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2010年9月29日水曜日

My Last SONY

  •  Tue, Sep 28
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  • 06:21  My Last Sony:
  • 昔MyFirstSonyというプロダクトがあった。若者向けにスタイリッシュなデザインを連発していたSONYが子供向けに赤や黄色や青をつかいプラスチックをマテリアルとしてつかったものだ。一緒にメディアファニチャーの研究をしている柏樹さんもデザインしている。
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  • 06:23  昨日今度医療デザインの展覧会に出展するための機器Coconのデザインレビューを行った。Coconについては2010年8月号のAXISに紹介されている。それを切っ掛けに展覧会に出すことになったのでプロダクトデザインをすることになり、学生と柏樹さんとでワークショップを繰り返した。
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  • 06:25  美大出身でない学生にデザインの基本を教えているうちに、意外な人間に才能があることが分かったりして、面白い展開になっているのだが、その活動をレビューした。鉛筆によるスケッチ、模型による形の検討、CGを使ったプロトタイプなどを検討。きちんと線が描けるようになってきた。
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  • 06:27  この段階でもう一度メンタルモデルの検討。医師と看護婦が使いやすいというところまでは昨年の段階で到達している。介護の人や患者の家族のメンタルモデルを検討するのが今年の課題である。医師や看護婦にとっては患者の身体は客観的なものだ。だが医療を学んでいない介護の人や患者の家族は違う。
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  • 06:29  一昨年、医師と看護婦と介護の人が集まる会で僕は講演をした。多職種連携というのだが、医療従事者とそうではない人が協力するのが在宅医療の現場であり、その実践を職種を超えたコミュニケーションで行うことが必要という話をした。それがいまのCoconにつながるわけである。
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  • 06:31  そのとき、看護婦の資格をもっていて、介護を行っている人が、「患者がからだにチューブをつけて退院してくると、医療の訓練のない介護の人はひいてしまう。でも普通に介護をして良いのだ」という話をした。そのときはそうだなと思ったのだが、「ひいてしまう」ということは悪いことだろうか。
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  • 06:33  病院の中での身体は文化的社会的なコンテキストを剥奪されて身体肉体として露出している。究極は手術室であるが、ICUから病室へと移動しても、基本的に肉体である。プライバシーがないという表現をするが、そういった社会的な判断をこえて肉体そのもの。病院という制度の中ではそれが前提だ。
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  • 06:37  在宅医療ではその「肉体」が家庭につまりはオイコスに帰還する。身体がおさまるコンテキストに肉体がはめ込まれる。日常生活の内在的秩序が破壊されるのだ。ここをどのように修復するのかが在宅医療における大問題である。生と死の境界線を引き受ける仕組みがいるのだ。そのことを実感する経験をした。
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  • 06:39  Coconを1ヶ月フィールドテストをするためにターミナルケアを行っているある在宅医療の現場にCoconを持ち込んだ。残念なことに5日目に患者の方がなくなった。そのとき、遺族の人がCoconに残されたデータを見ると亡くなった人の事が思い出されていとおしいと述べたのである。
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  • 06:41  データは医療行為に必要な即物的なものである。だがそれが思い出につながる。患者とともに家庭に存在している機械は肉体を計測する道具という無機質な存在を超えて、人に精神的な意味をあたえるモノに変わり始めていた。24時間患者をモニターするということはいつも患者の横にある、ということだ。
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  • 06:42  フィールドワークで老人の生活をしらべると、親戚や友人からの写真や手紙、お参りしたときの絵馬、孫のお土産の人形などが1カ所に集まっていることがおおい。コミュニケーションセンターだ。ベッドに臥せることが長くなるとベッドサイドがコミュニケーションセンターになる。
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  • 06:45  そこに置かれて、家族とともに思い出を形成していくモノとしてCoconはデザインされるべきなのではないか。糖尿病の子供を支援するデバイスが任天堂ゲームボーイのアクセサリーとして販売されている。治療をいやがる子供のためにおもちゃとしてデザインされている。だが大人だって治療はイヤだ。
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  • 06:47  ターミナルになるといつか別れが来る。そうした局面に肉体として遭遇するのではなく、人間の身体としてつまりはオイコスのなかで向かい合う。自分のことを覚えておいてもらう、亡くなる人を覚えておく。こうしたコミュニケーションを支援するデザインとはなんだろうか?
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  • 06:48  自分の祖父や祖母が亡くなったときのことを思い出してみよう、と学生に聞いてみた。いろいろな意見が出た。24時間監視するのではなく24時間みまもってくれるというのはスローガンで言っても受け入れられない。見守ってくれるモノにはそれに相応しいデザインがある。お地蔵さんとかね。
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  • 06:50  そういった議論をしているときにふとMy Last Sonyという言葉が浮かんだ。まあいまのSonyのデザインがこの世界に出て行く感受性をもっているとはとても思えないが、最後の旅に出るときに持っていたくなるようなデザインとはなにか。さらにそれをモダニズムの文脈で語る必要がある。
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  • 06:52  なぜモダニズムか。それは最近の銀行の広告に良くあるように皆が家族に囲まれて遺言状をととのえて幸せに亡くなっていくわけではないからだ。役所には孤独死の人を火葬した骨壺がどんどんおくられてくると川崎市の人から聞いたことがある。いわゆる無縁社会だ。ここまで届くようなデザインが必要だ。
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  • 06:54  65歳をこえて最後の旅にでるまでをしっかりと支援する(見守る)世界をデザインしていく。これは高齢化社会をこれからむかえていく日本や中国の大きな課題である。デザインを決めて制作するまであと1ヶ月。頑張っていこう。
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  • 07:39  補遺:通常のユニバーサルデザインがこれまで述べてきた精神性について全く触れることがないのは、オイコスにおける身体を見る目がなく、肉体を見ているだけだからだ。日常生活の中に機器をいれるためには便利さだけではなく、新しい美学が必要である。ここに向かい合って仕事をする感受性が必要。
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2010年9月28日火曜日

