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2010年6月14日月曜日

トリエンナーレデザインミュージアム(ミラノ)

  • 2010年6月13日
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  • グラフィックデザインをモダニズムの呪縛から解放せよ。これが ミラノでトリエンナーレデザインミュージアムを訪問したときの感想だ。
  • 08:14  アメリカのデザインコンサルタントのグラフィックデザイン力について昔から疑問に思っていた。なんという か強烈に「うまい」のだ。ロゴをつくる、パンフレットを作る、ポスターを作る、書籍を作る、そしてWebを作る。なぜこんなにうまいのだろうと思ってい た。
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  • 08:17  日本でも古くはCIのコンサルティングを質の高いグラフィックデザインでおこなっていた会社もあり、最近 でも何名かのグラフィックデザイナーは質の高い仕事をしている。だが、全体としてアメリカやイギリスのデザイナーの迫力には及ばない。
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  • 08:19  デザイン史的に言えば、バウハウスにさかのぼり、一方バウハウスを弾圧したナチズムのコミュニケーション テクニックのさかのぼり、アメリカの繁栄を広告した雑誌Lifeの編集デザインにたどり着く。だが、とにかく口当たりが良くてうまい。
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  • 08:22  このグラフィックデザイン力がブランド構築力にも深く関わっている。そこにおいて日本はミニマリズムと ジャポニズム以外の選択がないのもおかしな話だ。だが、本当に分かりやすいグラフィックデザイン、コミュニケーション力のあるデザインって正しいのだろう か。人を欺く手法として発達してきたのだ。
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  • 08:35  エンターテイメントなら「魔法」を楽しもう。だが、支配構造搾取構造をみえなくする魔法はゴメンだし、そ の魔法は暴かなくてはいけない。ヴィレム・フルッサーは『テクノコード』で魔法をかける人間の文法を身に付ければ、魔法は解けると述べ、また『デザインの 小さな哲学』でもそこを解明する。
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  • 08:42  ポストモダンのデザインが登場して30年たち、再び注目され始めている。メンディーニやソットサスの活動 が再び注目を浴びている。ムナーリの活動は相変わらず評価されている。ミラノのトリエンナーレデザインミュージアムはものをデザインしてきた記録と記憶の 宝庫だ。デザインは日常生活の中にある。
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  • 08:46  日常生活には喜びと楽しさと美しさが必要だ。ものを使っているとき眺めているとき、そこにファンタジーを 感じる。魔法をつかうならそこに使いたい。だがコミュニケーションデザインと呼ばれるグラフィックデザインはものを買わせたり何かを選択させるときに魔法 をかける。
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  • 08:48  広告デザインが人々を魔法にかける非倫理性に関しては1970年代に随分と批判された。いま僕たちは比較 的高いデザインリテラシーをもっているので、表面的なデザインに関してそれほど感動しなくなっている。高額の費用を使ったブランド戦略広告に効果がないこ とは明らかだ。僕たちが変わったのだ。
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  • 08:52  僕たちのデザインリテラシーの向上は、多くの多様で良質のデザイナーを生み出している。それは若いデザイ ナーの自主的な活動をみても明らかだ。またいわゆる「オタク」達のデザインパワーも尋常ではなくパワフルだ。しかし、社会の表面を覆っているのは単調なコ ミュニケーションデザインだ。
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  • 08:55  しかし、とあえていいたい。だからといってアメリカやイギリスの宣伝戦略に長けた強烈なグラフィックデザ インに溢れた空間で暮らしたくない。張りぼてで背後には何もない。がちんとした手応えのある美しいもの、多様なもの、不思議なものに囲まれた生活をした い。
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  • 08:58  ちなみに、表層の魔法をボードリヤールは「シュミラークル」と呼んだ。デザインというと表層のシュミラー クルでの善し悪しを議論する。創造性はシュミラークル術と混同される。だが、その幕をはがしても、美しく感動する、それがデザインであり創造性がそれを生 み出す。
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  • 09:06  ちょっと入手しにくい本かもしれないが、Electa社が出しているトリエンナーレミュージアムの展示 Quali Cose Siamoを手にとってじっくりと眺めていると、日常生活におけるデザインの意味がよく分かる。20世紀産業デザインからの決別の時は来ているのだ。
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