組み込まれていく感じ。これもフレーズを作って練習を繰り返す。25番から命令文。32番はthere 文。意識の中に話題が持ち込まれる感じと大西さんは説明。僕はテーブルとか大きな白い紙のうえに突然物が置かれている感じと説明しているが同じだ。
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  • 04:45  まあこんなことを説明しながらフレーズをつくって発音してみる。要するにつなげるだけつなぐ。口がある程度動くようになったら、本に付録でついてくる発音を聞いてみる。英語を聴いて次が日本語。ここで止めて英語を行ってみる。再開すると同じ英文がもう一度朗読されているので確認をする。
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  • 04:47  もう大分一人で読んできているので比較的スムースにレッスンは進む。文法が身についているとすらすら進む。この本は初級といえどもStep4くらいから身体的に理解するところが難しくなるので、まあ気長にいく。発音で文法能力を作っていくしかないのだから。
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  • 04:49  VOAの素材のLegoの建築編を最初の2分くらい聞きながらリピーティング。ちょっと聞いてはリピートする。段々長くしていくが、これも文法能力に比例する。主語・動詞あるいは主語・動詞・目的語くらいまでリピートする。前置詞句が入ると前置詞が落ちる。冠詞がわからなくなる、という感じだ。
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  • 04:53  これも少しずつ長くしていく。何度も聞いて繰り返す。だいたいここまでで一時間ちょっと。集中して行ったのでふらふらになる。とにかく音で理解していく。突然身体の中から意味が現実味をもって沸き上がる。その瞬間を待つしかない。だが発音を聞いている限り大分良くなった。スピードも出てきた。
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  • 05:04  いままで何度か英語初級講座を行ってきたが、皆続かなくなってしまう。ある程度できるようになるとそのレベルの英語で実際の仕事をしてしまうのだ。まあ僕も人のことは言えないが、時々レベルアップの訓練が必要である。
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  • 05:07  初級講座では英語のニュース、単語数の少ないペーパーバックや雑誌(BusinessWeekなど)などが普通に読めるあたりを目的にすすめている。単語数で言えば8000語ぐらい。このペースですすめるとまあ速くて1年後かな。ピッチを上げれば半年とか3ヶ月。一日3時間とか6時間練習。
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  • 05:09  一日一時間弱だと1年くらいかかる。そんな感じで進めていくので、興味のある人は自分でもやってみて欲しい。ある程度力がつくと一日3時間や6時間のレッスンを集中してできるようになるが、練習時間も実力のうちなのであまり早くから頑張らなくても良いだろう。
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2010年11月22日月曜日

(本当の)アカデミズムの仕組みを学ぶ

  •  Sun, Nov 21
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  • 11:44  アカデミズムの真髄をまなぼう
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  • 奥出研究室博士論文工房の学生も大分力を付けてきて国際学会に投稿し、評価され始めた。本格的な論文が受理されていくまで後もう一息だ。ここで、アカデミズムの本質を教えておきたい。
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  • 11:47  現代のアカデミズムを理解しているとは(つまり博士Ph.Dに値するとは)アイデア・コンセプト・引用・検証・謝辞・剽窃(してはいけないの意味で)の考えをしっかりと身に付ける。これらすべてが内的な価値判断基準になったとき、本物のアカデミズムを体現する知識人となれるのだ。
  •  
  • 11:48  この問題を名誉と学問として整理して見せたのが、ロバート・マートンという社会学者である。立派な研究者で日本でも『社会理論と社会構造』という翻訳が大分前に出た。彼の一般的な興味は自然科学と人文科学がせめぎあう「社会科学」の領域でいかにしてアカデミズムを成立させるかにあった。
  •  
  • 11:53  議論は大分古いのだが、インタラクションデザインの領域が人間の身体の科学から人間の精神へと拡大し、あらたなるa rationale つまり概念枠組みが求められている現在、この問題をもう一度確認しておく必要がある。
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  • 11:53  彼は『社会理論と社旗構造』において、社会学の研究と社会学史・理論の研究の関係を説明する。たしかに僕が慶應大学の大学院の社会学研究科で勉強していたときは、最新の調査方法を使って社会調査をする先生と古びた社会学の古典を輪読する先生に分かれていた。マートンが言っているのはこの状況だ。
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  • 11:57  僕は同じ頃文学や哲学の授業をとっていたが、こちらは調査なんかなくて、ただ古典のテキストを読んで解釈する授業だった。人文科学は伝統的にそんな感じだ。社会科学はその間にある。自然科学の知識は実験や観察で得られる。人文科学は過去の叡智の解釈を積み重ねる。社会科学は両方が必要である。
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  • 12:00  まあこれは50年くらいの状況だが、この議論から先が大切だ。マートンは名誉(honor)と金(cash)という直接的な言葉を使ってここを説明する。どんなアイデアもコンセプトもそれが突然生まれてくると言うことはない。アカデミズムではどのような由来でこの考えが生まれたかを示す。
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  • 12:02  これが引用である。何をどのように引用するのか、そのときの方法はどうなのか、ここにかんしてアカデミズムではお作法がある。これが研究初期の段階の博士課程の学生が最初に躓くところだ。それぞれの学問分野には歴史がある。学会は論文集を出している。ここについての勉強に時間を割く。
  •  
  • 12:05  マルチディシプリナリーになると指導教授が指導できる範囲を超える。アメリカ型のPh.Dではジェネラル試験というものがあって研究に必要な複数領域の知識がちゃんとあるかを試験する。単一分野で研究に必要な知識があるかを問う試験はコンプリヘンションと言われる。これでは実は役に立たない。
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  • 12:07  日本はきちんとこの段階をとらないで博士論文に着手させるので、査読論文の数がそろうと博士論文としているが、これは形式主義でアカデミズムを学ぶことは出来ない。ちなみにKMDではプロポーザル試験をしていて、かなり高度な研究プロポーザルを提出して審査して合格すると博士論文執筆許可を出す。
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  • 12:09  さて、研究論文は一人で書いていても研究が単独で行われることはない。現代のアカデミズムはこの問題を解決するためにも引用の方法を重視する。例えばウィノグラードの名著『コンピュータと認知を理解する 人工知能の限界と新しい設計理念』は現象学をつかった画期的な設計論だ。
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  • 12:13  ハイデガーの現象学のなかから道具性を引き出して、それを身体の延長として説明する解釈はドレイファス『世界内存在?「存在と時間」における日常性の解釈学』で展開したものだ。ウィノグラードが論文を執筆した段階ではまだ出版されていない。
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  • 12:15  ウィノグラードは注でドレイファスの原稿を見せてもらったと述べる。こうした引用によってドレイファスの名誉が讃えられ守られる。若い研究者は研究成果の新規性が大事だと考える。とくに新規性で論文が評価されその論文の数が出世につながるとなるとそこを強調する。それは名誉ある行動ではない。