身体性、デザイン、アカデミズム

  • 13:32  現 代哲学で身体性が問題になるとき、それは近代スポーツの身体とは全く別物である。近代スポーツの身体はむしろ機械であり、ギリシャ哲学がもとめた完璧なる 身体に向かっていく方向が現代に現れたものである。ナチズムの肉体礼賛映画を撮ったリーフェンシュタールみたいなものだ。
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  • 13:36  哲 学で言う身体性とは、人間が身体行為として身に付けている高度な技や仕草の事である。国文学の先生に小唄長唄三味線の達人が多いことや、内田樹前田秀樹 といった武道の達人の仏文学者もいる。近代の合理的なシステムの研究者は運動が嫌いな人が多いが、エンジニアはスポーツをたしなむ人が多い。
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  • 13:39  世 の中には合理的判断の範囲外にありながら、何かをなすと出来てしまう、という不思議な領域がある。ここが身体性の思想が活躍する場所だ。頭脳が支配する外 にあり身体が統括しているにもかかわらず出来てしまう。デカルトにあるいはギリシャ哲学から始まる知性とは眞逆の世界である。
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  • 13:41  儀 礼や祈りなど宗教行為は人間の身体性を知り尽くして活用して人々を幻惑させる。新米の医師はベテランから殴られ怒鳴られ身体で医療行為を覚えていく。この 能力が発見されるのは最近の事だ。19世紀の音楽やバレーの教則本を見てみると、人間を機械にたとえて、その動きを練習させている。
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  • 13:42  このように大事な身体性であるが、運動選手から学者になった人の研究計画書を見ると、意外にみなアンチ身体派なのにはびっくりする。研究計画書の審査をすることもこの年になるとあるので、読むのだが、徹底した合理主義である。論理実証主義の方法で議論を進めようとする。
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  • 13:44  身 体の不思議なところは機械的な動きをしないところにある。ほとんどが確率過程の世界でありながら、パターンを生み出している。このデータが語ることは何 か?そこにこそ身体性の思弁を駆使して欲しいのだが、非常にニュートン力学的だ。同じ事はユーザビリティスタディにも入れる。計測しすぎ。
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  • 13:45  車 の乗り心地とかハンドリングとかの「色気」は計測できない。色気のある車を数値で表すことが出来ても、数値で色気のある車は作れない。建築も同じだ。クリ ストファー・アレクサンダーのパターン言語は間違いではない。良い建築はパターン言語を持つ。だが、それを組み合わせても良い建築にならない。
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  • 13:49  ま あ自然界のことは微分するのは簡単だが、それを積分するのは大変。解ける問題ばかり扱っているから積分できると思うけど、そうは問屋が卸さない。結局解け ることを探すことになり、それはかなり直感的な世界だ。ここに自由に分け入って答えを見つけるとき、分析から実践へと行為が変わる。
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  • 13:52  こ こが身体性なのだ。身体計測の科学でもなければ、名人や達人の実践のパターンを発見する行為でもない。単語があつまり詩になり、いろいろな材料があつまっ て、輝く形になり、身体の動きが統合されてバレーダンスになる。その瞬間が身体性 embodimentと呼ばれている現象である。
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  • 13:54  embodimentのある行為をするということは分析的な論文を書くという行為とは異なる。KMDの博士論文は自分の活動がなにかすばらしいものにembodimentした瞬間を記録して欲しい。いや修士論文も同じだ。つまらない分析を幾ら積み重ねても、だめだ。
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  • 13:57  自 分の身体を解放して自在に動かし、何かを達成する。達成する行為はかならず身体の動きを伴っており、それによってのみ表現は修練していく。生きてくるの だ。幾ら論文があってもenbodimentしていなければ駄目だ。そしてそのことは一目で分かるのである。だが最後に一言付け加えたい。
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  • 14:00  ス ポーツ的身体能力に優れていたり、デザイン表現が優れていても、KMDの博士はだめだ。僕が優秀だと言うことを自分の存在で証明しても駄目。かつて、言語 学者ヤコブソンは小説家ナバコフをハーバード大学教授にすることに反対した。「象を研究するのに象を雇う必要はありません」と言ったのだ。
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  • 14:02  自分のやったことを魅力的に、論理的な流れを保ち、物語として、そして誰でも分かる明確さ(明証性)を持ち、自分の声で語る。ここにKMDの修士も博士も到達して欲しい。偽善と魔術と俗物根性はいらない。アカデミズムだからね。

公共性とオイコスとアメリカ型資本主義のこれから

    Mon, Sep 27
  • 11:52  僕はあんまり景気とか経済の先行きといったことを気にする方ではない。日本のGDPが低くても経済的な指標が悪くても現状とちょっと先をみて判断をしている。で、その現状はこのところ悪くない。日本のビジネスにおける現状はそんなに悪くないと思う。だが、黒雲がアメリカから来そう。
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  • 11:55  最近、いろいろなニュースを見ているとアメリカがくしゃみどころか年内に肺炎になるかもしれないという予測がちらほら。リーマンショック後の底がもう一度年内に割れるかもしれないと。そうなると、本当に世界の情勢は変わってしまうだろうね。混乱の中を前に進むしかないな。日本はそのとき悪くなる?
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  • 11:58  アメリカ的体制をとっているところは厳しいだろうな。イノベーションを行わない安定した経営をする会社組織と未来の約束手形をもっている労働組合、これって、実はアメリカの戦後システムそのものだ。GMの崩壊もそのツケを払っている。この仕組みが「正義」とされて来たのだ。この仕組みが崩壊。
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  • 12:00  アメリカの思想の中ではフリードマンのように個人の能力を評価して、弱者をたたきつぶす強欲な資本主義って実は結構例外的。もちろん建国の時からジェファーソンとハミルトンの対立はあったけど、みんなに豊かな暮らしを与えるというモダニズムがアメリカの思想の根っこにはある。今回も同じだ。
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  • 12:03  今回の悲劇はみんなに住宅を与えよう、というルーズベルトが始めた住宅ローンの仕組みを住宅を所有できない人たちにまで拡大する仕組みをフリードマン的強欲資本主義をお勉強したビジネススクールのお利口さんが利用した所にある。そしてあり得ない額の不良債権が生まれた。
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  • 12:04  ここ30年、アメリカで住宅市場が拡大してきた。重厚長大の時代ではないと半導体やソフトウェアビジネスを模索していた大手のトラクターメーカーに勤めている友人がここ20年来、あうと小型の機械がアメリカで売れて売れてという。なぜだろう?というわけだ。住宅を一杯造っていた。
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  • 12:06  そもそも住宅を購入できない層に住宅ローンで持ち家を持たせて、プチブルジョワジーにして共産主義の驚異を防ぐというとんでもない仕組みでうまれた住宅ローンで多くの人たちは住宅を私有することが出来た。この夢が戦後の経済体制を支えたのだ。このあたり拙著『アメリカンホームの文化史』に詳しい。
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  • 12:08  その住宅に家電を自家用車を売り込んで日本の経済は復興し、日本人も自分の夢を叶えていった。ところがアメリカにはその夢が叶わない層がいた。それは日本も同じだろう。その層に、アメリカの夢を売り込む方法を考えたお利口さんがいた。そこが破綻した。アメリカの夢は二度目は正夢にはならなかった。
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  • 12:16  初期資本主義においては機能した公共とプライベート空間(オイコス)の分離が政府あるいは権力者によるオイコスの侵略で壊れていく。そのことに気がつかずにいままで来たわけである。だが、財産ももたず、文明を自慢せず(西洋的教養をひけらかせず)、その日暮らしをしていて何が悪いのだろうか?
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  • 12:19  このような状態は理想であるが、理性を持った人間はこの楽園から追放されたとジャン・ジャック・ルソーは考えて、理性をもった人間と国家が社会契約を結ぶ必要があると考えた。そのためにひつようなのが「一般意志」である。一般意志は法律となり、個々人を縛り国家が生まれる。
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  • 12:23  で、めんどくさいのは、自然な状態を楽園として、そこにもどるべく押し込められていたプライベート領域を解放するというこころみがフランス革命においてもロシアの革命の初期においても行われた。ここからはアーレントの理論の借用だが、理性を偽善として仮面をはぐのが革命というわけだ。
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  • 12:25  ところが理性を取り払った後に残るのは動物だ。暴力、支配、物欲、性欲がむき出しになる。(エソロジーの立場からすれば、動物にとっては迷惑な「動物論」だが)。こうしたことは「私的領域」に治めておくべき事だ。アーレントは人間に仮面をかぶることを勧める。ペルソナだ。
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  • 12:29  ペルソナをまとった人間が演技をする。公衆を意識して行動することが人格なのだ。匿名のおしゃべりがつながったところで公共性は生まれない。自分の正体を公衆の前に晒して、自分の発言に責任をもつ。そのときに良き市民として本音をみせずに演技をする。民主主義が理念ではなく実体になる瞬間だ。
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  • 12:32  インターネットによる公共圏の創出は政治学者が最近論じている非常に大きなテーマだ。それはまた新しいプライベート領域、あたらしいオイコスの実現にもつながるはずなのだ。その日暮らしで財産も持たずに生きる人が充実した人生を送ることが出来る社会はくるのか?ここが21世紀の挑戦だ。
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  • 12:34  シュンペーターが「資本主義、社会主義そして民主主義」を記した20世紀の時代とは大きく変わってきている。資本主義がアジアで新しく生まれている。民主主義がインターネットのおかげで現実のものになる可能性がある。するとこの二つを調整する役割は社会主義(20世紀には失敗に終わる)ではない。
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  • 12:39  社会主義とは全体主義であるが、アメリカ的産業構造、GMとUAWが生み出した帝国も社会主義のようなものだ。社会主義の正義もなければ、アメリカ帝国の正義もない。ではどこに進めばいいのか。オイコスをどうデザインするかの問題はこの問題をを含んでいる。確かなのは僕たちは動物じゃないことだ。
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  • 12:45  21世紀に向けてのオイコスの再デザイン。空間や家具だけではないだろう。台所や寝室やバスルームのデザインは人間関係のデザインにつながる。レストランやカフェのデザインもあたらしいオイコスの問題だ。そして在宅医療が進めば生と死、さらにはスピリチュアルな世界が顔をのぞかせる。
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2010年9月23日木曜日

