analysis

2010年10月24日日曜日

公共圏における個人とオリジナリティ:

  •  Sat, Oct 23
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  • 14:10  KMD中間発表。自分が好きでパッションをこめて伝えたいメッセージを見つける。それをどのように説得的に相手に伝えるか、それが論文のすべてだ。パッションが先に来る。これをわすれないこと。それさえあれば方法や形式は幾らでも教えることが出来る。だがパッションは自分で見つけないといけない。
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  • 15:15  KMD修士論文中間発表。英語で。一番の問題は語学力でも論理構築力でもなく、自分をまえにだして主張すること。しかし、日本人が個人を前に出してコミュニケーションをして生きていくことは本当に良いのだろうか?という疑問をもつ。昔のことだが、NECの8ビットチップをインテルが訴えた。
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  • 15:16  このときのことはまえにTweetsしてblogにまとめてあるが、裁判になってアメリカから僕の友人の弁護士が来日した。当時NECの部長だったS氏とタッグを組んで裁判に臨んだ。結局NECが勝ったのだが、そのときのカギはNECのエンジニアが自分で考えたと法廷で証言すること。
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  • 15:18  ところがNECの優秀なエンジニアは僕が作りましたと言えない。友達と作ったとか、相談したとか言ってしまう。そうなると裁判官や陪審員はその程度の奴ならオリジナリティのある研究をする能力はないから、きっとインテルの特許を盗んだろう、と判断する。
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  • 15:23  そこでNECの開発者に「自分で作った」と言わせることが攻防戦になった。で最終的には彼はそう証言して裁判に勝った。実際彼にはその能力があった。しかし、この技術者の中には誰ちゃんと誰ちゃんと一緒につくった、という気持ちがあったはずだ。これって非常に大事だと思う。
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  • 15:26  英語でコミュニケーションしながらも、このコラボレーション感覚を保つ方法があるはずだ。この修辞学をどうにかしたいね。これはKMDの課題だ。一人のリーダー的な開発者がいて、その人が多くの人を酷使して、結果はその一人が独り占め。この形はどうも好きになれない。
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  • 15:28  アメリカの著名な研究所で有名な研究者の下で働いていた日本人の研究者の中には面談をしてみるとまったく個性も知性もない人がいる。結局いいように使われていただけだ。だが、だからといって攻撃的で独裁的な研究者になれと言うのもなあ。コラボレーションの知性を集団として評価したい。
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  • 15:31  そのときに、個を確立してレトリックを構成する方法のほかに、成果を表現する方法はないだろうか?この問題はアーレントが問題にしてきた公共圏の問題ともつながってくる。自己が集団から区別できない、という感情を上手に活用することが必要になってくる。(この項 完)
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  • 15:40  RT @tamakiINADA: 同感です。でもこれは開発者だけでなく、プロジェクトにおいても言えるのではにでしょうか。色んなプロジェクトのお手伝いをしましたが、RT @NaohitoOkude 一人のリーダー的な開発者がいて、その人が多くの人を酷使して、結果はその一人 ...
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  • 15:40  RT @tamakiINADA: @NaohitoOkude 結局、技術は酷使され、手柄は企画を立てたいわゆるプロデューサー的な方が持って行かれている。みんなでやったのにという想いは彼らにはない。実社会でもそうだが、それを変えたくて入学したのにエンジニアが報われる仕組みが ...
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  • 15:43  @tamakiINADA そのためには人を引きつけるプロジェクトを仲間を巻き込んで生み出すことが必要なのです。なのにいまさらのように技術力を前に出す。昔言われたことがあります。金も権力もない人間が世の中を動かすには魅力を生むしかない。魅力をうむには自分のパッションを見せる。
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  • 16:04  RT @create_clock: @NaohitoOkude この話はNECのV30裁判のことかと思いますが、V30は8ビットではなく16ビットマイコンです。あと正確には訴えたのはインテルではなくNEC側ですね。インテルは後から反訴してますが。
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  • 16:06  @create_clock ありがとう。確かにNECが逆に訴えられてからの話でした。インテルに訴えられたのでNECが駆け込んだのでした。8ビットではなくて16ビットだったんですね。勘違いしていました。助かりました。
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  • 16:08  RT @gnsi_ismr: 共通する問題意識だろうか。 http://ow.ly/2Y9ka RT @naohitookude: そのときに、個を確立してレトリックを構成する方法のほかに、成果を表現する方法はないだろうか?(略)
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  • 16:08  RT @gnsi_ismr: 機能を個々の参加者に帰属せず、全体としてその機能が実現されればよい、という観点でのインタラクションの分析枠組み。この場合、各々の機能は「環境としての個人」から影響を受けながらも、「帰属先としての個人」からは自由に発生し、機能し、消滅していく、 ...
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  • 16:10  @gnsi_ismr さんのTweetsをRTしました。そのとおりですね。インタラクションデザインがコラボレーションと個人の評価の問題に活用できるなと思います。おもしろいですね。
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  • 16:33  @asada0 @gnsi_ismr @naohitookude あれ?この二人もお知り合い?>>えっ、浅田さんのお知り合いですか?  [in reply to asada0]
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6 件のコメント:

  1. 大変懐かしいお話ですね。

    マイクロコンピュータの発明は4ビットマイコン4004に始まり、日本のビジコン社の嶋正利氏が米国のインテル社でテッド・ホフ氏と共同開発したモノです。日本人に負うている訳ですね。私は次の8ビットマイコンでザイログ社のZ80から機械語プログラミングを始めました。これも嶋正利氏が開発したモノです。インテルは8ビットマイコンのi8080、16ビットマイコンのi8086を開発しました。その後、NECがi8086の上位互換CPUのV30を開発して、往年の名機『PC-9801』に載せて、日本国内を席巻した訳です。V30はオリジナルの8086に対してピン配置互換で、8086の機械にそのママ差し換えて使えましたが、内部命令が拡張されていた為に、ソフトウエア的には一部互換性が取れないプログラムがありました。マアしかし、私の経験では殆ど無いに等しかったですがね。
    --- 引用 ------------------------------------------------------------------------
    CPU内部のバスを増強してデータ転送効率を上げるとともに、所要クロック数の多い乗算、除算命令をハードワイヤード化し、命令実行に要するクロック数を削減したため、多くの命令を8086の約2/3のクロック数で実行可能となり、単純にCPUを差し替えただけで、同一の動作クロックで数%から数10%高速で演算処理を行うことが出来た。
    マイクロコードの著作権がセカンドソース契約で問題となり、NECは先手を打って1984年、Vシリーズがインテルの著作権を侵害していないことを確認する訴訟を起こした。これに対してインテルが反訴したため裁判は長引いたが、1989年にV30はi8086の著作権を侵害していないとの判決を得た。ただし、その直接の理由は8086に著作権表示が無く、当該製品に対して著作権が認められないからであった。一方でマイクロコードにも著作権があることが判示され、互換プロセッサの製造が困難となった。86系のマイクロコードの著作権への抵触を回避するために、完全にハードワイヤード化されたV33系へ移行した。
    ----------------------------------------------------------------------------------その後はIBM互換機(所謂AT互換機)が日本国内を含む世界中を席巻して、CPUはインテルの一人勝状態となりました。NECも『PC-9801』の大成功で少し増長しておりましたしね。

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  2. 『暗黙知』に付いての爺(ジジイ)の考察

    @LeighCho > なるほど、言語仕様が思考を規定するという事ですか。チョムスキーの形成言語の考え方とポランニーの暗黙知の概念に何かヒントがあるような気がしています。// マイケル・ポランニー氏の『暗黙知』は『パンツをはいたサル』の栗本慎一郎先生の飯の種でもありましたね?

    @LeighCho ポランニー氏の『暗黙知』を経営学者の野中郁次郎先生が"日本化"して、職人が有するコツやカンなどの『暗黙知』は「形式知」化して行く事によって共有出来るのだと仰りました。日本には、匠の技として『暗黙知』が溢れておりますが、実はこの『形式知化』は極めて難しい。

    @LeighCho 前に申し上げた様に、人間の脳内空間には、意味を持った『情報単位』が、神経衰弱の時の図柄を持ったトランプ・カードの様にランダムにばら撒かれております。これをKJ法の問題解決が如く、記憶や論理の糸で紡いで『使える未言語化構造体』にしたものが『暗黙知』なのです。

    @LeighCho 以上は、日本語を使っている時の状態で、欧米の言語の場合には、この意味を持った『情報単位』は図柄を持ったトランプ・カードではなくて、圧縮されて折り畳まれた音声lzhファイルなのですね。使用時には、広げて展開し情報をその都度、読み聞きして使用する事になります。

    @LeighCho 日本語の場合には、この自分自身でも可視化可能な、TV中継データの様な未言語化構造体を、実況中継の様に言語化して初めて『形式知化』され、一人の人間から他の人間へ伝達可能となり、『匠技』の集団共有や、更に共同作業が可能となります。しかし別の手段もあるのですね。

    @LeighCho それが、この図柄を持ったトランプ・カードの『情報単位』を現場とユウ大広間にばら撒いて始める集団神経衰弱です。『情報単位』を《未言語化のまま》ダベリングを記憶や論理の糸として使用し、集団で集めた無数の『情報単位』を紡いで行くのです。これを『腹芸』と言います。

    @LeighCho この集団神経衰弱を、他の方(@gnsi_ismr)が『 機能を個々の参加者に帰属せず、全体としてその機能が実現されればよい、という観点でのインタラクションの分析枠組み』と表現されてます。カードは集団で集めて意味のある使える束にしますから、個人には出来ません。

    @LeighCho 川喜田二郎(1920-2009)先生のKJ法も個人の脳内の可視化情報を、巧みに組み立てて、新たな構造体を作成する発想法としてスタートしました。後に集団内の問題解決に非常に役に立つ事が判明して、良好なコラボレーション感覚を作り出す武器として、活用されました。

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  4. 所で、日本語を習っている方には神経衰弱は nervous breakdown ではなくて、カード・ゲームの memory pairs の事ですと申し添えて置きます。

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  5. @BebsonJP KJ法というと自分の業界ではバズセッション後に出たさまざまな発想、情報の整理法としてよく取りあげられています。後はアレックス・F・オズボーンのブレインストーミングとチェックリスト法が有名ですが、発案者の母語での使用が一番最適化されているのかもしれませんね。

    @LeighCho 大勢で粘土を掻き回し(ダベリングし)ながら、情報自身が自ら結晶化するのを待つ。他からの先入観を出来るだけ排して『情報をして自ら語らしめる』事に依って、川喜多先生は、チベットの社会構造を初めて解明したのでした。自己主張の強い西洋人には難しい方法なんです。(:-P

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  6. 2010年10月26日1:03 のコメント中、『川喜多先生』は『川喜田先生』の間違いでした。亡き先生に失礼しました。

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