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  • 12:17  名誉の反対の概念が金(Cash)だ。名誉は金では買えない。だがこのことが企業内の研究所の研究者に分かっていない人が多い。新規性を主張した論文の数が評価され結局は金(研究費)につながる。功利主義だ。アジアの大学もこうした基準を導入する。すると名誉のない(いやしい)研究者が増える。
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  • 12:20  アカデミズムはしたがって自分のアイデアやコンセプトに関して出来るだけ多くの人の研究を引用して名誉を讃え、自らの論文の名誉を高める。これが非常に大切なのだ。ディベートすらしてはいけない。このことは前に書いたことがある。http://bit.ly/d1pEs2
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  • 12:21  こうした名誉ある行動はある意味資質だ。平気で人のアイデアをつかって発表する学生が昔いた。絵なんかも誰が描いたか言わない。8年くらい前のことだが、頭も良いし一生懸命研究するのだが、この癖は幾ら指摘しても抜けなかった。またおっとりとした学生が無防備にアイデアを出すので盗まれる。
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  • 12:24  先行研究の引用を上手く行うこと、これはなかなか大変な修行がいる。プロポーザルの指導をしていて、引用の形式を何度も直される学生がいるが、ここのお作法が名誉を讃え守る大きな武器となる。ぜひともめげないで頑張って欲しい。さて引用と名誉と金に関しては最近困ったことがある。
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  • 12:26  それはアカデミズムにおいては引用するつまり出典を明らかにするということで著作権料を払わなくて良いという慣習があった。これをフェアユースという。学問を継承していく引用の連鎖は人の著作の利用である。引用されることが名誉だとアカデミズムでは考える。だがビジネスではそうではない。
  •  
  • 12:29  著作権料という金が発生する。ここは難しいね。アカデミズムも大学で授業料をとってるし、講義を公開したり、本を出したりしているので微妙って言えば微妙だ。だが、功利主義的な金銭のやり取りではなくて、お布施とか寄付とかそんな感じの金銭の流れもある訳なのでこのあたりは非常に複雑だ。
  •  
  • 12:33  大学が知財を管理する動きも始まっているので非常に難しい時期に来ている。しかし新しい知を生み出すアカデミズムの仕組みを失っては先に進むことが出来ない。このあたりこれから大問題になる。私見を言うと、アカデミズムは煎じ詰めると創造的で論理的な思考の出来る人間に価値がある。
  •  
  • 12:35  アイデアをコンセプトにしてそれがうまれたコンテキストに対して名誉を讃え自分の名誉を守る。これがアイデア・コンセプト・引用の流れだ。ここをあやまると学問としてもっとも不名誉な行為の一つである剽窃となる。自分のコンセプトや理論を発表するときには関係した人すべての名誉を讃えて引用する。
  •  
  • 12:37  その引用の連鎖を書ききるのが博士論文の第2章先行研究レビューである。ここを名誉を持って書ききる誇りを持って欲しい。さてもう一つ大切な名誉がある。それはコンセプトの検証だ。方法論を示してデータを提示しコンセプトが正しいことを検証する。検証する方法を明示する。
  •  
  • 12:39  この段階で妥協してしまう研究が多い。証明しやすい方法が導入される。その方法と研究のコンテキストの関連が曖昧なままである。かなり有名な国際学会の論文を見てもこのあたりの緩いところが多いし、出来てしまったコンセプトをありえないような社会科学的方法で検証しようとする論文も多い。
  •  
  • 12:40  まあそのチャレンジの態度で一流論文から三流論文に分かれる訳だが、ここで絶対に行ってはいけないのがデータのねつ造である。剽窃と並んで不名誉な行為だ。まあインタラクションデザインにおいてはあまりおこらないが自然科学やエンジニアリングの論文においては時々発生し世界的スキャンダルとなる。
  •  
  • 12:42  アイデアでしか存在しなかったものをコンセプトを提供して利用できるようにした、という論文であればそれは高く評価される。アイデアがオリジナルで、コンセプトを構築してそれを検証した。そのときにコンセプト構築に人の手をかりたり人の論文から方法をかりても引用しているかぎり、評価される。
  •  
  • 12:44  アイデアを作った人も評価されるし、コンセプトを作った人も評価される。だがアイデアだけ、コンセプト(仕組み)だけではなかなか難しい。こうしたところに気配りするのがアカデミズムの心性である。そして謝辞。所属する研究室、アイデアを交換する勉強会、論文の相談に乗ってくれた人すべてが対象。
  •  
  • 12:45  さて、アイデアから謝辞までアカデミズムのお作法と技法を説明してみた。ここで一番問題になるのはアイデアである。アイデアをそのまま評価して名誉を与える仕組みはない。アイデアの私有を認めると科学の発展がないからだ。アイデアを公開するためにアカデミズムの仕組みがあると言っていい。
  •  
  • 12:49  したがって、公開する前のアイデアは盗まれたら負けだ。アイデアを名誉にすることも出来れば金にすることも出来る。アイデアを盗んでも罰則はない。負け犬の遠吠えになる。佐々木俊尚さんが紹介していた新井満氏の「千の風になって」盗作事件がある。http://bit.ly/awEA7F
  •  
  • 12:51  アイデアを新井満氏が「盗んだ」ことは明確だが、法律として盗みを働いたと罰則を科すことは出来ない。特許とかだと別だが。なのでアイデアは盗んだ方が勝つ。ゲームの理論でも説明されることだ。だが豊穣なアイデアは一人では出てこない。コラボレーションが無数の豊かなアイデアを生む。
  •  
  • 12:53  つまりアイデアが無数に生まれてくる研究環境において人のアイデアを盗んで論文を書いても罰則はない。人の貢献(論文とかプログラムとか理論とかコンセプト構築法とか解釈とか場合によっては相談への私信とか)を引用しないと剽窃であり、データを改ざんするとお終いだ。だがアイデアは盗み勝ち
  •  
  • 12:55  なので研究機関はアイデアの管理に注意をするし、厳重に警戒をする。すこしまえアメリカの研究所が日本の研究者をスパイとして拘束した事件があったが、それも同じだ。特許になると公開されるのでアイデアとして秘密のままにしている企業研究所もある。
  •  
  • 12:57  アカデミズムにおいてアイデアをどう扱うか。これは共同体としてアイデアの名誉を守るしかない。共同体メンバーの一人一人が紳士であるかどうかだ。紳士でないとわかればその共同体から除名する。それだけ凜とした態度をもつ研究共同体を維持するには、アカデミズムで名誉をえる感動を示す必要がある。
  •  
  • 12:59  そのためにはきちんとしたアカデミズムで名誉を得るように博士課程の学生を指導していくしかない。論文の数を競争している卑しい研究者が日本も含めアジアには多い。残念なことである。追いつけ追いこせの弊害だ。KMDは名誉があり実力のともなった研究者に博士号を出して進んでいきたい。
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2010年11月21日日曜日

量子力学的世界観とインタラクションデザイン その5

  • 11:13  量子力学的世界観とインタラクションデザイン その5:誤りえない指導者と必然的に失敗する指導者 
  •  
  • さて第5部である。ここでは<他者>の問題から政治の力学へと議論を展開する。第6部でもう一度量子力学そのものへと戻る。社会を認識する枠組みについてまず考えてみる。
  •  
  • 11:18  30年ほど前アメリカに留学をした。ワシントンDCの大学でアメリカ研究を専攻したのだがアメリカ思想史という授業があり、この試験に受からないと論文提出資格試験を受けることが出来ないという厳しい授業があった。学問は徒弟制だという頑固な教師が先生で、本に書いてないことを教えると。
  •  
  • 11:21  随分激しく鍛えられた。思想史の基本的な文献を読んでの質疑応答で10名ほどのクラスだったがみなぼろぼろにされた。Robert H. Walker Jr.という名前で今年の一月 85歳でなくなった。海軍の将校から思想史と文学に進んだ研究者で厳しくも面白い授業をした。
  •  