現役復帰宣言その2

  •  Wed, Sep 22
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  • 17:04  現役復帰宣言をしばらく前にしたが、現状報告。現役復帰とはいまの研究のフロンティアに一研究者に戻ること。『思考のエンジン』を出したときから、デジタル世界と物理世界のインタラクションを現象学的に認識することに焦点を当ててきた。ドレイファスハイデッガー解釈から始まる世界である。
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  • 17:07  ハイデッガーの示した世界をこえようと研究が続いている。ユビキタスコンピューティングとセンサーの進歩で身体と情報のインタラクションの研究が急激に進んでいる。メルロポンティの提唱した身体と近くの問題を実際に実験をしながら考えることができるようになってきた。ここをみていく。
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  • 17:22  フランスの脱構築哲学者の多くが亡くなり、ハイデッガーがしめした世界の現象学的世界は現在イタリアの哲学者に受け継がれている。岡田温司 『イタリア現代思想への招待』を参考にいろいろと考えてみた。アガンベンカッチャーリエスポジトペルニオーラテッロージマルケジーニなど。
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  • 17:27  そしてびっくりしたのが、マリオ・ペルニオーラ(Mario Perniola)『無機的なるもののセックスアピール』(1994, 2004)。これは晩年のベンヤミンが残したメモを軸に今を理解しようとしている。これはわかるね。ポストヒューマンは動物ではないのだ。
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  • 17:31  イタリアでは美学と哲学が共存。http://bit.ly/aZ0ojG 1980年代にハイデッガーを持ち込んでインタラクションデザインを大きく変えたウィノグラードの次をしっかりと考えてみたいね。このあたりが理論的な攻めどころだ。しっかりと調べてみたいね。新しいモダニズム理論も大切。
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  • 17:39  このあたりの本を読みながら、インタラクションデザインの領域でどのような研究が行われているかをしっかり調査して関連する論文を読んで行きたいと思っている。
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  • 17:56  さて、次はどのような領域で研究を進めるか。ユビキタスコンピューティングテクノロジーの進歩はセンサーとアクチュエーターの世界を身近なものにした。非常に安価にそして簡単にインタラクションシステムを作ることができる。また使い方に関しても小林茂さんたちの数年にわたる活動で一般化した。
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  • 17:59  また人間が情報を身体を介在させてセンサーを介してインプットして、コンピュータでそれを処理して、アクチュエーターで人間に戻す。この概念枠組みでできることも大体飽和してきた。VRをみたときの衝撃やARを初めて見たときの衝撃に相当する新しい領域を見つける必要がある。社会性と身体性。
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  • 18:04  ただ社会性と言っても問題意識の設定が難しいな。イタリア現代哲学のながれでいうとオイコスつまり家庭というか生活空間における身体の問題が大きな論点になっている。病院から家庭に医療がうつったときに戸惑う感覚、家族が生活する時間空間になじまない現代の家具や家電サービスなどいろいろあるな。
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  • 18:05  個人と社会の関わりも、システムでみるときの個人はつねに「アトム」であって意思を持たないとされた。だが携帯端末で情報を得ている我々はそれに従って行動するので「アトム」ではない。ネットワークにつながった個人の行動として数年前から注目されている現象だ。その問題と社会性と身体性を繋げる。
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2010年9月22日水曜日

デザイン思考と経営戦略 新しいモダニズムへの道

  • Tue, Sep 21
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  • 07:56  今日は10時から中野坂上K社月例相談会。あと、前から頼まれている新しいコンサルティングの打ち合わせもできれば。デザインのクライアントが製造業から情報産業に移っている。だがやることは同じ。人間はマテリアルのない世界で生きていくことは難しい。この感覚が分かってくれるといいな。
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  • 07:57  今日はデザインオフィスの設計の売り込み方法を考える。クライアントはS。日本ではない。あともうひとつ。内容も内緒だけどクライアントはT。これも日本の会社ではない。少しずつクライアントも多極化。
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  • 08:02  デザイン思考って1980年代からの産業構造の変化に直接関係している。1970年代日本が高品質で安い物を高性能の工場で大量生産してアメリカ市場に送り込んだ。日本は高度成長を謳歌したが、アメリカは大変なことに。そこでMITの若手研究者を集めて日本に送り込んで調査させた。
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  • 08:05  そのときに、高性能工場の仕組みを分解して制御部分を取り出してそれを「ソフトウェア」とよんだ。若き日のクスマノたちの仕事。このあたりは面白い裏話がすでに公開されているのでいつか紹介。そのソフトウェアを知財にすることを思いつき、製造業から情報産業へと一気に産業構造をシフトさせた。
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  • 08:07  この話は何回かこのTwitterでも言及した。80年代から情報産業へとシフトして、いまはアップル、マイクロソフト、グーグル、と大企業は情報産業。GMもついに失速した。製造業と言っても大量生産の工場のことだ。この工場もソフトウェア化して、世界のどこで作っても同じ品質になった。
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  • 08:08  プロダクトをデザインしても価値が生まれない時代になったのだ。1980年代からのポストモダニズムはこのことを直観したデザイナーによるモダンデザイン終焉の宣言だった。モノのデザインの必要がなくなった訳ではない。人はよいデザインの物をもとめている。だがそこには価値がつかない。
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  • 08:12  ポストモダンデザインはその奇抜さで、お金持ちの物好きに少しは売れた。これをデザインの時代と勘違いしたのがバブル期のデザイン。そして、1990年からの10年間はデザインに価値をつけないミニマリズムがデザインとされた。だがどれもデザインが必要な現場にデザインを持ち込んでいない。
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  • 08:38  1990年代はブランディングの時代でもある。デザインの才能はグラフィックデザインに投入された。コマーシャルを含む商業デザインに多くの傑作が生まれている。だが、産業の基幹である自動車や家電の世界はその領域を製造業から変えないまま現代に至る。この産業でデザイナーといえばプロダクトだ。
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  • 08:40  9割以上がプロダクトデザイナーの会社で付加価値の付かないモノのデザインを行っている。デザインが悪いとお話にはならないが付加価値が付かない。つまりデザインはコモディティ化しているのだ。ポストモダンのデザインによる付加価値も一般的な話ではない。
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  • 08:42  デザインをゼロにするか(ユニクロ)細小にするか(ムジルシ)して、高品質低価格がいまのところの解決策だ。情報領域での付加価値をつけるためのデザインはアップルなどが行っているが、日本の製造業はまったくだ。多機能で使いにくいというのはまさにデザインが解決する絶好の問題である。
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  • 08:44  だが、ここを責任を持って担当するデザイナーはいない。別の会社に発注している。だいたい、「発注」された段階で引き受ける企業にはデザインをする余地はない。仕様書にしたがって作るだけである。デザインがなくても気にならない顧客が一定数いる。そこに向けてのビジネスでどうにか乗り切ってきた。
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  • 08:54  インタラクションデザインや埋め込みのプログラミングの製造業における地位は恐ろしく低い。ここをかえるのがデザイン思考の経営戦略的な役割なのである。顧客に提供するもの、つまりはオファリングにおいて、顧客が満足する経験を提供するにはどうすればいいのか、ここが議論の焦点になる必要がある。
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  • 08:57  付加価値とはプロフィットであり、顧客になんらかのオファリングをした人なり企業なりが受け取る報酬である。原材料はコモディティである。それをどのように加工して顧客に満足を与えるか、これがデザインの挑戦だ。物を所有すること顧客が満足する時代にはプロダクトデザインに価値がある。
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  • 09:00  だが、使うことに価値があるときには別の領域をデザインしなくてはいけない。その意味で日本の携帯のソフトウェアは使ってもらったときの価値を追求している。またニコニコ動画や2ちゃんなども使ったときに価値が生まれている。こうした活動をいかにして産業に組み込んでいくかが大切なのだ。
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  • 13:38  KMD参上。さきほどK社との打ち合わせ。製品の再デザインをおこなうことに。将来の経営戦略を見据えて、具体的なデザインに反映させたい。電子回路から素材からどこまでまとめられるかに挑戦。新しいモダニズムをもとめて。
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2010年9月21日火曜日

