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2011年6月19日日曜日

VR展示システィナ礼拝堂制作の思い出

  • Sat, Jun 18

  • 08:55  凸版印刷の本社に併設されている印刷博物館に250インチのスクリーンのVRシステムを使ったシスティナ礼拝堂展示がある。各国のVIPから日本企業のトップまで様々な人がみたコンテンツである。10年前に僕が直接プロデュースをして故若桑みどりさんと一緒に作ったものである
  • 08:57  10年少し前に大型のVRコンテンツを作ることに夢中になった時期があり、慶應大学ではグーテンベルクの聖書、NTT研究所とは厳島神社と能、凸版とはシスティナ礼拝堂をつくった。どれもコンピュータ設備だけで5億とか8億円かかり、贅沢なしかけだ。

  • 08:58  研究とはおもしろいもので設備が先端的でお金がかかるとそれだけの理由で研究費がついたりする。いまだと高性能のパソコンくらいの性能だが10年ちょっと前にはその性能のコンピュータが一台2億円も3億円もした。このような高性能のコンピュータを複数台使って文化財のデジタル展示に使った。

  • 09:00  機械を維持するコストも高いので、慶應大学の展示もNTTの展示も研究の終了とともに破棄されたが、凸版のシスティナ礼拝堂はその後10年にわたって多くの人が見ることとなった。プレゼンテーションの最後に僕の名前がプロデュースと監督で出てくるので、知り合いが見たときにはびっくりして連絡をしてくる。

  • 09:05  3次元コンピュータグラフィックスをつかった文化財の保存展示はいまでも盛んだが、僕が制作の指揮をとったシスティナ礼拝堂はこうしたデジタル展示とは根本的に違う特徴がある。それはこの展示をみると感動することである。イタリアやバチカンからのVIPも中国からのVIPも胸を詰まらせた。

  • 09:07  印刷博物館のシスティナ礼拝堂が人々の琴線に触れることは最初から観察された現象だった。その理由をコンピュータグラフィックスの精度(当時の)にあると考えてその後いくつも文化財のデジタル化が試みられたが人を感動させるモノにはならなかった。そのあと現在多くのVR作品が文化財修復の専門家と共同しているが結果は同じだ。

  • 09:09  どれもが人々の心を打たなかった。技術を高め修復の専門家と相談しながら幾つもの作品を作り続けるが、所詮デジタル複製に留まった。10年経っていまや古びた機械で再現されるシスティナ礼拝堂はやはり心を打つ。今回最新の機械でもう一度作り直すことになり、その報告を凸版から受けた。

  • 09:12  凸版から受けたと言っても担当はSFC奥出研出身の卒業生である。感動の秘密は実はストーリーテリングにある。ここに時間をかけないと実は修復の専門家が納得したり、博物館の学芸員が自己満足したりするレベルに留まる。このことはここ数年何度も凸版に言っているのだが、技術に走ってしまう。

  • 09:13  まあこれは凸版に限ったことではなくてMITミケランジェロの彫刻をデジタルで再現したときもどこまで細部が再現されたかという技術の話だった。それはそれとして、技術を駆使して再現したら感動するかというとそんなことはない。システィナ礼拝堂にこめられた物語を経験すること無しに涙はない。

  • 09:17  だがこれはハリウッドなどの物語テクニックを駆使して見せると言うことでもない。もっと本質的なものである。そもそも文化財は近代的な絵画や彫刻として存在しているわけではない。そのものと文化や宗教が深く絡み合っている。文化財自体が3次元的な存在ではなくて歴史や記憶のなかにあるからだ。

  • 09:19  システィナ礼拝堂のデジタル化をおもいたったのはバチカンの図書館でグーテンベルクの聖書のデジタル化の実験をしている風景を視察に行ったときである。小耳に日本のテレビ局がシスティナ礼拝堂の修復に関わり、そのデジタル化の権利ももっていると聞いたからだ。そこで凸版と相談して制作を開始した。

  • 09:23  3次元グラフィックスをOpenGLでプログラミングする担当は慶應の工学部、高精細で写真フィルムをとりこみ、レタッチしていく担当は芸大の出身で、そのほか何名か俊英をそろえた。当時の水準で最先端を目指した。だが、一番注意したのはシスティナ礼拝堂とはなにかが解る仕組みである。

  • 09:25  日本語で何冊も礼拝堂の修復に関する本が出ていた。それを片っ端から読んで故若桑みどりさんの本にであった。読んだとたんこれだと思った。文章もさることながら、ミケランジェロの気持ちが伝わってくる。そこで若桑さんにお会いした。そして意気投合した。

  • 09:27  何度もお話しするうちに、ミケランジェロがフレスコ画を書き上げるスピードを意識して、彼の気持ちの物語が進行して、その一方でキリスト教の礼拝堂としての構造がわかるようにした。さらに若桑さん自身のシスティナ礼拝堂への気持ちもサブストーリーとして組み込むことにした。

  • 09:28  物語をナレーションで語るのではなくて、イメージの連鎖クローズアップ音楽との連携光の変化などで物語を展開できるようにした。またには徹底してこだわった。若桑さんは美術評論家であり色についてかなりしっかりとした意見を持っている。さいわい僕はその話しについていけた。

  • 09:31  制作をしながら物語をきめ、インタラクションとして埋め込み、その成果を若桑さんに見せて意見をもらい、それを制作のメンバーが理解できる技術へと僕が変換する。この作業を何ヶ月にもかけて行った。そして出来上がった。それを見せたときの取締役の反応は「よっている気がして気持ち悪い」。

  • 09:34  つまりVR酔いだ。だが、僕は確実に若桑さんの語る物語をイメージの連鎖で感じることが出来た。いつも若桑さんが話すわけにはいかないので簡単なシナリオを作ったが、ちょっと勉強してもらえばだれでも説明できるようにした。そして常設の展示を始めたのだ。

  • (追加)若桑さんは作るときに誰がこの作品を見るのか、について思いを語られた。彼女は美術館の説明が無知な庶民をヨーロッパ芸術を学んできた専門家が啓蒙するような語り口(ディスコース)は意味がないと述べた。ちなみに現在の美術評論はほとんどがこのディスコースである。ヨーロッパ美術の専門家が日本人を啓蒙する視線だ。彼女は言う。ヨーロッパに長年駐在しているサラリーマンやその奥さん達はたっぷりと美術館で本物を見ている。その感受性にこたえるような作品にしたい、という。
  • 僕も常々そう思っていたので、賛同した。蘊蓄ではなくて、VR作品の表現力そのもので勝負しようときめたのだ。技術的制約の中でいろいろとこころみた。ミケランジェロのブルーを再現するときに何度も何度もやり直したことが懐かしい。
  • さて、凸版はシスティナのあと幾つもの作品を作る
  • 09:38  そしてこれらをVRシアターで展示を続ける。すでに10年以上続けており、相当のノウハウもたまった。VR技術もだいぶこなれてきて制作のコストも下がった。寺院が修復にはいるときに修復終了まではVR展示をするということも行われるようになった。

  • 09:42  だが、僕が若桑さんと凸版のエンジニア達と時間をかけて物語を作りだしたような作業は行われていない。今回システィナ礼拝堂を新しくするに当たっても物語の仕組みは継承するという。人の心を打つのは物語である。だがそれはエンジニアとともにつくらないとシステムには組み込めない。

  • 09:46  物語とCG技術を結びつけるのはインタラクションだ。そしてこれは明らかに新しいメディアを創造する作業なのだ。(この項 完)
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