  • 11:23  強烈なソクラテス方式の授業で難解な思想史の本が課題で授業でどんどん質問が来る。容赦ない感じだったが、僕は非常に楽しかった。鈴木孝夫に鍛えられていたので他流試合のような興奮があった。ウォーカー氏も「おまえみたいな日本人にあったことはない。やり取りの仕方は誰に習った?」と聞かれた。
  •  
  • 11:26  高橋潤二郎鈴木孝夫という両師匠に鍛えられていたことをこれほど感謝したことはなかったね。彼が言ったことでいまでも覚えているのは「セオドール・ルーズベルト以外の共和党員には本当の知識人はいない。」という台詞と「ニュートン物理学を社会に適応したのが人は平等とするアメリカ憲法だ。」
  •  
  • 11:30  「人間はアトムだ。だから平等なんだ。」というコメント付きで建国の父達の文書を読んだことである。日本のアメリカ憲法研究は法学者の故田中英夫先生およびそのお弟子さんを除いてセンチメンタルで自らの蒙をアメリカからの光で照らして恍惚とする、性に合わないが感じなのだが、それとは違った。
  •  
  • 11:33  人間はみなアトムで同じだ。ここがアメリカ憲法の出発点になる。予定調和的な幸福な世界が待っている。だが、勿論現実にはいろんなことが起こる。アメリカの合理主義あるいは古典的啓蒙主義は19世紀の末の混乱の中で何度も問い返される。合理主義の下に流れている無意識の潮流がある。
  •  
  • 11:36  それを見つけ出していくのが心理学者ではウィリアム・ジェームス、彼の弟で小説家のヘンリー・ジェイムス、そしてアブダクションというまったくあたらしい推論形式を生み出したチャールズ・サンダース・パース達である。実は熱力学のジョサイア・ウィラード・ギブズもこの時代のアメリカ人だ。
  •  
  • 11:40  この時代から第1次世界大戦の終わり頃まで「死の欲動」を多くの人々が持っていた。それは「あのときに別様に行動することも出来たはずだと深い後悔の念や罪悪感を持って過去を振り返り反復するようなとき、過去のありえた可能性は、論理的に可能なことを空虚に列挙するような場合とは違って、(続く)
  •  
  • 11:42  固有の現実性(アクチュアリティ)をもって我々に迫ってくる。」こう大澤氏は書く。(160P)これは上手いね。命題記号論理学の操作や論理的アクロバットの指摘が論理的思考だとする本が沢山あるが、そのようなものは空虚だ。なにもわからない。時間を過去にもどしてあらためて可能性の世界を見る。
  •  
  • 11:45  すると胸に迫るような現実性をもって起こりえなかった可能性が迫ってくる。戦友が死んだ過去を振り返ったときに「私が彼<他者>でありえた」と思う。このような反復強迫キュビズムにおける求心化作用と遠心化作用と同質だ。私が他者であったかもしれないという気持ちは、少し前に議論した偶有性だ。
  •  
  • 11:49  量子力学が上手く説明できない可能的潜在的なものが現実性をもつという現象と「死の欲動」は同じ構造をもつのだ。この問題は第一次世界大戦の次の悲劇第二次世界大戦でさらに複雑に展開する。それは全体主義の問題だ。大澤氏は全体主義を生み出した思想家政治学者カール・シュミットを登場させる。
  •  
  • 11:53  合理的思考で社会のシステムが設計され(アメリカ憲法)それが徹底され、個人主義と自由主義が純化される。すると社会の秩序は合理主義の元では功利主義形式主義でのみ形成されることになる。欲望や利害を追求する諸個人の戦略的な相互作用が結果として社会秩序を形成するのが功利主義だ。
  •  
  • 12:01  もう一つは規範や目的に対して中立的な普遍的なルールを設定する形式主義だ。オーストリア出身の公法学者・国際法学者ハンス・ケルゼンが提唱した。アメリカにわたり、ロールズの『正義論』で展開され、カント的な公共的理性を前に出して特定の道徳から自由なリベラリズムを可能にする形式を求めた。
  •  
  • 12:09  このような形式主義はいまでは日本でも評判になっているサンデルによる「政治の道徳化」によって批判的に継承されている。さて、時間を第二次大戦まえに戻そう。ケルゼンが形式による規律を主張していたときにそれに対抗して形式主義では現実的な(アクチュアルな)問題に対応できないとした。
  •  
  • 12:12  ではどうするか。シュミットの出した結論は政治的決断主義とよばれる。(162P)これは例外状態において決断をくだす者である。具体的には当時のヒットラーであった。シュミットの議論は形式と現実を媒介することが出来るのは主権者の意志のみである。
  •  
  • 12:15  大澤氏によれば「主権者が特定の内容をもつ命令や(抽象的なルールに対する)特殊で具体的な解釈を人々に課すのだ。」(163P)つまり、内容は関係ない。意志決定をするという、これも形式だが、それが大切なのだ。決定に関する形式主義である。そしてそれがなされるのが「例外状況」だという。
  •  
  • 12:17  例外状況というと特別な状況のような気がするがシュミットはルールによって形式主義にいたった近代の行き詰まりが例外状況なのだ。つまりいまの現状すべて。ここは難しい。モダニズムを批判して登場してきたポストモダニズムの思想家が立ちすくんだところだ。モダニズム批判の先にはナチズム来る。
  •  
  • 12:20  1980年代からフランスを中心に勢いを得たポストモダニズムはモダニズムのつまりはニュートン的世界観の成立する根拠をたたきつぶした。そしてその先には新しい社会ではなくナチズムがあるいは全体主義が幻のように現れた。これはかなりまずい状況だ。
  •  
  • 12:24  この問題は現象学的設計論を展開する僕にとっても大問題で、ここを解かないとヘルスケアから家族、暮らし、街といったところへインタラクションデザインを展開できない。そのために超えなくてはならないところがこの量子力学的世界観の習得なのだ。さて、議論を進めよう。
  •  
  • 12:26  フランスポストモダニズムの巨匠が相次いで亡くなりその思想的継承はフランスやドイツではなくイタリアで行われた。モダンを解体した先に見え隠れする全体主義の亡霊を閉じこめようとしているのはイタリア現代思想の哲学者達である。大澤氏はそのうちの一人ジョルジュ・アガンベンの思想を紹介する。
  •  
  • 12:35  アガンベンは例外状態を法の内と外との区別に対して、解消不能な不決定性が宿るという。(165P)法の実行を停止する主権者の権力が法によって規定されているからだ。典型的な嘘つきのパラドックスだ。法の機能が停止していると、遵法でも侵犯となり、凶悪犯罪でも法に従っていると見なされる。
  •  
  • 12:42  大澤氏は例外状況は量子力学と同じ構造をしていると指摘する。量子力学における波動とは「電子や光子のような微粒子の可能な運動がすべて潜在している状態」である。(166P)この状態を説明する考え方はハイゼルベルグシュレディンガーファインマンなどがそれぞれモデルを提案している。
  •  
  • 12:45  説明の仕方はいろいろあるが現象としてはすべての運動が許されている状態が波動である。それが例外状況と似ている。例外状況では主権者は決断する。法律では判定できな状況で「友は誰か、敵は誰か」を定義し、宣言する。なんか、こんな適当な判断をする人を主権者におくとやばいよねえ。
  •  
  • 12:47  量子力学において「観測を通じて、潜在的・可能的な運動の束(波)の中から、1個の粒子が結晶し、立ち現れる。」例外状況においては「主権者の決定を通じて人民の中から「友」が結晶する。(166P)相当やばいな。しかし、これが第二次世界大戦前にナチズムが生まれてきたメカニズムなのだ。
  •  
  • 12:49  シュミットの決断主義は合理的なパラダイムを徹底的に実行した結果生じた困難に対する対応であった。量子力学もニュートン的なパラダイムを徹底してすすめた結果現れてきた現象への解決の試みだったのだ。さて、ここでちょっと立ち止まろう。まだ量子力学的世界観の中身には分け入っていない。
  •  
  • 12:50  いままで考えてきたのは従来の認識枠組みでは説明できない現象が生まれ、それが新しい認識枠組みを要求していると言うこと。この変化は科学だけではなく社会においても生じていること。その原因は近代社会の憲法がニュートン物理学と同じパラダイムであること。
  •  
  • 12:54  解けない問題が同じ構造を持っている。その問題をとにかく解いて見せたのが全体主義であったこと。思想的合理主義を1970年代から追い詰めてきたポストモダン哲学は同じ亡霊に直面したこと。ここまでだ。大澤氏はさらにもう一つの亡霊について話を進める。それは共産主義だ。
  •  
  • 12:55  全体主義と共産主義は亡霊である。なぜなら過去の出来事だから。しかしいまの社会の先にこの亡霊が見えている。功利主義と形式主義しか決定原理がない社会の落ちていく先はここになる。ハーバーマスやサンデルのように法律に道徳を合理的に持ち込む、ということは現実的ではない。ではどうするのか?