SFC創設の経営戦略とKMDのこれから

  •  Mon, Sep 20
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  • 13:00  SFCを立ち上げていたときに、1科目入試を実行した。このおかげで英語の偏差値が爆発して、慶應全体の偏差値向上に向上した。慶應大学が早稲田と水を空けた瞬間だ。(早稲田、ゴメン)。これには思想的背景がある。それはいわゆる3科目入試(英語、国語、数学)5科目入試では私学は競争できない。
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  • 13:02  東大や京大といったところと戦い、場合によっては抜こうという競争戦略を立てた場合、ポーターの競争戦略流に考えれば、違う市場で競争しないといけない。つまりエリートや優秀な学生という定義が旧帝大と同じだと、ブランド力と実績に欠ける新設キャンパスでは2番手しか取れない。
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  • 13:04  そこで、それまでほとんど行われていなかった1科目入試+小論文という戦略を採った。競合相手が生まれるまでは、この領域はブルーオーシャンで、強者が沢山取れた。特に数学受験が凄かった。英語が絶望的に出来なくて数学しか出来ない連中が大挙して受けに来たのだ。彼らの英語力と来たら!!
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  • 13:06  英語ができなくてもコンプレックスを持たなくて言い、ということで他の言語を履修することもできた。だが英語が出来ないとは語学センスがない、ということで大して延びない。あと小論文テスト、それも超絶に難しくて読解力と文章力がないとはいれないと言うことで、そこはクリア。
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  • 13:07  初期の奥出研究室はそんなやつに溢れていた。英語も出来ないし、まあ教養もない。そんな連中を一から訓練してチームを作った。産学協同をスローガンに次々とプレゼンをさせた。研究費が一億円をこえたあたりで、キャッシュフロー会計を導入して学校会計と並行して走らせて予算管理をした。
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  • 13:10  そんな連中が修士2年の最初に、企画会議が終わって、どうしましょう?というので「君が営業に行って売ってきたら」と軽い気持ちで言ったところ、「契約できました」と4桁の仕事をまとめてきた。まあ世の中的にはバランスの悪い劣等生だ。だが実は優秀。1科目入試は当時はSFCだけだったからだ。
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  • 13:11  そんな一人が卒業後政府系金融機関につとめて、経産省にキャリアとして出向。担当の課長が僕の所にとんできた。「こんな優秀な人はいない。ぜひまた誰か。しかし・・」と言う。そうだろう。こんなに優秀なエリートがどうして慶應なんかにいるんだろう。東大とか京大ではないのか、という疑問。
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  • 13:13  「ああ、こいつは英語が全く出来ないんです。CD-ROMをCD-LOMと書いたりする。他の能力は抜群で人柄も良いしがんばり屋だけど。東大の試験、うからないし」と述べた。数学が出来るので、デリバティブもちょっと教えたら直ぐ分かる。20年前だ。ベンチャーキャピタルの原理なんか直ぐ理解。
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  • 13:15  そんなわけで、僕は現状の能力で出来るとか、出来るとか評価することはしない。その人間の持っている潜在力で評価する。この時代はそうして鍛えた連中が大きな組織で活躍した。まあ「ノイズ」採用だろうが、出世している。そのあげく止めた者もいる。ここがとても大切。
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  • 13:17  こうした戦略的教育の魂をKMDでは受け継いでいきたい。志がある者は誰でも言い。幾らでも教える。だから推薦状も入らない。成績も出身校も気にしない。学歴ロンダリングだって?それは20年前のSFCでもいわれた。専門学校だってね。だが実績がすべてだ。能力を展開した連中がいま30代後半。
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  • 13:19  また分割前のNTTに採用された者は「なんで君が・・」翻訳すると慶應大学出身の学生が、東大法学部かそれに匹敵するエリートしか配属されないここに配属されているの?」と言われたという。だが、これも20年前。支配的な大企業が力を弱めている今、これからの成長企業で頑張ってもらいたい。
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  • 13:21  現在の学生の能力なんてどうでもいい。むしろいま能力が高いということは現状に適応しているので将来のリスクは高い。人柄とセンス、これは教えられない。あとは徹底的に勉強すればいい。このあたりを上手に組み立てて、あたらしい競争戦略を立案していくつもりだ。
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  • 13:25  同じ尺度で一番になるべき競争する気はない。創造力とお人柄と論理的表現力。ここにしぼる。足りない能力や基本は学生個別にカスタマイズして教える方法をいま検討中だ。そしてリアルプロジェクトという実践の場で教師と半学半教で学んでいく。そして21世紀の実学の世界に飛び出すのだ。
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  • 13:29  @asada0 @NaohitoOkude 一芸君が更に能力を磨ける場は素晴らしいと思います。>>これは誤解されているところだよね。一芸君には興味がない。これはSFCのAO入試の設計でもこだわった。一芸君とエリートという対立が間違い。頭のいい子を探す。尺度を変える。これが戦略。  [in reply to asada0]
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  • 13:31  @monotocoro 数学入試組〜は〜い!未だに絶望的に英語できない!!かといって何かスゴい訳でもないorz... RT 語学はセンスがいるからね。でもSFCで勉強してデザインを職業にしている学生は多い。数学入試が意外にいるよ。英語出来ないから直ぐ分かる。  [in reply to monotocoro]
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  • 13:33  数学入試だからといって数学が必要とされる人生を送る必要はない。慶應の総合大学としての学風を学び、デザインなど創造的な仕事に広い視野をもって関わってくれればいいので、数学という枠をつかって可能性のある子を選んだ。高校までで英語がものになってなければ、まあ語学向いてないと言うことで。
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  • 13:37  ところで、SFCの話を色々書いているが、僕が戦略を立てたわけではない。一番の下っ端だったので書類を作ったり実行のマネージメントをしたりして非常に身についている、ということです。SFCは基本的には高橋潤二郎氏の大学改革の哲学から始まっている。それを横で学んでいたというわけです。
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  • 15:20  @drinami @drinami @takuYSD: 「現在の能力・学力はどうでもいい。これから学べばいい」>>さらに付け加えると、客観的な数字の評価で足きりはしない、ということです。なのでそれこそ小学校から大学終わるまで自分の力でつみあげてきたことは一生懸命評価します。  [in reply to drinami]
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  • 15:22  @Hideo_Ogura 楽天では勤まらない人材。RT @NaohitoOkude: 「ああ、こいつは英語が全く出来ないんです。>>これは納得できない決定だよね。楽天創設メンバー(現幹部2名)およびその後の中心メンバーは奥出研にいました。奥出研卒業じゃないけど。楽天の英語共用化はどのくらい深い哲学的背景があるかしりたいところだ。
  •    [in reply to Hideo_Ogura]
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  • 15:46  @drinami @takuYSD: 現在の能力・学力はどうでもいい。これから学べばいい」>>言葉が足りなかった。学校の成績評価の数字(GPA)やTOEFLの数字、指導教授の推薦状がいらない、ということで、いままで君が積み上げてきたすべてをぶつけてくれれば受け止める。
  •  
  • 15:46  GPS>>GPAを間違えたので再投稿。GPAって普段使わないから。失礼しました。
  •  
  • 18:05  @takuYSD @NaohitoOkude @drinami (前略)今KMDの学生は授業の課題やプロジェクトに追われてとても忙しそう。>>授業や課題に追われる状況は来年度から解決目指しています。がプロジェクトは「追われないと」いけない。プロジェクトで学ぶことがKMDの目的。  [in reply to takuYSD]
  •  
  • 18:08  @drinami @takuYSD @NaohitoOkude 講義で忙しすぎるのは問題ですね.大学院の講義は手段であって目的ではないはずなのに >>来年度カリキュラム改訂頑張ってます。  [in reply to drinami]
  •  
  • 19:05  学生の潜在能力を評価する、というのは、大学院で勉強するときに、勉強する内容に耐えられるか、創造性ややる気があるか、を面接で決める。教えるが側の能力が問われるところだ。就職試験と同じ感じである。違いは給料を払う相手を決めるのではなくて授業料を頂く立場に大学はある。
  •  
  • 補遺
  • 沢山のメンションをいただいた。それぞれおもしろい。ありがとうございました。
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  • Bebson HOCHFELD BebsonJP
    @NaohitoOkude 水滸伝を読んでも武芸百般の英雄等は出て参りません。真に使える豪傑は62斤錫杖(しゃくじょう)の魯智深とか。慶応SFCの1科目入試って凄いですよね。英雄豪傑を集めるのにはコウじゃなくちゃ!だから慶応SFCは梁山泊だった訳だ!
  • Scudelia Scudelia
    潜在能力なんて、卒業までに片鱗さえ見えなければ、おしまいなんじゃないと思う。学んできたことを活用する場が社会なわけで。 QT @tamai1961: RT @NaohitoOkude 現在の学生の能力なんてどうでもいい。むしろいま能力が高いということは現状に適応しているので将来の
  • 吉田匠 takuYSD
    @NaohitoOkude @drinami 確かに。僕もKMDの学生ではないですがいくつものプロジェクトに追われて学んできました。今も追われているような。
  • Naohito Okude NaohitoOkude
    @drinami @takuYSD @NaohitoOkude 講義で忙しすぎるのは問題ですね.大学院の講義は手段であって目的ではないはずなのに >>来年度カリキュラム改訂頑張ってます。
  • Naohito Okude NaohitoOkude
    @takuYSD @NaohitoOkude @drinami (前略)今KMDの学生は授業の課題やプロジェクトに追われてとても忙しそう。>>授業や課題に追われる状況は来年度から解決目指しています。がプロジェクトは「追われないと」いけない。プロジェクトで学ぶことがKMDの目的。
  • Masahiko Inami drinami
    @takuYSD @NaohitoOkude 講義で忙しすぎるのは問題ですね.大学院の講義は手段であって目的ではないはずなのに
  • monotocoro monotocoro
    仕事の為、と何度か勉強を試みるもののいつも挫折。合わないものは合わない、と納得です。よく考えたら仕事では現地語と日本語の通訳さんがいつもいます。 RT @NaohitoOkude: 高校までで英語がものになってなければ、まあ語学向いてないと言うことで。
  • 吉田匠 takuYSD
    @NaohitoOkude @drinami 私は一部の学生しか見ていないのでなんとも言えませんが、今KMDの学生は授業の課題やプロジェクトに追われてとても忙しそう。自ら学べる時間・環境・設備は十分に与えてあげたいものですが。
  • ikotto ikotto
    進学先に、SFCを考えてる人は、この@NaohitoOkudeさんの一連のツイートを読むのもいいんじゃないかと思うのだけど、これってどこかにまとめてくれる人いるのかしらん?
  • Naohito Okude NaohitoOkude
    @Hideo_Ogura 楽天では勤まらない人材。RT @NaohitoOkude: 「ああ、こいつは英語が全く出来ないんです。>>よくぞ言った。楽天創設メンバー(現幹部2名)およびその後の中心メンバーは奥出研にいました。奥出研卒業じゃないけど。
  • 小倉秀夫 (HIDEO OGURA) Hideo_Ogura
    楽天では勤まらない人材。RT @NaohitoOkude: 「ああ、こいつは英語が全く出来ないんです。
  • Ryuta Arai rrutan
    RT @tamai1961 大学というものがほとんど経営らしい経営をしていなかった時代に、きちんとした戦略で進んだのがSFC、ということになりますね。高橋先生とは何度かお目にかかる機会があったのにその時期のことを聴いておかず、残念なことを RT @NaohitoOkude
  • KATSUYA TAMAI tamai1961
    大学というものがほとんど経営らしい経営をしていなかった時代に、きちんとした戦略で進んだのがSFC、ということになりますね。高橋先生とは何度かお目にかかる機会があったのにその時期のことを聴いておかず、残念なことをしました。 RT @NaohitoOkude
  • KATSUYA TAMAI tamai1961
    RT @NaohitoOkude 東大や京大といったところと戦い、場合によっては抜こうという競争戦略を立てた場合、ポーターの競争戦略流に考えれば、違う市場で競争しないといけない。つまりエリートや優秀な学生という定義が旧帝大と同じだと、ブランド力と実績に欠ける新設キャンパスでは2番

