analysis

2011年4月28日木曜日

民族誌、民族学、民俗学、そして民俗誌

  • Wed, Apr 27

  • 10:35  フィールドワークと民族誌にかんしてはなかなか用語が不安定で修士二年生の学生の発表でも混乱しているので説明しておく。民族誌はethnographyの訳である。いままで説明したような方法だ。

  • 10:37  民族誌のような記述的方法ではなくて、観察の背後にある法則を見つけ出そうというのが民族学 ethnology である。レヴィ=ストロースの著名な論文「歴史学と民族学」で民族誌と民族学の決別が提唱され、文化の構造を発見する民族学がよいとされた。

  • 10:40  それに対して現象学的な視点から、現象の背後の法則を探るのではなくて現象を記述して解釈を積み重ねる中で文化の真髄にせまろうという方法がクリフォード・ギアツによって提唱された。民族誌的調査(ethnographic research)を行うべきだと主張し実践したのである。そのご民族誌はフィールドワークの一手法として定着した。

  • 10:47  また現在では社会調査法の一つとしても質的調査として認められている。これが民族誌である。この概念と紛らわしい分野に民俗学がある。英語ではFolkloreである。文化人類学や民族誌と民俗学は人間の文化を研究するという意味では同じだ。どこがちがうのか?

  • 10:54  30年前にアメリカに留学してアメリカ研究の学会で民俗学のセッションがあったときにこのような質問がフロアから出た。ある著名な民俗学者が、人類学者は人が隠そうとすることを調べる。民俗学者は人が自慢したいことだけを調べる、と述べて非常に印象的だった。歌とか陶芸とか大工作業とか。

  • 10:56  僕の博士論文はニューオリンズの19世紀半ばの大工さんと彼らが建てた家の調査である。マテリアルカルチャー(material culture)というがこれは民俗学の一部だ。いずれにしても民族誌、民俗学が現象学的な影響を受けて学問の方法を変えていたのが1980年代であり、それが21世紀になって我々の日常世界に導入されたのだ。

  • 11:00  あと学生の発表で民俗誌という言葉が頻出する。多分FEPで仮名漢字変換をすると最初にでてくるのだとおもう。この言葉は柳田国男が使い始めた。慶應大学では、宮田登先生が非常勤でずいぶん長く教えられていて僕も授業をとったことがある。視点をかえた国学みたいな所もあり、興味深い。

  • 11:01  だが、民俗誌という学問と民族誌は関係がないとは言わないが、別の学問であり、別の方法である。なんだか面倒くさいが、デザイン思考では民族誌に統一しておいてもらいたい。英語ではethnographyである。(この項 完)


0 件のコメント:

コメントを投稿