  •  
  • 15:35  量 子力学的世界観とインタラクションデザイン その5:(続き)シュミットが合理主義と生活世界のほころびを全体主義で解決した。ほころびがある点は量子力 学的世界観と同じだ。だが例外状態で主権者が友と敵との境界を決定してそこから「友」が結晶してくる、というのは振り返っても、よくない。
  •  
  • 15:40  合理主義と日常世界のほころびにかんしてもう一つの解決策があった。それが共産主義である。社会の規範を担う人間は生きていてはいけない。抽象的な存在でなくてはいけない。規範の与えてだ。これはシュミットのいう形式的な法と同じである。
  •  
  • 15:42  こ この裂け目を見るとは、量子力学における観測問題、つまり波動関数を壊すことになる。つまり「観測は政治的決断主義の物理的な表現である」(174P)と いうわけだ。議論は大分めんどうなところまで大澤氏によって展開されてきた。だが20世紀の隘路は全体主義だけではなく、共産主義も挑戦した。
  •  
  • 15:45  大 澤氏はレーニンを例にひく。彼もまた全体主義を生み出したシュミットのように共産主義の指導者について論じている。これは西洋の社会民主主義と違うとい う。プロレタリアート自身が運動すると考えるからだ。レーニンはこれとは違って、指導者によって友と敵とを分けるシュミット的指導者であった。
  •  
  • 15:57  共産主義あるいは社会民主主義においては、指導(プロレタリアートや農民への知識注入)ではなく、どのように世界を認識していようと関係なく、資本主義の中で改革の実践をしていれば仕組みはかわると考える見方だ。この考えの指導者がベルンシュタインである。
  •  
  • 16:05  し かしただ日々かいぜんの実践をしたところで本当に革命の日はくるのか。ローザ・ルクセンブルクは革命の好機をまっていてもこないという。つまりさっさとや るしかない。すると時期尚早なので失敗をする。反復的な失敗が「革命の主体を教育してその主体的条件を成熟させる」という。
  •  
  • 16:08  こ れはびっくりだ。イノベーションを実践するためのデザイン思考と同じではないか。まずやってみて失敗をする。そこから学んで次にすすめる。Build to Thinkの考え方だ。またこれはレーニンの主張にも似ている。だが、ローザは大衆を指導するリーダーを耐える考えにも否定的だった。
  •  
  • 16:10  ここからは僕の意見だが、シュンペーター『資本主義・民主主義・社会主義』が問いかけた問題に直接結びつく。資本主義と民主主義つまりは近代合理主義が生み出した二つのシステムが生み出した生活の裂け目の解決が社会主義とはあんまりではないか、というのが彼の主張だ。
  •  
  • 16:12  社 会主義に代わる方法を模索してイノベーションを打ち出しているがそれを継続的に、つまりゼロから一を常に生み出す方法に関してはいくつかの操作的な方法を 示しているだけだ。シュンペーターの天才的な思考はその弟子達によって厚生経済学的にあるいは混合経済的に引き継がれる。
  •  
  • 16:14  そ の危うい均衡は金融工学という量子力学的破壊兵器でぶち壊される。その次はまちがいなくゼロから一を生み出し続けるイノベーションをコアコンピテンスとす るグループだ。そこにおいては指導者なき(アイデアマンではなくコラボレーションで)実践と実行(失敗)の繰り返しあるのみなのだ。
  •  
  • 16:18  レーニンは「成功には失敗が内在している。その失敗へと人を駆り立てるためにこそ、指導者が必要だ」と述べたという。(183P)シュミットは誤り得ない指導者だがレーニンは「必然的に誤る指導者」だ。大澤氏はこの視点から量子力学に戻る。(この項 完)
  •  
  • 補遺

  • 16:20  良いつっこみを頂きました。僕もそう思います。そこにブラックショールズ方程式を持ち込んで高速のコンピュータで情報をやり取りする市場を「工学的」につくりディーラーが端末で力自慢をしていた。ここが変な20年。RT@ooe_san 金融って、そもそも工学分野じゃないでしょって言う(後略)
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2010年11月20日土曜日

量子力学的世界観とインタラクションデザイン その4

  • Fri, Nov 19
  • 09:23  量子力学的世界観とインタラクションデザイン その4:
  •  
  • 第4部 量子力学の神秘:  さていよいよ量子力学の考え方の理解に挑戦する。学問にはなんというか序列があって、いまのところ物理学が一番偉い。その方法をまねて自然科学は学問を行う。だが、僕はそうしたことを行ってはいない。
  •  
  • 09:24  ここで僕が行っていることは社会科学や人文科学を物理学の方法にならって「科学」にしようとしていることではない。ここをしっかりと理解してもらいたい。近代的な意味でインタラクションデザインを科学にする必要は全く感じていない。量子力学を持ち出してきているのは別の意味だ。
  •  
  • 09:31  それはまさに世界観につきる。どのように社会をみるのか、そのメカニズムをニュートン力学から量子力学に変えようという話だ。もちろん「科学」の世界はある。だが赤木昭夫氏が『反情報論』でつかっている表現をかりれば情報哲学の世界もあるのだ。ソーカル事件のように科学を詐欺的に拡張しない。
  •  
  • 09:33  これは科学哲学者達が明らかにしてきたことでもある。科学に固有の見方だと思っていたらそれが社会に共通の見方であり、時代と共に変わっていく。その考え方をパラダイムという。あるパラダイムと別のパラダイムは共約不可能性(incommensurability)にある。つまりお互いを理解できない。
  •  
  • 09:34  だが目の前の現象に引きずられてパラダイムが変わっていくことがある。これを科学革命と呼ぶ。ニュートンの時代が最初の革命だった。その次が量子力学である。あいだにあるのが合理性を拡張したアインシュタインだ。量子力学は1920年代に登場する。第一次世界大戦後である。
  •  
  • 09:37  量子力学は特定の天才的科学者によって作られたものではない。多くの物理学者がその誕生に貢献している。それも意図しない結果の連続が量子力学を生み出している。始めは1900年にマックス・プランクが電磁エネルギーは量子という形をしていると述べた。
  •  
  • 09:39  だが、プランク自身は保守的な研究者で、量子は計算を間違えてたまたま発見したといわれている。また執拗に量子力学に対抗したアインシュタインもまた初期の量子力学に貢献したと言われる。このあたりはまた改めて論じると大澤氏は筆を進める。(128P)
  •  
  • 09:45  量子力学者のリチャード・ファインマンは、量子力学について理解している人はだれもいないと述べている。その謎の核心は光の「波動と粒子の二重性・相補性」だと言われる。ニュートンからアインシュタインの説明を空間の問題とあわせて説明してきたが、結局の所、光をどう扱うかにつきる。
  •  
  • 09:49  なぜ光が波としても粒子としても理解できるのか。有名な解釈はニールス・ボーアによって展開された「コペンハーゲン解釈」である。彼らは光の波は「確率分布」を表していると解釈した。波の高い部分で光子や電子が見つかる率が高く、実際に観察するとそこに波ではなく粒子が見いだされるとした。
  •  
  • 09:51  これを「波束の収束」という。だが、これだけでは問題は解けない。なぜならその確率、つまり可能性が客観的なところが量子力学の神秘だからだ。可能性は主観的で人間の内部の話だった。自然には可能性がない。未来は人間が選択的にかかわるから主観的で可能性が考えられる。客観的な可能性はない。
  •  
  • 09:54  ここはよく分かる。現在の組織の意志決定を見てみるとマックス・ウェーバーの言う合理性の鉄の檻にはいっていて、過去の数字の客観性と未来の不確定性を繋ぐ方法が見つからず、どんどんじり貧になっている。量子力学的世界観が確立していないからだ。
