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2010年9月14日火曜日

グローバル英語(リンガフランカ)と生活の言語(ヴァナキュラー)

  • 13:51  い まエンリオ・マーリ『プロジェクトとパッション』を読んでいるが、分かりにくい。翻訳がわるいのかなあと思っていたので倉西さんに質問。この本は読んで ないが、マーリ氏にインタビューしたことがあるが、いっていることがよく分からない人という話。これは腰を据えて読まねば。
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  • 14:02  「こ れとこれの資料、イタリア語なんですが」と倉西さん。「構いません。フランス語でも必要ならリストに上げて下さい」と僕。「え!フランス語読めるんですか」「昔は フランス語のほうができました。30年間何もやってません。全部忘れました。スペイン語もやったけど忘れました。読めません、喋れません」。
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  • 14:04  過 去30年間のグローバリズムと英語の普及によって多くのものが変わった。そして変わったが故に、グローバルイングリッシュですくいきれないものの価値が分 かってきた。これは英語対イタリア語あるいは日本語という話ではない。グローバル言語つまりリンガフランカとしての英語対生活言語つまりヴァナキュラーとしての日本語、イタリア語。
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  • 14:05  イ タリアデザインも英語でかなり発信している。DOMUSも半分は英語だ。だが、そこで表現されている世界と生活言語(ヴァナキュラーな言語)の世界は違 う。この両方を見る、感じる力が必要。というわけで、理解力は低くてもグローバルなフレームワークからこぼれるところも拾っていくのだ。
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  • 14:09  英 語対日本語というばあいの英語は実はリンガフランカ、つまりコミュニケーションのための言葉。ラテン語みたいなものだ。誰のものでもない言語。これと母語 の共存がこれからかなり求められる。あっけんからんとグローバル英語を話し、母語あるいは相手の文化の言葉も大事にしよう。この共存が大切。
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  • 14:10  英 語を母語とする、あるいはほぼ母語とする話者が会話する状況に、英語を母語としていない人間が加わる場合、英語話者は母語としての英語からリンガフランカ としての英語に切り替えるべき。現実にはもうそうなっているが、平気で母語としての英語をつらぬくたわけ者も実は学会では多い。
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  • 14:13  また英語教育も母語あるいはそれに近い能力をつけることを目的としているものが多い。そんなことは不可能だ。一方道具としての英語の話も変だ。言葉は生き物で、きちんとしたルールなどない。この難しい状況で英語と母語を使い分ける。このイデオロギーを大事にしたいね。
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