  • KATSUYA TAMAI tamai1961
    RT @NaohitoOkude 現在の学生の能力なんてどうでもいい。むしろいま能力が高いということは現状に適応しているので将来のリスクは高い。人柄とセンス、これは教えられない。あとは徹底的に勉強すればいい。このあたりを上手に組み立てて、あたらしい競争戦略を立案していくつもりだ。
  • まん@クロタイガー叔父 millionsage
    「@NaohitoOkude 慶応SFC(湘南藤沢キャンパス)立ち上げの話 #sfc」をトゥギャりました。 http://togetter.com/li/52130
  • K Oura a0t12
    RT @a0t12: RT @NaohitoOkude: (cont) http://tl.gd/64bevs
  • esaki hajime esakihajime
    RT @NaohitoOkude: そんなわけで、僕は現状の能力で出来るとか、出来るとか評価することはしない。その人間の持っている潜在力で評価する。この時代はそうして鍛えた連中が大きな組織で活躍した。まあ「ノイズ」採用だろうが、出世している。そのあげく止めた者もいる。ここがとて/
  • 加藤新 aratonton
    @NaohitoOkude おもしろいですね。
  • いぢられコージー koji1989
    だから、付属校の学生ばっかりなんですか? RT @NaohitoOkude: そんなわけで、僕は現状の能力で出来るとか、出来るとか評価することはしない。その人間の持っている潜在力で評価する。この時代はそうして鍛えた連中が大きな組織で活躍した。
  • 滝巴 祥梨 insomnia769
    RT @NaohitoOkude: 現在の学生の能力なんてどうでもいい。いま能力が高いということは現状に適応しているので将来のリスクは高い。人柄とセンス、これは教えられない。あとは徹底的に勉強すればいい。このあたりを上手に組み立て、あたらしい競争戦略を立案していくつもりだ。
  • 土居 翔 ShoDoi
    @NaohitoOkude 誰にも負けない何か一つのオタク的能力+創造力+人柄+コミュニケーション能力が、私の前職企業の採用において重要視される基準でした。先駆的な企業や学校において、求められるものは、既に昔のソレと全く異能力であるような気が改めてしました。私はその方が好きです。
  • Naohito Okude NaohitoOkude
    @asada0 @NaohitoOkude 一芸君が更に能力を磨ける場は素晴らしいと思います。>>これは誤解されているところだよね。一芸君には興味がない。これはSFCのAO入試の設計でもこだわった。一芸君とエリートという対立が間違い。頭のいい子を探す。尺度を変える。これが戦略。
  • Kazunori Asada asada0
    @NaohitoOkude 一芸君が更に能力を磨ける場は素晴らしいと思います。KMDは先生方が優秀なだけに、学生側にもいろいろな能力が求められているように見えがちですが、一点に突出している者でもいいと言われれば来る学生も増えるかも。ただし、実績出さないと駄目だけど。
  • monotocoro monotocoro
    数学入試組〜は〜い!未だに絶望的に英語できない!!かといって何かスゴい訳でもないorz... RT @NaohitoOkude 1科目入試+小論文という戦略を採った。英語が絶望的に出来なくて数学しか出来ない連中が大挙して受けに来たのだ。彼らの英語力と来たら!!
  •  
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2010年9月18日土曜日

