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2010年10月21日木曜日

公共圏と先端技術研究開発者

  • Wed, Oct 20 

  • 11:02  11時からある会社の研究所の人とミーティング。4〜5年仕事の付き合いがあるのでだが、来年度から全社的にイノベーションの取り組みが出来るかの相談。ユーザーの隠れているニーズを探し出す作業を研究所や高度なエンジニアリングに従事している人間ができるかどうか?つまり心が開くかだ。
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  • 11:04  15年ほど前だったか、NTTの中央研究所のリサーチプロフェッサーだったことがある。NTTの研究所は外部の人間を中間に迎えることはなく、当時としては画期的な試みだった。3年の契約だったが半年でNTTは解体となり、メンバーはNTTDataやNTTDocomoに散った。
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  • 11:07  残りの2年半は特定のテーマを選んで研究開発をしたのだが、当初のもくろみはNTT研究所の活動をどのように社会に展開するかであった。NTTは大きな組織なので、営業の猛者みたいな技術を熟知した人がいる。そうした人が部門の長になって一流の研究者に「研究を営業してこい」と命令する。
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  • 17:20  研究者は知性・教養も品性も技術力も、数学や物理の知識もある人たちだ。NTTの研究所はそんなところだった。その人達が商売の前線に出る。納得できない決定だった。だが、その一方で、市場価値3000円くらいのソフトを30万円で売るという値付けも奇妙だった。まあ今思えば愛嬌だが。
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  • 17:21  そんな怒濤の中で中央研究所がなくなっていった。そのとき感じたのがNTTの研究所の研究者は別にビジネスをしなくてもよい。ただ社会に開いた心性をもって開発すればいいということだった。だが世界は研究所の中だけにあり、世の中に自分の研究を開いていない。ここが問題だ。
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  • 17:24  超一流の研究者に社会性を持たせる。公共の場所で自分に相応しい振る舞いを演じることを覚えてもらう。これは営業が上手いとか、スピーチで笑いを取ることが上手いとか、そんなことではない。社会の中で暮らしている自分を持っていればいい。いろいろな人に触れる。それだけが必要だと思う。
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  • 17:27  公共性を持っている人間が考える世界最高峰の技術やサービス。素晴らしいではないか。アメリカのヴェンチャーキャピタリストの講演を聴いていると、彼らのもっている公共性の高さ、つまりは公共圏で活動するときに振る舞いに感心する。投資の判断もそこにあるだろう。
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  • 17:29  科学者が奇妙な行動をすることを許す風潮がある。極端な思想を認めるところもある。だが公共性を持たない科学や技術は凶器である。研究者の内面の倫理にそれを求めるのはむりだ。公共の場にでる。それだけでいい。そのなかでたたずまいが決まってくる。
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  • 17:30  これは大衆に科学を分かりやすく説明する、ということではない。これは啓蒙のベクトルが入っている。人々を教え諭して引き上げる。そうではなくて、科学者として技術者として他の世界に生きる人と友達になり、遊ぶ。それだけでいい。閉塞した専門空間から飛び出して談笑すればいいのだ。
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  • 17:33  研究者達が多様な人たちとさまざまな時間を公共空間で過ごす。このことを実行できていればNTT研究所のオープン化はうまくいっただろうな。研究所のオープンハウスともちがう。異質な存在である僕がリサーチプロフェッサーになったときのような役割がもっと制度化されていたら面白かった。昔の話だ。
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