- Tue, Jul 19
- 01:54 鶴見俊輔がかよった小学校青山高等師範付属小学校の校長先生は佐々木秀一といったそうだ。彼がアメリカに行き、ジョン・デューイにあったと、その仲介をした人から聞いた。彼はアメリカ捕虜収容所で便所掃除のコツを教えてくれた。
- 01:58 明治期にウィリアム・ジェームスのプラグマティズムが紹介されて、夏目漱石、西田幾多郎、柳宋悦に大きな影響を与えたという。その後日本の哲学者からこの考え方は消えていたが、教育学の形で鶴見が学んだ小学校に影響を与えていたという。ハーバード大学でプラグマティズムを学ぶ原点をみつけた話だ。
- 02:12 日本に戻り海軍に入り、ジャカルタにいく。その街でオランダ人が手放した多くの本を読む。カント全集なども手に入れるが、ショーペンハウエルの戯曲やストリンドベリの戯曲、ストア派の哲学者マルクス・アウレリウスとエピクテトスを読む。
- 02:16 アウレリウスのMeditationは『自省録』として翻訳もあるがインターネットで英語で読める。http://t.co/SRuLJT7 エピクテトスもである。http://t.co/4wFM21Y このあたり、紙の本でもっていてもいいな。ちょっと読んでみたが身にしみるね。
- 02:22 鶴見俊輔は詩もすきなので、ジャカルタで海賊版で手に入れたのはウィルウレッド・オウエンとチャールズ・ソーリー。オウエンは第一次世界大戦のことを詩にした。http://t.co/dYVhVyS で詩を読むことが出来る。
- 02:28 チャールズ・ソーリーも第一次世界大戦で死を目の前に詩を書いた。下記で詩を読むことが出来る。 http://t.co/KylE9Ho
- 第一次世界大戦にかり出された青年の詩を第二次大戦の最中に読んでいたわけである。戦争に生き残って祖国再建に担い手になるなんて念頭に浮かばなかった。
- 02:33 生きているとはなにか。永遠の時間を瞬間瞬間で感じるときだ。これはすこし前にNHKが制作した鶴見俊輔の番組で鶴見が語った言葉だ。同じようなことを説明するためにイギリスの詩人ハーバード・リードの唯一の小説『緑の子』を紹介している。
- 02:37 ハーバード・リードはイギリス生まれの詩人だが日本では美術評論家として知られていた。いまは彼の本を読む人はどれくらいいるのだろうか。だが詩人・小説家としてはいまも英語圏ではよく読まれている。『緑の子』はThe green child 1935年のファンタジー作品だ。
- 02:46 ウィリアム・モリスもそうだが政治思想とファンタジーの絡み合ったところに英語で表現された非常に上質の知性があり、それはプラグマティズムの思考とも深くからみあっているのだ。
- 02:51 鶴見俊輔の小学校の友達に中井英夫がいるとう。中井といえば『虚無への供物』である。僕は『哲学者の密室』で知られる笠井潔の紹介でこの本を知った。40年ちかく前だろうか。その彼の遺稿『中井英夫戦中日記 彼方より』を紹介する。
- 02:52 戦争中にああ、戦争やってられないな終わらないかなあと言っていたくせに戦争が終わると、死ぬつもりだったからそんなこと言っているわけがない、と言っているやからへの憎しみが書いてあるという。鶴見はこれを「なめす力」と呼ぶ。中井はにくしみでなめす力に耐えたのだ。
- 02:56 日本の知識人は先生が問題をだして、その問題の正しい答えは先生の出す答えだとおもっている。いまの先生はアメリカだという。つまり自分で問題をつくることなく小学校から大学まですごしてしまう。大学とはそういうところだと日本の知識人は思っている。
- 02:57 だがそうではない。大学とは自分で問題をつくり、自分で解くところだ。これは本当に同感する。先生の講義を聴いて問題を解くことが学問だと思ってはいけないのだ。アジアの大学の多くも日本と同じだ。外に答えがあると思っている。まあ最近のアメリカの大学もそうかもしれない。
- 02:58 しかし、答えは本や授業の中にはない。問題もない。生きていく中で自分で問題をつくり、自分で答えるのだ。これがプラグマティズムの精神であり、その活動こそが知識人の役割であるべきなのだ。(本日の分、完)
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2011年7月20日水曜日
プラグマティズムへの読書案内 その4 鶴見俊輔『思い出袋』より
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