  •  
  • 09:58  ニュートン的世界観では合理的に行っても、えいやっと主観的に行っても何も生まれない。だが、量子力学的世界観では客観的な自然が確率つまり可能性を宿して存在している。(131P)ここの理解が量子力学的世界観がわかるかどうかのキモである。この説明に使われるのがシュレジンジャーの猫だ。
  •  
  • 10:04  客観的で現実的な(actural)な可能性の世界。これを猫にたとえる。猫が部屋にいる。そのへやに電子が検出されると毒ガスがでて猫は死ぬ。電子が存在している確率は50%である。窓から猫をみると死んでいるか生きているかの猫を見ることになる。で問題は見ていないときだ。
  •  
  • 10:07  その時の猫の存在をどう考えるか。普通は死んでいるか生きているかを知らない状態、と考える。だが量子力学的世界観では「50%生きていて50%死んでいる猫がいる」と考える。これはどんな猫なのか?この質問に直接答える前に大澤氏はこの世界観が科学以外の分野にも登場していたとする。
  •  
  • 10:11  それはフロイトの「死の欲動」である。この補助線は上手い。精神分析者として無謬の場所を提供していたかに見えた精神分析が第一次世界大戦を境に変わる。戦友が死んだ瞬間を何度もおもいだして、ああすれば助かったのではないか、こうすれば生きのびたのではないか、と何度も考える。
  •  
  • 10:21  こうした切実な思いを繰り返しているうちに過去の決定的な瞬間が偶有化する。偶有性(contingency)とは必然性と不可能性の両方の否定によって定義される様相、つまりは他でもありえたと見なしうる様相のことである。(134P)
  •  
  • 10:25  過去に起こったかもしれないが起こらなかった可能性が随伴していたということだ。contingencyという英語は簡単に言うと確かに起こるとは保証できないけれど可能性としては起こるかもしれない未来の出来事である。
  •  
  • 10:29  ここからは僕の説明だが成功したらボーナス出すぞ、つまり成功報酬contingency feeと訳す。そして未来だけではなく過去も偶有性をもつ。つまり「過去は、その規定された自ら自身と同等の現実性actualityをもった他なる可能性を随伴して現前する」。大澤氏の説明である。
  •  
  • 10:33  客観的な過去をめぐって、可能性と現実性が直結する。(134P)可能性とは確率分布である。それが現実性となる。つまり存在する。新しい存在論の登場である。インタラクションデザインに確率過程を組み込むとはまさに新しい存在論を実践するということなのだ。議論をさらに続けよう。
  •  
  • 10:47  大澤氏は第13章を二つの孔と題して、有名な二重スリット実験を手短に紹介する。リチャード・ファインマンはこの実験を「いかなる古典的な方法でも説明が不可能、絶対に不可能な現象であり、この現象の中に量子力学の核心がある」と述べたという。(136P)
  •  
  • 11:14  さて、この有名な「思考実験」は実際の実験やコンピュータシミュレーションなどで何度も実行されている。この実験が正しいのか、あるいは相対性理論と量子力学をつなぐ超ヒモ理論はどうか、という物理学の話に持っていくのではなくて、物の見方としてこの実験を見てみよう。
  •  
  • 11:17  以下の実験の説明は大澤氏の文章を参考にしつつ、僕の方法でまとめてある。インタラクションデザインに展開しやすい説明に変えてある。では始めよう。ファインマンが提唱した有名な2重スリット実験の基本は粒子と波とをまずわけで説明することである。まず光が粒子だとする。
  •  
  • 11:20  スクリーンの前に縦に一本細いスリットが入った板を立てる。そこにむけて機関銃のようなもので光子を次々と発射する。スリットを通り抜けた光子がスクリーンに到達する。結果として縦に一列の痕跡が残る。次にスリットの数を2本にする。同じように光子を機関銃で次々と撃ち出す。
  •  
  • 11:25  するとスクリーンには二本の縦線ができる。ここまでは分かるだろう。次に光を波と考える。プールにスクリーンと縦一本のスリットの入った板を考える。波を板に向けて送ると、スリットを通って波がスクリーンにあたる。スリットが一つの場合は真ん中に強い線がでる。ではスリットを二本にすると?
  •  
  • 11:29  それぞれのスリットをとおって2つの波が発生し、それがぶつかると干渉を起こす。粒子の時は2本の別の線になったが、波の時は干渉が起こるのでスクリーンの模様は異なる。干渉が起きたところはラインができず、干渉のなかったところは筋が出来る。つまり干渉縞ができる。これが波の特徴だ。
  •  
  • 11:36  さて、ここまでは粒子と波の実験である。では実際の光の場合はどうだろうか。スリットが一つのときは一本の筋だ。ところが二本にすると干渉縞が生まれる。そこでスリットをとおるときにどのようにふるまっているのかを観察する。すると、干渉縞はできず、2つの痕跡がスクリーンに残る。
  •  
  • 11:41  見ていないときは波で、見たときには粒子になる。これが光の性質である。観察すると粒子になり2本の筋をスクリーンに作る。観察しないと干渉縞である。これはどのようなことなのか?さて、ここからすこし科学としての量子力学から離れることにする。
  •  
  • 11:43  この思考実験のような現象を説明できる存在論とはどのようなものなのか?これを考えていきたい。話はアリストテレスに戻る。リンゴが落ちているとき、地上に近くなると速くなるのは、「僕の場所は地面だから、うれしくて駆け足ではしってしまう」というのがアリストテレスの目的論的説明だ。
  •  
  • 11:46  それを大学生の科学哲学の授業で聞いたときに奇妙な感じがしたのは、義務教育から高校の教育にいたるまで、物質には意志がないことと物質の動きは万有引力の法則に従うというニュートン物理学の存在論が染みついているからだ。
  •  
  • RT@drinami 日立の二重スリット実験 http://ow.ly/3cgDt は感動的でしたね
  •  
  • 11:48  奥出です。外村氏の実験ですよね。こうした確実な積み重ねを評価して、僕たちの世界観(存在論)を豊かにする科学研究を推進してもらいたいものです。
  •  
  •  Fri, Nov 20
  • 07:26  量 子力学的世界観とインタラクションデザイン その4(続き):さて、リンゴの話を続けよう。アリストテレスの目的論の面白いところはリンゴに気持ちという か心があるとして説明している点だ。これを「対象に帰属する知」と大澤氏は呼ぶ。これを万有引力として自然体系の知つまりは外部にだした。
  •  
  • 07:29  こ れがニュートンによる科学革命である。量子が「あっ、みられた。やばい形を変えよう」と思うと量子力学の観測問題は理解できる。するとアリストテレス的な ものに付属する知が感じられる。ただ、このときものはアリストテレス的な一ではなくて、二あるいは多となっている。ここはなかなか複雑だ。
  •  
  • 07:32  スリットが一つの時はものには知が付随していない。ニュートン的に動くのだ。ところがスリットが二つになると光子が「あっ、二つになった。行動を変えよう」といった感じに状況を知識として「知っている」ように解釈せざるを得なくなる。
  • 07:35  ここは大切だ。「光子は単独でも干渉をおこすのだから、ある意味で、こちらの孔とあちらの孔とをともに同時に通過していると見なさざるをえない。単一の光子 が、言わば、自己分裂して、自分自身と干渉しているのである。とするなか光子の知はどこに帰属しているのか。」(142P)と大澤氏は述べる。
  •  
  • 07:37  さ て、次のところがさらに大切。「それは、こちらの孔の位置にある光子とあちらの孔の位置にある光子との双方に同時に帰属していると言うほかない。対象にお ける知の帰属先がアリストテレスの体系の場合とは違って二カ所に分裂しているのである。」(142P)このあたり理解できるだろうか?