リンガフランカとヴァナキュラー その2

  •  Fri, Sep 17
  •  
  • Bebsonさんとのやり取りがすすんで、非常に本格的な言語論になってきました。たのしい。@SteFoyLesLyonさんも臨場感のあるTweetsをくれた。

  • 07:39  RT @BebsonJP: @NaohitoOkude英語が母語でない者がリングアフランカとしての英語(国際英語)を学ぶ事は比較的簡単ですが、英語が母語である者にとって、脳内の母語の干渉が強過ぎて国際英語を学ぶ事は大変に困難な事なのです。
  •  
  • 07:39  RT @BebsonJP: @NaohitoOkude 例えば、私がスペイン語を喋る時に、ポルトガル語の影響を排除するのは、大変に困難なのですね。母語としての英語と国際英語とをキチンと使い分ける事も同様だと思います。標準英語を喋れない人間の方が、国際英語を習得するのが容易 ...
  •  
  • 07:40  RT @BebsonJP: @NaohitoOkude 私の最初の発言を、先生の論理に置き換えると、フーテンの寅さんの様に東京弁を喋っている人間は、ビルトインされた東京弁の強い影響で、却って標準日本語が上手く喋れないものです。
  •  
  • 07:43  @BebsonJP さんのメンションがおもしろいのでいくつかRTしました。実際にそうだと思います。社会言語学的な、つまりは言語間の政治学の問題と言語行為という人間の能力を分けて議論しない時代が長く続き、いまでも意外な人が素朴な意見を述べてそれが通用したりします。
  •  
  • 07:45  国連英語はこのあたりをふまえて作られており、またいわゆるコミュニカティブ・コンピテンスを主張する教育法もここを押さえています。さらにESLも大分進んでおり、小説や論文もESLでもいい、と主張しています。イギリスもグローバルイングリッシュを主張しています。
  •  
  • 07:47  また、あるいみアメリカ英語はグローバルイングリッシュの先駆けといえます。そもそも背景の異なる人のコミュニケーションを意図していたのだから。いずれにしても誰かが所有している特定の言語から誰も所有していない言語へとリンガフランカを移す作業は現実には大変で、とりあえずは英語を使う。
  •  
  • 07:51  英語を母語としていない者はここで大きな挫折を味わう訳です。例えばアメリカで学位を取ったとする。すると心のなかには「もっと英語が出来たらなあ」という気持ちが生まれます。そして、自分の子供に小さいときから英語教育をしたりする。早期教育は一般的には意味ないけどこうした執念があると違う。
  •  
  • 07:54  で、子供は英語が母語となったりする。でもそれだけなんだよね。アメリカで小学校に行っているのと同じ。あるいはさらに努力してバイリンガルにする。これは確かに効果がある。だけどまあ皆は無理だ。すると現実的な解決策は母語をのこして英語を教える。さて、ここで問題が起こる。
  •  
  • 07:56  シンガポールは母語をのこして英語で教育をする。激しい選抜があり、高等教育は英語なので、一般的に英語能力は高い。エリートになればなるほど英語が出来る。若手の官僚などは普通に英語で仕事をしている。リーカンユーの偉かったところは、イギリス人の用に発音する必要はない、と考えたところだ。
  •  
  • 07:58  アジア人がイギリス人のように発音したって怪しまれるだけだ。それに二級市民扱いを受けてまでイギリス人になる必要はない。一方で、いわゆるシングリッシュも駄目だとした。これは言語学的に民族英語と呼ばれていて、英語とは別だ。英語はリンガフランカで。母語を大事にして高等教育は英語で。
  •  
  • 08:01  いろいろな国の人間があつまり、英語でコミュニケーションを行う。まあそこそこ通じる。それはシルクロードのバザーのようであり、各民族が入り乱れ、コミュニケーションする。20年前にフランスのVR哲学者が、自分も下手な英語を使いながら、「2流の偽物言葉で議論していて何が出来る」と言った。
  •  
  • 08:04  それを聞いたときに「ああ、こいつこそ偽物だ、本を読むのをやめよう」と思ったが、言語を巡る政治学はなかなか難しい。そして支配の問題が加わる。明確な文法、分かりやすい発音という機能的な目標を立てても、習熟に差が出て、その違いを利用したパワーゲームが始まり、それは思考方法に関わる。
  •  
  • 08:07  政治的英語の利用は、植民地を支配するために英語を教えるという第1世代。イギリスの植民地政策と関連する。第2世代はベルリッツ。移民が世界からやってきて英語を覚えて「アメリカ人」になる為の方法。僕らはこれが「語学教育」だと思っている。最近のこの会社の広告は「正しい英語を喋りましょう」
  •  
  • 08:10  まあ電車の語学教育案内は植民地主義(白人の先生の写真)と移民同化政策(繰り返し練習して上手になりましょう)の組み合わせだ。さて、シンガポールであるが、高等教育で英語が普及するにつれて、勝手に英語を使い始めて、なんだか分かりにくくなった(当然だけど)ので「分かりやすい発音と文法」。
  •  
  • 08:13  知的で子育てを一生懸命した家では、母語を残し、英語を学び、バイリンガルとして子供が育った。でアメリカで教育を受ける。母語で表現された文化が理解できない、と親は嘆く。まあ文化なんてあとで学べるけど。さらに中国語を第二のリンガフランカにと発表すると、国語(中国語)教師がデモをする。
  •  
  • 08:15  僕はシンガポールのこうした言語政策を肯定的に見ていて、頼もしいなと思っている。だが、リーカンユーの強烈な誇り(ケンブリッジ大学を卒業したとしても英国人ではないし、英国のまねとおもわれたくない)とは別に「ネイティブ」の英語の嵐にさらされているのもシンガポールの若者だ。
  •  
  • 08:18  現実にシンガポールの若手官僚と話していると、リーカンユーの気持ちが引き継がれていて、誰のものでもない、ちょっとお国なまりのある無機質な英語を話す。とてもいいなと思う。ここで止まれば良いのだけれど、彼ら彼女らは子供の英語教育をどうするのかなと思う。また母語の教育はどうするのかな。
  •  
  • 08:20  このあたり、シンガポールも揺れ動いているはずだ。中国本土は漢字を簡略化したので、母語による中国文化へのアクセスが難しくなっている。最近では中国思想を理解するマンガをつくって、それを通して伝統へのアクセスをという挑戦もある。これは良い感じだな。
  •  
  • 08:22  いずれにしても母語とリンガフランカとしての英語の問題は重大。ここを考えるときに、ネイティブ英語をおしつけるのは止めてくれないか、というのが僕の議論だ。この議論をすると、じゃあ「間違った英語で変なコミュニケーションをして良いのですか」というベルリッツ型英語ヘゲモニーの主張が出る。
  •  
  • 08:24  このヘゲモニーによる恐怖から英語に対する態度が崩れる。これは実はシンガポールの中産階級の若者を見ていても同じだ。英語ネイティブに対するコンプレックスがどこか感じられるときがある。ところで、今までの議論だが、じゃあ正しい英語を話さなくて良いのですか、という話になるがそうではない。
  •  
  • 08:27  リンガフランカとしての「正しい英語」これをグローバル英語というが、ここが体系立っていないのが問題。大体TOEFL600点、TOEIC900点くらい。ここまでをネイティブ英語イデオロギー抜きに学ぶ。大体小学生新聞くらいの感じだろうか。あるいは「そうだったのか」シリーズぐらい。
  •  
  • 08:29  え、要求高くない?と思うだろう。そんなことはない。5年も勉強すれば楽勝で到達できる。だが、この方法を導入するための社会言語学的なバリアが強すぎてうまくいかない。これでは高度な事が学べないという意見もある。その通りだ。だから「翻訳」がある。日本では翻訳でコンピュータ科学が学べる。
  •  
  • 08:31  SixシグマというGEが提唱した生産性向上の方法があるが、このテキストは簡単な英語で書いてある。労働力の安いところに工場を持っていきそこで生産をするためのマニュアルだからだ。植民地英語イデオロギーだな。多くの英語の啓蒙書やビジネス書は小学校高学年から中学生くらいの英語だ。
  •  
  • 08:34  このくらいの英語はだらだらと普通に読める。これがリンガフランカだ。だがそれから先は普通の人が挑戦するのは時間の無駄。ただやはり高度な思考を知る必要があるときは「翻訳」でよむ。それで良いのだ。もちろん、自分の母語がそれほど話者を持たないときに「翻訳」市場がない、という問題がある。
  •  
  • 08:36  だが、スウェーデンのように、それでも母語を捨てないという選択もある。スウェーデン語はあんまり英語と変わらないので英語の上手い人が多いが、それでも強烈にスウェーデン語を残している。日本人はリンガフランカとしての英語と割り切ってネイティブ英語へのコンプレックスを捨てて勉強すればいい。
  •  
  • 08:38  ネイティブ英語話者は自分の英語を押しつけない。この両面作戦が大切。英語の公式の書類はいわゆる「ネイティブチェック」をする。あるとき有名な「ネイティブスピーカー」のチェックを受けた。実は元の文章も「ネイティブ」と僕とで書いた。チェックは頼んだわけではなくて、組織からの要請。
  •  
  • 08:42  そのチェック項目のほとんどは修辞に関するものだった。ポストモダンさらにはその先の思想を議論しているときに、カント的良識を振り回してもらっても困る。さらにはそれを「英語」だと押しつけるのはたまらない。その旨を講義したら、「実は他の所からも同じ指摘があります」とのこと。
  •  
  • 08:43  で、使っても使わなくても良いことになった。「英語ではこういう」という本がちまたに溢れているが、多くは言語の問題ではなくて、修辞上の問題、イデオロギー上の問題であるものが多い。好きに話して好きに書けといっているわけではない。きちんとするべきだ。だがそれとこれとは別。
  •  
