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2010年9月8日水曜日

イタリアモダニズム研究メモ2010年9月7日版

    Tue, Sep 07
  • 08:15  イタリアモダニズム研究:倉西さんと打ち合わせているイタリアモダニズム研究の構成がアップデートした。イタリアの美術と美学と社会とのコミットメントの感覚を上手に伝えないと、いわゆるデザイン史になり、またバウハウス型のモダニズムと日本ミニマリズムの肯定になる。豊穣で過激な研究が必要。
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  • 08:19  第1巻:未来派から合理主義建築へ 戦間期の建築、デザインについて。ここが出発点。ミラノ建築文化を未来派から見る。Antonio Sant'Elia、Mario Chiattone、Giacomo Balla。ここに当然バウハウスの影響があるが、限定的かつ独自の解釈に留まっている。
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  • 08:21  第1巻:(続き)そして、Gruppo 7。この流れが二つに分かれる。一つはモダニズム建築/デザイン発展の不幸=ファシズムとの関係(ファシスト党員でないと建築ができなかった)。一方建築文化で育ちながら建築から離れていくグループがある。
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  • 08:22  第1巻(続き):それが、ミラノの建築文化からイタリアモダンデザインへの流れである。中心はジオ・ポンティ。彼はDOMUSを創刊(1928年)した。これは建築だけでなく、アート、ファッションなど、人々の生活に関わるほとんどの領域を網羅した初のライフスタイル誌である。
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  • 08:26  第2巻:戦後復興/奇跡の経済復興(1950年代後半〜60年代前半)。
  • この時代の活動を詳細にたどりたい。デザインという言葉もデザインを教える学校もない時代だ。 活躍したデザイナーを列挙すると、ジオ・ポンティ、マルチェロ・ニッツォーリ、フランコ・アルビーニ。
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  • 08:27  さらに、マルコ・ザヌーゾ、エットレ・ソットサス、カスティリオーニ兄弟、アルベルト・ロッセッリ、カルロ・スカルパ、カルロ・モリーノ、ブルーノ・ムナーリ、アンナ・カステリ・フェリエーリ、アンジェロ・マンジャロッティがいる。彼らの作品をじっくりと紹介・鑑賞したい。
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  • 08:29  第2巻:忘れてはならないのが、デザイン文化を牽引した企業/リナシェンテ:商品開発部である。ここの内部の奨励賞が黄金のコンパス賞であり、創設は1954年である。56年ADI(イタリア工業デザイン協会)へ移管した。次いで第二世代のデザイナーが登場する。
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  • 08:31  第2巻:第二世代のデザイナーは、ガエ・アウレンティ、アレッサンドロ・メンディーニ、ロベルト・サンボネット、ジョエ・コロンボ、エンツォ・マリ、ウーゴ・ラ・ピエトラ、ガエターノ・ペッシェそしてマリオ・ベリーニである。エンツォ・マリは最近『プロジェクトとパッション』が翻訳された。
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  • 08:36  第3巻:デザイン文化を支えたもの〜エンジニアとモデリスタ
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  • イタリアデザインは建築文化の他にエンジニアの流れもある。ここをしっかりと紹介・検討してみたい。イタリアデザインの豊穣さは建築とエンジニアリングにその起源をもつのである。
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  • 08:37  第3巻:例えば、ヴェスパを設計/デザインしたCorradino D'Ascanio、戦後Nato軍に採用されたイタリアのジェット戦闘機(Fiat G.91)を設計/デザインしたGiuseppe Gabrielli、チンクエチェントを設計/デザインしたDante Giacosa。
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  • 08:40  第3巻:黄金時代の多くの製品のモックアップ/プロトタイプを製作したGiovanni Sacchiも上げておこう。彼を20年ほど前に日本に呼んだことがある。
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  • 08:41  第3巻:(続き)建築文化(プロダクトデザイン)とスティリスタ(スタイリング/車)の微妙なぶつかり合いがある。イタリアのデザインを考えるときに、ここが面白い。ジェノバに始まる艤装、トリノの自動車(カロッツェリア)、航空機にみる技術革新とデザインこのあたりに注目したい。
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  • 08:44  第3巻:注目すべき会社はフィアット1899〜 イタリアの国策企業。自動車、鉄道、航空、船舶まで。ピアッジョ1884〜 艤装の会社として創業。のちに二輪、自動車、鉄道、航空機まで。こうしてみると日本の企業にも見るところは多そうだな。
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  • 08:45  第3章:イタリア車はこの流れで見ていく必要がある。ランチャ1906〜。アルファ・ロメオ1910〜。イソ(1939〜戦後スクーター、自動車を生産。イセッタ1953)マセラティ 1914〜。フェラーリ 1947〜。
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  • 08:47  以下、駆け足で。 第4巻 マルコ・ザヌーゾ、ロドルフォ・ボネット 建築、デザインの両分野で活躍。 第5巻 家具の大物デザイナー。ヴィコ・マジストレッティほか。
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  • 08:48  第6巻 デザイン企業。 ●オリヴェッティ●カルテルプラスチック家具 プラスチックの発明でノーベル賞をとったイタリア人(ジュリオ・ナッタ) ナッタ教授のミラノ工科大学での教え子、ジュリオ・カステッリが創業した、プラスチック製品メーカー。●ブリオンヴェガ(デザイン家電の先駆者)
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  • 08:49  第7巻 1968年。イタリアンデザインの勃興と停滞。トリエンナーレ占拠事件 ラディカルデザイン運動
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  • 08:50  第8巻 Italy the new domestic landscape 1972。 ラディカルデザインのとイデオロギーとは無関係にモダニズムを継続した守旧派デザインが混在。イタリアモダンデザインの今(当時)を世界に発信した展覧会。
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  • 08:51  第9巻:ファッションデザイン 繊維産業と服飾の歴史。ナンニ・ストラーダ(インダストリアルデザインが対象となる「黄金のコンパス」賞を受賞した初のファッション・デザイナー)ジョルジョ・アルマーニ(ファッションにおけるモダニズム)ジャン・フランコ・フェレ(ミラノ工科大建築科卒業)
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  • 08:52  ポストモダンの時代にはいる。 第10巻 アルキミアとメンディーニ  第11巻 メンフィス 第12巻 ソットサス
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  • 08:54  第13巻 黄昏のイタリアモダニズム
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  • イタリアのモダニズム論の〆で「未来派FuturismoからボリディズムBolidismoまで」を検討。ボリディズム(Bolidismo)とは、1986年、フィレンツェ大学建築学部卒業の若手建築家16人が結集し未来派の現在版をめざしたグループ。
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  • 08:55  第13巻:未来派が結成された1909年(未来派宣言がフランスのフィガロ誌上に掲載された年)は、自動車、飛行機、機関車が最先端の技術として注目された時代で、そこから「速度」を大きなテーマに取り上げたのが未来派だった。彼らが注目したのは、メカニカルで物理的な速度感だった。
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  • 08:58  第13巻:ボリディズムのメンバーたちは、新しい時代の電子的でバーチャルな速度感に注目した。インターネットに象徴される、より即時的、共時的なコミュニケーションの速度をテーマにしていた。造形的にはポストモダンに組み込まれるが、思想的にはメンフィスとは異なっている。
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  • 09:01  第13巻:ステファノ・ジョヴァンノーニ、マッシモ・イオザ・ギーニ、ヴイド・ヴェントゥリーなどが関係していた。この時代以降、イタリアデザインから学ぶべきことはほとんどない。ここから先の歴史はグローバル時代をふまえてアジアの資本主義の中で作られる。アジアンモダンデザインだ。
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