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2011年2月18日金曜日

大学院で学ぶことは「開かれた思考技術」である

  • Thu, Feb 17

  • 00:07  博士論文工房終了。楽しかった。大分みな実力を付けてきた。情熱を持って考える。作る。この気持ちを人に伝える。説明ではなく説得する。これを開かれた思考技術と呼ぼう。(加筆)この能力を身に付けると人間はなにものからも自由になる。自分の溢れる思いを人に伝えることが出来る。自分の知らない世界をすぐさま理解することが出来る。

  • 00:08  大学院で学ぶ、博士号をとるということはこの信じられないような能力を身に付けることである。ちまちました就職とか、立身出世とか、そんなことを学ぶことが大学院教育ではない。主体的に何事からも自由に生きていける。そんな素晴らしい実力を身に付けることができるのが大学院だ。

  • 00:10  査読論文の数で出世を競うようななさけないアカデミズムがいま無くなろうとしている。すばらしいではないか。人間の叡智を自在に扱う能力を身につけた人が増えていく。その能力は自分のためならず社会の為になる。僕はそうしたミッションを持つ学生に丁寧に高度な知的能力を教えていきたい。

  • 00:12  自分だけ定職をもって、若者をあおっている無責任な知識人とか、つまらぬ数値目標を目指して心ない論文を量産している出世主義者の学者ではない、自由闊達な知識人を一人でも多く育成したい。それが21世紀の大学の生きる道なのだ。みんな、頑張って学問を続けよう。

  • 08:40  ふと人生の幸せ、良き生活の価値を考える。昨日の柏樹さんの博士論文に向けての発表のレビューをしていて思った。こころのなかにある思いや信念、それをしっかりと見つめる。これをreflectionという。ロックとかヒュームという英国の哲学者が考えたことだが、ここが大事。

  • 08:42  僕はデザイン思考でここを哲学と呼んだが、意識の奥に潜んでいて不断は忘れている。ここをのぞき込み、自分の人生を考えると、自分が大切にしたいあるいは気持ちを込めたいことが見つかる。それを語ってみる。客観主義を標榜する社会科学では「研究に身の上話を持ち込むな」と嫌われるところだ。

  • 08:44  だが、この身の上話は現象学的に考えると、自分の存在を時間の中にいれて意識することである。時間の中に存在している自分を意識してその状態を保存する。詰まりスイッチを切る。でもそこには自分の情熱がこもっている。まだ熱いかもしれない。学問は、そして柏樹さんの場合はデザインはそこから出発。

  • 08:46  学問は情熱と自分自身の主観的な思いがなければ成就しない。ここから出発しない学問論が多すぎる。方法の問題が大切になるのは、学問が主観的な情熱をもったマグマのようなところから始まっているからなのだ。つまり、何を言っているのか何をやろうとしているのか解らない。それが学問の原初形態

  • 08:50  この原初状態での感動の価値を他者に伝える。それがacademic argumentと呼ばれる形式である。形式に従うことだけを喋るのではなくて、熱いパッションを形式の中に投げ込む。そのときのやり取りが文章の構造を深めていく。

  • 08:52  燃える思いの価値があることを読者に説得的に語るには枠組みがいる。なぜなら読者は別の生活世界に生きているからである。コンテキストを共有していない。そのような異邦人に自分のやっていることの価値を説得する。これがアリストテレスの修辞学、つまり説得の修辞学だ。

  • 08:53  ギリシャのポリスに多様な人が集まってきてお互いに何を言っているか分からなくなりこの方法が発展したと言われている。academic argumentとして説得の修辞学が使われ始めたのは学問が境界をこえ、複数領域での知識の融合が必要とされてきた第2次世界大戦後だと言われている。

  • 08:55  論理的といってもまあ常識的な形式論理の世界であって、記号論理学で発展した厳密な論理とはちょっと違う。この形式に自分の熱い思いをぶつけていく。自分の正しさを説明するのではなく、自分の主題が魅力的で正しいと相手を説得する。

  • 08:57  この作業をしていくうちに、自分の思いを論理的に分かりやすく説明するには、実は結構複雑な論理構造を枠組みとして持っていなければならないことが解ってくる。その仕組みが見えてくれば、あとは論文はそれを展開する本文 the bodyへと向かえばいい。
  • 08:59  この論理的な枠組みをacademic discourseという。博士論文指導の要は学生が自分の熱い情熱を維持したまま、その価値を他者に説得できるだけの論理的な枠組みを創り出す作業を見守ることである。その枠組みもまた学生の個性であって、教えることは出来ない。

  • 09:01  正しい答えは多様である。だがこの知のダイナミズムをしっていると、そうではないパフォーマンスをみると「違うな」と解る。また何処が違うかを指摘することも出来る。だが単一の答えはないのだ。僕は情熱とそれを引き受けるだけの構造をもった枠組みが出来たときが、博士論文執筆着手の時だと考える。

  • 09:02  柏樹さんには良き生活をデザインする情熱をもったまま、その価値を人々に説得できる枠組みを構築してもらいたい。それが出来たときが博士論文プロポーザルを書く時である。
補遺:柏樹さんからのフォロー

Ryo KASHIWAGI / 柏樹 良ryokashiwagi 
昨日の論文工房は、ちょっと今までにない感覚を覚えました。自分の思いと研究との関係が少し見えて来た気がします。それと自由の意味。RT @NaohitoOkude 柏樹さんには良き生活をデザインする情熱をもったまま、その価値を人々に説得できる

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