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  • 07:41  量子力学的世界観があるといま引用した大澤氏の文章が理解できるということである。知は二カ所どころか無数に分裂して存在している。21世紀の目的論の世界だ。いまここで分からなくてもいい。まだこの話は道半ばである。だが折り返し点にはきた。ここからさらに話は進む。
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  • 07:46  あ る現象を複数の視点から同時に見てそれによって統一性を感じる。量子力学の世界観は神秘的で独特だが、孤立した文化現象ではない。それは20世紀初頭の芸 術の革新運動と連動している。量子力学での可能性とは「客観的な実在性」をもつと説明した。これはニュートン的世界観での可能性とは違う。
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  • 07:49  孔 が二つあって光子が右の孔を通過する確率が50%、左の孔を通過する確率が50%だと言う場合、ニュートン的世界観では、光子は右か左かの孔を通過するの だが我々の知り得た情報が不十分なため、光子の未来の経路について十分な確信をもって予知できない、と解釈する。(143P)
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  • 07:51  だが量子力学での解釈は、単一の量子が自己分裂をして二つの孔を同時に通過していると考える。この解釈の方法は物理学だけはなく、ニュートン的世界観の基本にある遠近法に支えられていた絵画の世界にも登場した。それがピカソなどによって用いられたキュビズムである。
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  • 07:55  キュビズムは対象を様々な側面から観察してそれを一枚の絵にしたものである。複数の視点からの観察を仮想的な平面に投射している。この手法の登場で「長きにわたって西洋絵画を支配してきた規範、中心遠近法、が息の根を止められる。」(145P)
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  • 07:58  さ て、複数の視点が同一の平面に共存して全体を示すキュビズムの形は非常に量子力学的世界観に近いというか同じものだと僕は感じる。だがアインシュタインは こうした世界観は理解できないと主張した。アインシュタインは量子力学に対して合理的世界の延長で理解できないと批判し続けた。
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  • 08:02  大 澤氏によるとアインシュタインの批判に答える形で量子力学は大きく進歩したという。その例としてアインシュタインとポドルスキとローゼンが指摘した量子力 学のパラドックスがある。例として、量子の世界に登場する粒子の「スピン」という性質が上げられた。アインシュタイン達の論理は次のようだ。
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  • 08:11  二 つの粒子がセットになったシステムを想定する。二つの粒子の総計はゼロであるとする。一つの粒子が上向きのスピンを持ちもう一つが下向きのスピンを持つ。 ここでスピンに影響を与えないような形で二つの粒子を遠く引き離す。そして一方のスピンを変える。例えば磁気を与えて上向きを下向きにする。
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  • 08:13  するとどうなるか。スピンの総和が保証されなければならないのだから上向きが下向きになったとき、遠くにあるもう一つのスピンは下向きから上向きに向きを変えなくてはならない。これが量子力学の解釈法だが、そんなことは起こらないとアインシュタインは言う。
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  • 08:14  ス ピンの向きが変わったことをもう一つのスピンがどうやって瞬時に知るのだ?というのがアインシュタインの主張だ。スピンの変化の情報が物理的な最高速度つ まりは光速を超えて伝えられたことになる。だが、どんな物理現象も光速より速くは伝達されないので、この解釈は背理であるとしたのだ。
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  • 08:21  ところがこうした現象があることが実験で確かめられた。アインシュタイン(E)ポドルスキー(P)、ローゼン(R)の頭文字をとってEPR効果と呼ばれる。離れた場所にあるもう一つの粒子の状態を瞬時に知ることができる。それは二つの孔の実験と解釈の枠組みは同じだ。
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  • 08:27  粒 子の一つが遠く隔たった場所に連れて行かれた瞬間にお互いの粒子はお互いの状態を知っていた、ということになる。つまり観察者ではなくて粒子に知が帰属し ている。しかしアリストテレスの時と違って二つ以上に客体が分裂しているときに限られる。これが可能であればEPRのパラドックスは解ける。
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  • 08:29  大 澤氏は述べていないが、これはコンピューティングの世界では量子暗号などの世界で行われていることである。また量子テレポーテーションなどの画期的実験も 最近行われている。ちょっと結論を先取りだが、コンピューターネットワークによる複数(無数)のコンピューティング連鎖は量子力学的なのだ。
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  • 08:31  ちょっ と先走った。まだ分からなくて良い。ここで理解しておいてもらいたいのは、二つに分裂した客体同士が瞬時にして、互いに互いのことを知り合うのはパラドッ クスだとするアインシュタインの考えに対して、量子力学ではそれは可能だとする。とするとその解釈の仕組みはどうなっているのか。
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  • 08:36  こ こで大澤氏は絵画の歴史から補助線としてキュビズムをひく。ピカソはキュビズムへの舵をきったとされる「アヴィニョンの娘たち」(1907)を紹介しなが ら、この絵に大きな影響を与えたとされるセザンヌへと議論を進める。(150P)セザンヌは印象派とキュビズムを繋ぐ画家である。
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  • 08:45  大 澤氏はミシェル・テヴォー『不実なる鏡』(岡田温司訳)によるセザンヌ分析をつかって議論を進める。セザンヌの「サント・ヴォークトワール山」、「プロ ヴァンスの山」あるいは「水の反映」といった作品では描かれたここの事物の輪郭が明確ではなく周囲に溶け込むように描かれている。(151P)
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  • 08:50  テヴォーは「ここの形態に遠心的な力が負荷されているため、私たちがその形態に注意をむけるやいなや、それは解体してしまう」と述べる。(151P)したがってセザンヌの絵画の真の主題は事物ではなくてむしろ空隙だ。古代ギリシャは主題は物であった。
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  • 08:55  パノフスキーによると古典主義の時代は空間にある物が描かれた。それがセザンヌになると、空間いや空隙が主題となった。えがかれたものに注意を払うとそれは解体してしまうとはなんとも量子力学的ではないか。注視が形態を破壊する現象は不確定性原理だ。
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  • 08:56  位 置の不確かさと運動量(あるいは速度)の不確かさの積はある一定の値(プランク定数)より大きくならない。したがって「粒子の位置を正確にとらえようとす ればするほど(位置の不確かさをゼロに近づければ近づけるほど)その分、運動量や速度が不正確になる。」と大澤氏は説明する。(152P)
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  • 08:59  凝視すればするほど粒子はどこともなく逃げ去るのだ。このような経験は量子力学の実験室に限らず、我々の日常世界においても頻発している。それは<他者>を巡る体験においてだ。これは解釈学的民族誌として僕がデザイン思考の講義でおしえていることにもつながる。
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  • 09:04  私 が他者を対象としてとらえようとすると他者はたちまちのうちに生気のないただの物体へと変化する。私が見るということを大澤氏は求心化という言葉を使う。 見ている私が他者の目にさらされていることを遠心化と呼ぶ。他者を他者として意識するにはこの二つの動きが同時に存在している必要がある。
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  • 09:07  こ れを一枚の絵にあらすとキュビズムになるのだ。さらに私を見る視点、遠心点は無数にあることになる。私が相手を見ることは相手が私を見ることと同じであ る。私がそれに触れることとそれが私に触れることは同じだ。この二つに因果関係は必要がない。これが量子力学的な世界観なのである。
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  • 09:11  こ の世界観をさらに理解していくためには観測という問題について議論を進める必要がある。これが第5部以降のテーマだ。ゼロから一が生まれる瞬間の考え方を検討 していく。今回は量子力学的世界観とは複数に分裂している状態のモノに知が属しているという仕組み、確率過程が客観的に実在する、を検討した。
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  • 11:06  @BebsonJP (前略)これが量子力学的な世界観なのである。// これは、大昔からTaoism や禅が言っている事でもあるのですね。>>そうですね。この二つの思想の共通性を指摘する本も大分出ています。新科学なんてものもありました。思考枠組み としては非常に東洋思想的です。  [in reply to BebsonJP]
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  • 11:08  実 はそうした思考枠組みからの説明ではモノの見方の説明に留まり、実際に設計論に展開することはちょっと難しい。もちろんTaoismの視点からプログラミ ングやエンジニアリングを説明することも出来るのですが。今回のTweetsでは禅などとも通じる世界観がどのように設計に関わるかが山です。
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2010年11月19日金曜日

量 子力学的世界観とインタラクションデザイン その3

  • 06:32  量 子力学的世界観とインタラクションデザイン その3:相対性理論と探偵。