  • 08:46  KMDの日本人の学生には以上の事をふまえて、リンガフランカとしての英語の練習に励めと言っているのだが、やはりネイティブ英語幻想に振り回され、帰国子女でないとそれには到達はできないので、結局勉強しない、という例が多い。日本中そうだな。この思考回路を変えることが21世紀には必要。
  •  
  • 08:48  @BebsonJP 標準英語を喋れない人間の方が、国際英語を習得するのが容易いと思います。>>最後に一つだけ絡んでおこう。「標準英語」ではなくて「ヴァナキュラー英語」をしゃべれない人の方が「国際英語」を取得するのは容易、と書き換える。で、当然そんなことはない。
  •  
  • 08:50  グローバル英語は当然ヴァナキュラー英語を話す人間の方が文法構造が同じだから容易である。また文法構造が近いヨーロッパ言語はグローバル英語習得は簡単。日本語は文法構造が違うので、かなり大変。
  •  
  • 08:52  @nyagai 日本語は母語で高等教育が受けられるという点はメリットなんだろうか…>>そうです。大変なメリットです。ここをうしなったら今面白い日本語の小説やエッセイも、多分お笑いもマンガもなくなる。それを感謝し、グローバル英語にむかっていくというイデオロギーが作れないのが問題。  [in reply to nyagai]
  •  
  • 10:03  @SteFoyLesLyon テクニカルにはそう思うのですが、2種を区別しえないヴァナキュラー英語話者は一般に教育水準が低く、グローバル英語への意識も低い傾向と感じます。この点どう考慮されますか。>>その通り。グローバル英語の理解のない発言が高等教育制度のなかで跋扈が問題。  [in reply to SteFoyLesLyon]
  •  
  • 10:06  @BebsonJP でも欧州の人間は、先生の様に、イギリス人の母語英語をそんなに嫌ってはおりませんよ。>>好き嫌いは社会言語学だから。それにヨーロッパ人同士が英語で話すって、文法構造から言って、方言みたいな感じだし。僕の議論は一般論ではなくてポスト西洋社会を考えた話です。  [in reply to BebsonJP]
  •  
  • 10:16  @SteFoyLesLyon@NaohitoOkude 私がイメージしているのは、イギリスにおける「労働者階級」の人たちなのですが、高等教育におけるそれとは本質的な違いがあるのでしょうか。>>難しい問題が出たね。社会言語学ど真ん中。ちょっと説明しておこう。
  •  
  • 10:19  William Labovという人がいます。アメリカ人で社会言語学を始めたと言っていいかな。彼は英語は社会階層によって違う、という理論を唱えています。僕の師匠である鈴木孝夫がこの説を日本に当てはめようとして、発見したのは日本語語彙には階層差がないことです。これが近代化のカギ。
  •  
  • 10:21  つまり、英語は知的レベルに会わせて使う単語が違う。なので、あるレベル以上の語彙を使って書かれている文章は同じ英語を使っていても分からない。ところが日本語は漢字というだれでもしっている文字をつかって英語を翻訳すると、日本語が出来れば大体言っていることが分かる。
  •  
  • 10:34  この仕組みがあったので英語・フランス語・ドイツ語などを日本語に翻訳をして近代教育が可能だった。漢字圏は同じだったと思う。英語のこの階層性は、逆を言うと、半端な英語力では本質がつかめないということにもなり、特に自然科学やエンジニアリング以外の分野では大変だった。
  •  
  • 10:35  だが、SFCで教え始めてUNIXの世界をしったときに、エンジニアリングにもかかわらず、そのあまりにも哲学的な議論が洗練されていることにびっくりし、またその部分をほとんど翻訳しない日本のエンジニアの態度に、これでいいのかと思ったりした。
  •  
  • 10:37  逆にダイソンやペンローズといった科学者が高度な英語を駆使して語る様をみて、まあ文系だけではなくて理系も半端な英語力では分からない世界があるなとは思った。で鈴木孝夫のポイントはこのレベルの英語を理解する人間を少数作るだけで英語教育はよい。それはフランス語やドイツ語教育と同じレベル。
  •  
  • 10:39  あるいはそこまでいっていないアジアの言語などの専門家を育てる。普通の英語教育は大学でやらなくてもよい、という過激なものだった。これを軸にSFCの語学教育は出発する。これは25年くらい前に構想され20年前に実施された。その結果SFCは世界に広く窓をもつ人材が育った。
  •  
  • 10:40  ところが時代は変わりグローバル化の波が世界を覆って、英語でコミュニケーションが出来るようになった。この変化のなかで、英語偏重の動きが形をかえてよみがえる。それは二つの方向に分かれた。一つは使える英語ということで、高度な英語教育の可能性を大学から追放しようとするものだ。
  •  
  • 10:42  もう一つは、英語帝国主義である。アメリカ英語帝国主義といってもいいかもしれない。何でも英語でやる、という流れだ。この方法で英語だけで授業をする大学も登場した。大学がグローバル英語を教える必要があるいまこの時代に、きちんとした英語教育がなされていない。ここが問題だ。
  •  
  • 10:44  数年前に、東京大学の英語のグループはいくつか新しい教科書をだして、教育法も工夫した。これは高度な英語専門家(これは今後も絶対必要だ。しかりとした良質の翻訳もいる)をつくるにはいいだろうが、グローバル英語を全員に話すというのにはちょっと高度だ。相変わらず大学入試英語は難しい。
  •  
  • 10:46  そしてグローバル英語のニーズのあるところに、いま問題にしているネイティブ英語とあり得ないほど低レベルでの日常英語が組み合わさって存在している。これは学会や大学で顕著で、ビジネスの現場はもっと現実的な解決をしていると思うが、楽天の会社では英語、などをみているとあれっと思う。
  •  
  • 10:48  ようするに、グローバル英語で発信することは必要だが、受信側もグローバル英語に備えるように、というのがいままでの議論の主旨だ。これは結構根が深い問題で、建前はそうだが、ぽろりとでた本音をきくとびっくりすることが多い。日本だけではない。グローバル時代の社会言語学が必要となっている。
  •  
  • 10:50  @SteFoyLesLyon SteFoyLesLyon @NaohitoOkude (前略)とくにイギリスの場合。知的レベルは高いが、社会的地位が低い移民の層が厚くなってきています。これをどう「分類」して考えるかに関心を持っています。 >>ここがポイント。そのとおり!!  [in reply to SteFoyLesLyon]
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  • 11:37  RT @BebsonJP: @NaohitoOkude Amen! 正に仰る通りです。ドイツ語等は比較的庶民にも分り易い構造になっておりますが、高等英語?はラテン語やギリシア語の素養が無いと全く歯が立ちません。英語の階層性には酷いモノがあります。国際語にしたくないですね。
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  • 11:38  RT @BebsonJP: @NaohitoOkude 昔、ニューギニア・ピジン英語を勉強した時に、ある種の英語崩れの言語なのに、母語英語話者には却って習得が難しいと聞いた覚えがあります。
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  • 15:52  @nyagai ということは母語で高等教育をしてないと文化が貧弱になってしまう… RT >>もちろん母語を剥奪された上での強烈な文化活動はあります。アゴタ・クリストフの自伝『文盲』など。でも母語で高等教育がおこなえている状況は感謝こそすれ、批判することではありません。  [in reply to nyagai]
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  •  補遺
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  • 多くのRTやメンションを頂いたので、載せておきます。
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  • NaohitoOkude @SteFoyLesLyon SteFoyLesLyon @NaohitoOkude (前略)とくにイギリスの場合。知的レベルは高いが、社会的地位が低い移民の層が厚くなってきています。これをどう「分類」して考えるかに関心を持っています。 >>ここがポイント。そのとおり!!
  • Arista@2ch irc Arista_999 バックグラウンドとか社会経験で言葉の使い方が違うような気がする。階級じゃないわなぁたしかに RT @NaohitoOkude 発見したのは日本語語彙には階層差がないことです。これが近代化のカギ。
  • Arista@2ch irc Arista_999 みんなヨーダみたいな喋り方になっちゃうんだよね。グリーンスパンとか RT @NaohitoOkude 英語は知的レベルに会わせて使う単語が違う。なので、あるレベル以上の語彙を使って書かれている文章は同じ英語を使っていても分からない。
  • d SteFoyLesLyon @NaohitoOkude しかし、社会階層と知的レベルは一致しなくなる程度が高くなっています。とくにイギリスの場合。知的レベルは高いが、社会的地位が低い移民の層が厚くなってきています。これをどう「分類」して考えるかに関心を持っています。
  • j_ou no repunkuratuy The Times 語があるという何かで読んだ話は本当なんだろうか。 QT @NaohitoOkude: つまり、英語は知的レベルに会わせて使う単語が違う。なので、あるレベル以上の語彙を使って書かれている文章は同じ英語を使っていても分からない。ところが日本語は(略
  • d SteFoyLesLyon @NaohitoOkude 私がイメージしているのは、イギリスにおける「労働者階級」の人たちなのですが、高等教育におけるそれとは本質的な違いがあるのでしょうか。