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  • さて第3部に入ろう。ニュートン物理学では超越論的対象つまりは神であった光が、他の現象の横並びになってしまったところまで は前回説明した。この流れの延長線上に量子力学はある。だがアインシュタインは違う。
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  • 06:35  ア インシュタインの理論と量子力学の理論は相容れない。世界は確率過程であるとはアインシュタインは考えていないからだ。したがって光は超越論的対象でなけ ればならない。光は波になって他の現象と同じとされた。だが波になるには媒体がいる。つまりエーテルである。この問題をどうすればいいのか。
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  • 06:38  アインシュタインはそれを公理にしてしまった。つまり光速普遍の原理をつくり、それは証明しないで議論を進めたのだ。すると出来事間の同時性はどのように確定するのか、と大澤氏は筆を進める。(91P)同時性とは同一の地点、同一の時刻に生起していることである。
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  • 06:40  そ のためには空間的時間的な同一性を確認できる観察者、絶対時間絶対空間を外から見ることが出来る観察者が前提になっている。話はちょっとそれるが社会科学 の研究をみてみるとこの超越論的観察者への疑問が無いものが多いのでびっくりする。指摘しても何を言われたのか分からずぽかんとしている。
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  • 06:41  方法論への懐疑が社会科学者にはない。ヒューマン・コンピュータ・インタラクション研究者にもない。学会がこうした懐疑を受け付けないところが多い。大澤氏も社会学者だからこのあたり日常的にいらついているのではないだろうか。僕は発表を聴く度にいらっとする。
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  • 06:44  閑 話休題。絶対時間空間を外から眺める超越的な観察者はガリレオ変換で表す。これは「異なる座標系(異なる観察者)における二つの出来事の同一性・相対性を 確認する」という作業だ。この比較が可能になるのはこれらの座標系を包括する絶対的な座標系つまり超越的観察者を前提としているからだ。
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  • 06:49  では、もし時空が相対的だったとすると、観測した出来事の同一性は確認できるだろうか。これがアインシュタインの考えた問題だ。答えは「出来る。」そのために光の速度を不変とする公理を導入した。数学的にはローレンツ変換という方程式になる。
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  • 06:52  こ れは3次元の座標を考えてそこにものが存在しているとする。それにもう一つ座標軸を考えて、それを時間とする。すると4次元だ。これをイメージすることは 難しいが、ベクトルで考えると4次元のベクトルになる。存在ABを4次元ベクトルで表現し、同一と考えた場合のAからBへの変換を考える。
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  • 06:54  こ の変換を成立させて、ニュートン力学と熱力学は同じだとしたのである。出来事は観測者ごとに異なった時間的空間的位置づけをもって現れる。絶対的な空間を 想定しなくても、「光を通貨として導入し、異なる観察者の観測の比較検討可能性」を打ち立てることが出来るとしたのだ。
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  • 07:01  こ こで大澤氏は否定神学のロジックを持ち出す。ここがうまいね。否定神学は『エックハルト説教集』が翻訳である昔の神秘主義で異端の神学者の説、くらいの理 解だったが、最近岡田温司氏の『イタリア現代思想への招待』を読んでからイタリア現代哲学の勉強をしているのだが、その基本概念だ。
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  • 07:05  否定神学とは「##ではない」という否定的な形式においてのみ神の存在を表現できるという説だ。アインシュタインは「どの観測者でもない」という否定的に表現される超越的な観測者がいるのだ。この否定的観測者が観測の間の共通性、ローレンツ変換できることを保証している。
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  • 07:07  つ まりアインシュタインにおいては光は絶対なので追いつけない。ゼノンのパラドックスにおけるアキレスと亀の関係だ。つねに亀はアキレスの前にいる。光はど の観測者もその場所をしめることは「出来ない」存在だ。ニュートンの物理学においては観察者には超越的な場所が静的に与えられていた。
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  • 07:10  だ が観察者が動くとき、つまり静的な超越的場所がないときはどうなるか。どこにも超越的な場所がないというのが量子力学的世界だが、アインシュタインはいく ら動いても追いつくことの出来ない光を想定した。光は異なる場所の出来事を瞬時に知ることが出来て比較することが出来る存在としたのだ。
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  • 07:12  た だし否定神学が具体的なものをさして「それではない」ということで成立するように、経験的な現象、有限の速度をもつ現象と比較して光の速度の絶対性あるい は超越性が保証される。これがアインシュタインの理論だ。量子力学はこの問題を別の方法で解くが、それは次回に改めて説明する。
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  • 07:15  さて、ここで大切なことはニュートン力学は科学革命であったが、この革命は絵画における遠近法の確立、絶対王政の成立、資本主義の勃興と同じメカニズムを持っている、と大澤氏は書く。(94P)科学革命は孤立した現象ではなく大規模な社会変容の一部だったのだ。
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  • 07:16  20 世紀初頭に始まる第2の科学革命はアインシュタインと量子力学の二つが絡み合うが、この革命もまた社会的変容と関連する。政治経済においては帝国主義から 世界大戦へと移り、前衛的な芸術活動が活発になり、社会科学が登場した。だが、こうした変化が第二の科学革命とどう関わっているのか?
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  • 07:33  ここで大澤氏は探偵小説を例に取る。コナン・ドイルチェスタトンだ。ジョイスなどの前衛小説も同じ構造をもつが、探偵小説の時間の扱いの方が分かりやすいという。だがその時間の扱い方とはなにか?それを理解するためにもうすこしアインシュタインとつきあってみる。

  • 07:45  第 2の科学革命を理解する基本は3次元の物理的空間の座標軸に時間軸をつけくわえて4次元とする感じを身に付けることにある。まあ行列式でもいいのだが、 いってみれば四角いゼリーがA地点からB地点に移動する感じ。するとぷりぷろゆれているよね。あんな感じを理解すると分かりやすいかな。
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  • 07:50  お おざっぱな比喩はこのくらいにして、アインシュタインの特殊相対性理論に移ろう。速く移動している観察者の時間は静止している観察者からは遅く進んでいる ように見える。大澤氏はこれを「時間とは運動の数である」という操作的な定義を導入して説明する。そして二枚の鏡が向かい合っていると考える。
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  • 07:54  この二つの鏡の間を光が往復する時間を1単位とする。鏡には光時計がついていて、鏡の間を光子が往復すると一単位と数える。鏡が移動しなければそれでいい。だが鏡が移動していたとする。すると光子が跳ね返って戻る距離が長くなる。これは普通に図に書いてみれば分かる。
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  • 08:33  移 動距離が長くなり、光の速度が一定とすると、時計の一単位(行って戻って)はゆっくりとなる。さらに動く物体は運動方向に縮んで見える。これをローレンツ 短縮という。このように特殊相対性理論は一定の速度で相対運動している観測者同士の関係を定式化したものだ。ここまでは良いだろうか?
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  • 08:36  物が移動するとき普通は重力があるので加速度が発生する。これを考えたのが一般相対性理論だ。リンゴは自分のあるべき場所である地面にむかっていると嬉しくなるので速くなる、というのがアリストテレスの目的論的説明だが、ニュートンはこれを重力として定式化した。
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  • 08:38  加 速していく状態を微分を使って考えたわけだが、この重力の作用を相対性理論に入れるとどうなるかを考えた。つまりニュートン力学において超越的存在(無限 性をこれに当てた)として外部におかれた光と重力に経験的な性質を与えたのだ。時間と空間が縮むという現象を説明して見せたのだ。
  •  
  • 08:41  アインシュタインの理論は物質が持ちうる性質を変えることがない。ここを超越的なよりどころにしているのだ。しかし光と重力は説明の内部に取り込んだ。ここまでをよく理解して欲しい。さて探偵小説はまさに同じ思考のメカニズムをもつと大澤氏は述べる。
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  • 08:43  相対性理論において光は否定神学的な意味での観察者である。なにものもその場所をしめることが出来ない。探偵小説では探偵否定的な意味での観察者なのだと大澤氏は述べる。(100P)殺人が行われて登場人物すべてに犯人の可能性がある。だが探偵だけは犯人ではない。
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  • 08:46  殺 人に参加していないという意味で殺人に関わっている。否定神学的存在である。またホームズにはワトソンのようにあまり聡明ではないパートナーがいる。それ は探偵が正しい解決に達成するために誤った解決をする役を担う。マンガ『名探偵コナン』でも無能な毛利探偵が登場する。(348P)
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  • 08:50  これを大澤氏は「誤りを真理へと解釈換えするためには、無謬性が投射される場所、つまりは探偵、が存在していなくてはならない」(102P)と述べる。おなじことが相対性理論においても言えるという。探偵の無謬性に対応するのが光速の不変性だという。この説明は上手い。