  • Bebson HOCHFELD BebsonJP @NaohitoOkude でも欧州の人間は、先生の様に、イギリス人の母語英語をそんなに嫌ってはおりませんよ。
  • Bebson HOCHFELD BebsonJP @NaohitoOkude 先生の発言を沢山読んで、やっと先生の主張が理解出来ました。その点、私の英語も欧州標準英語なので、先生の主張に合っておりますね。http://booklog.jp/users/bebson/archives/4334031641
  • d SteFoyLesLyon テクニカルにはそう思うのですが、2種を区別しえないヴァナキュラー英語話者は一般に教育水準が低く、グローバル英語への意識も低い傾向と感じます。この点どう考慮されますか。 QT @NaohitoOkude グローバル英語は当然ヴァナキュラー英語を話す人間の方が文法構造が同じだから容易

  • 李徴 LeighCho わかる。アジア人同士で英語で話しててもネイティブは入り込みずらいみたい。RT @NaohitoOkude @BebsonJP 英語が母語でない者がリンガフランカとしての英語を学ぶ事は比較的簡単ですが、英語が母語である者にとって脳内の母語の干渉が強過ぎて国際英語を学ぶ事は大変に困難
  • 明美303 遠隔ヒーリング akemi303 RT @NaohitoOkude: ~やはりネイティブ英語幻想に振り回され、帰国子女でないとそれには到達はできないので、結局勉強しない、という例が多い。日本中そうだな。この思考回路を変えることが21世紀には必要。
  • しらゆき shirayuki1030 「誰かが所有している特定の言語から誰も所有していない言語へ」か。大変興味深い連続ツイート。 RT @NaohitoOkude 言語を巡る政治学はなかなか難しい。そして支配の問題が加わる。習熟に差が出て、その違いを利用したパワーゲームが始まり、それは思考方法に関わる。
  • mayumi N mayumayu_japan RT @NaohitoOkude: 国連英語はこのあたりをふまえて作られており、またいわゆるコミュニカティブ・コンピテンスを主張する教育法もここを押さえています。さらにESLも大分進んでおり、小説や論文もESLでもいい、と主張しています。イギリスもグローバルイングリッシュを主張
  • mayumi N mayumayu_japan RT @NaohitoOkude: アジア人がイギリス人のように発音したって怪しまれるだけだ。それに二級市民扱いを受けてまでイギリス人になる必要はない。一方で、いわゆるシングリッシュも駄目だとした。これは言語学的に民族英語と呼ばれていて、英語とは別だ。英語はリンガフランカで。(略
  • nagai.yumi. nyagai 日本語は母語で高等教育が受けられるという点はメリットなんだろうか… RT @NaohitoOkude: アジア人がイギリス人のように発音したって怪しまれるだけだ。それに二級市民扱いを受けてまでイギリス人になる必要はない。一方で、いわゆるシ… http://ow.ly/2FwgD
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