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  • 08:52  つ まりニュートンの物理学においては宇宙を外部から観測するという超越的な視点があった。アインシュタインの物理学もその視点がある。ただし、それは直接的 にあるのではなくて、否定神学的に、つまり否定されえない存在としてある。つまりはアインシュタインはニュートン物理学を再構築した。
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  • 09:01  超越的な存在としての光はアインシュタインによって完成したとも言える。したがって本当の意味での最初の科学革命からの離脱には量子力学の登場を待つ必要がある。これは次回以降のテーマだが、そのまえに大事なことがある。それは無意識の発見である。
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  • 09:07  無 意識をどうあつかうか、これは大問題だ。過去30年は反哲学としてニーチェからハイデガーと展開してきた流れがポストモダニズム哲学に引き継がれ、無意識 論と混じってぼろぼろになってしまった歴史といえる。適当な議論になってしまうのだ。だが無意識という現象の発見は非常に大切である。
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  • 09:10  それは探偵小説と、そして相対性理論とおなじメカニズムの考え方である。探偵小説の探偵と精神分析家はおなじ「否定神学的な超越性」を持っている。つまり事件には直接関わらず、無謬性をもっているのだ。このあたりの話はなかなかめんどくさいが大澤氏は上手く説明している。
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  • 09:13  な ぜ無意識は発見されていなかったか、という問いをたてて答える。古典時代のメカニズムでは世界に内在する視点と世界の外部の超越的な視点が共存している。 これはパノフスキーからフーコーにいたるまで古典時代の絵画の分析から分かることである。ここにおいては無意識は生じていない。
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  • 09:16  客観的な世界(外部の超越的視点)と主観的な世界(世界の内部にある視点)の二つしかないからだ。いまアカデミズムで、とくに科学的に未熟な社会科学やヒューマン・コンピュータ・インターアクション、あるいはマーケティグリサーチなどでも同様だ。
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  • 09:19  だ が、主観とも客観ともいえないものがある。無意識の欲望や幻想などだ。主観的なつまり意識的な制御がきかない。だが客観的な実在でもない。これは「経験的 な対象であると同時にどの観測者もそこに追いつかないという否定性によって成立している相対性理論と同じ思考メカニズムだ。
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  • 09:29  大 澤氏はこの思考メカニズムの問題点をスラヴォイ・ジジェックが『パララックス・ヴュー』でおこなう黒澤明『羅生門』の解釈の説明をつかって説明する。『羅 生門』は盗賊が旅の途中の侍を殺し、その妻を強姦して殺した話だ。登場人物が証言する。盗賊は女を犯して侍と決闘したという。
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  • 09:42  女は犯された恥辱をしる二人の男のうち一人は死ななくてはいけないと言って二人を決闘させたという。殺された侍は幽霊となって現れて、彼は屈辱のあまり自害したという。
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  • 09:45  そして最後はその事件を目撃した杣(そま)売りの証言で、盗賊は侍の妻を強姦した後侍を解放するが、侍は盗賊に犯された妻を拒否する。従来の解釈は同じ出来事でも4つの解釈があるというものであり、その場合はこの人たちを裁く検非違使の視点になる。
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  • 09:48  検非違使は映画には登場していない。裁きの白州を眺める視点である。つまり観客の視点だ。こう考えると観客否定神学的な意味での超越者の立場を取っている。だが『羅生門』はもっと不気味なことを表現しているとジジェクは言う。(111P)ここからの分析がなかなか凄い。
  • 09:54  ジ ジックはあとの証言ほど女の欲望に積極的な意味があるという。強盗、女、侍の証言は4番目の杣(そま)売りの証言からの逃避ではないかというのだ。最初の 3つの証言を否定神学的超越性をもつ検非違使(探偵あるいは精神分析家)が聞く限り相対性理論的超越性が否定神学的に保たれている。
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  • 09:58  だ が第4の証言者は第三者でありながら映画の登場人物でもある。我々観客は特権的な位置を彼の登場で失っている。このメカニズムをもった思考が量子力学なの である。だが時代の思考はそれほど簡単に量子力学には舞台を譲らない。大澤氏はこの流れを社会学のマックス・ウェーバーの思考に見る。
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  • 10:30  奧君の頭脳で分からないことはないとおもうけど。わかんなかったら聞いて。RT@k1oku しばらく茂木健一郎氏の twit を TL から外していたのだけど復活させた。奥出先生と茂木さんの連続 twit で(中略)アカデミックだ〜。もう少し理解できるとよいのだが。(笑)
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  • 10:33  さ て、ニュートン的合理的世界を20世紀に延命させたのがアインシュタインの相対性理論であれば、西洋社会で発達した合理性を研究したのがマックス・ウェー バーである。彼の記念碑的著作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は相対性理論発表とおなじ1905年に出版されている。
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  • 10:35  も ちろんこの二つに直接的な影響関係はない。だが扱っている問題とそれを解決するメカニズムは同じである。狂信的にキリスト教を信じていたプロテスタントの 信者達は物質的には無欲であった。かれらが逆説的に資本主義の推進者となったメカニズムを解明しようとしたのがウェーバーなのである。
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  • 10:43  ウェー バーにとって宗教の合理化とは呪術からの解放である。呪術では人間(呪術師)が人間を救済するために神々を使役する。これを「神強制」という。宗教は礼拝 祈祷などで人間が神に従属する。これを「神奉仕」とウェーバーは『宗教社会学』において分類する。神強制は合理的ではない。
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  • 10:45  カ トリックの免罪符もルターの「喪失可能な恩恵(悔い改めると獲得できる恩恵)」も神強制の残滓があるとウェーバーは述べる。(116p)こうした働きかけ が不可能であるとしたときにプロテスタントの予定説つまりは合理的な世界は完結する。ウェーバーはこの考えを音楽にも広げる。
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  • 10:54  グ レゴリオ聖歌、バッハ、モーツアルト、ベートーベン、マーラー、シェーンベルグと並べてみると大体の流れは分かる。平均律によって調性がうまれてそれが崩 壊するまでである。平均律は一オクターブを「2の12乗根」という半音音程に分割した。この割合が無理数による比であった。
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  • 10:59  「12平均律は、調性をもった音楽、すなわち中心音を持ち、協和音をもって終結するような音楽」をもたらすために整備されてきた。(121P)しかし、第1次世界大戦の直前にシェーンベルグはこのやり方を徹底して12音技法で無調の音楽を作る。
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  • 11:01  皮 肉にもウェーバーが『音楽社会学』で西洋の合理性を称えた同時期に西洋の調性の音楽は終わるのだ。僕は中学校で芸大の作曲科を卒業した教師が音楽通論(書 名はわすれたが)をつかってグレゴリー聖歌からシェーンベルグまでの音楽史を楽譜とレコードと実演で教える実験的な授業を受けた。
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  • 11:04  こ れにはおどろいたね。数学的合理性で古典派の音楽が作られ、それが20世紀の前半に急変しそのあとは現代音楽だからねえ。それを横目にジャズに夢中になり 始めていたが。閑話休題。無限の導入で西洋の合理的世界が確立した。絵画でも物理学を始めとする科学でも音楽でも、古典派の経済学でも同じだ。
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  • 11:06  こ の世界が壊れてくる。この社会現象にきがついてきたのもウェーバーである。合理性を研究しあるいみ讃える研究を続けたウェーバーは1910年以降、非合理 的なカリスマに注目する。それ以前のウェーバにとって、予言者は合理的な宗教に対応し、呪術師は非合理的な呪術に対応する。
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  • 11:08  だ が『古代ユダヤ教』を書いたときにウェーバーはいままでにないカリスマに注目した。それは都市王と勇敢にたたかう農民戦士のようなカリスマだったという。 ウェーバーは第一次世界大戦後直ぐに亡くなりその後の展開はない。しかし、ウェーバーが感じた社会の変化に対応する科学が登場する。
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  • 11:10  さて、ここまで終わってようやく「第4部量子力学の神秘」になる。光が波であるという現象をどう理解するかを巡って様々に争われていたときに、光を絶対速度をもつ存在として定義することで合理的世界の拡大と保全をはかったのがアインシュタインの相対性理論であった。
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  • 11:12  相 対性理論と同じ思考メカニズムを持つのがかならず問題を解決する探偵であり、非合理な欲望を解釈して解決する精神分析家であった。新しい局面に超越的存在 を生みだし、世界を合理的に解釈するメカニズムを残したのである。だが第1次世界大戦後、合理性を救済する近代的なメカニズムが終わる。
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  • 11:13  次回からいよいよ量子力学である。時間軸を持った3次元に存在する物質とは一体どのような性質をもつのか?ニュートンもアインシュタインもこの問題には挑戦していなかった。(この項、完)
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