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2010年9月10日金曜日

日本戦後モダンデザイン史と21世紀の新しいモダニズム

  • Thu, Sep 09 

  • 11:11  先日デザイナーの内田繁さんに久し振りにお会いしたのだけれど(家が近所)日本デザイン史をまとめ終わったところとのこと。500頁をこえるとかで、楽しみ。そのとき日本的なテイストの話になった。スペイン、キューバー、メキシコのデザイナーのような色使いは日本のデザイナーの対極にある。
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  • 11:13  そうだよね。戦後デザイン史は禁欲の歴史でもある。だけど、日本人の美意識のなかに、情熱的な色使いを愛でる心もある。歌舞伎をみれば明らかだ。あるいは岡本太郎の作品群。これを縄文的と言う人もいる。禁欲は弥生ね。バウハウスの影響と西洋モダニズムの決めつけで日本が定義された。
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  • 11:15  戦後のデザイナー達は国際的な評価を求めて、自分たちの場所を定めてそこで頑張ってきた。だが、自分たちが自分たちになる瞬間があった。それが1980年代。内田さんに言わせると(僕も同じ意見だが)ここで踏み外した。デザインするとは社会に対して意義申し立てをして、同時にビジネスを行う。
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  • 11:21  この綱渡りをするときに強烈な作品が生まれる。東京オリンピック、大阪万博そしてパルコまで。日本のデザインが輝いていたときだ。僕は21世紀に日本でもう一度、今度は自前のモダニズムデザインではじける好機が来る思っている。そのためにはデザインの現場をいまの業界から「社会」に移さないとね。
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  • 11:43  デザインの現場を社会に移すって、まあ誰でも言うのだけれど、じゃあどうするか?デザイン教育の中に社会教育(ビジネス・政策立案)と技術教育をいれるのか、技術教育がデザインと社会の側面を取り入れるのか、社会教育側がデザインと技術をとりいれるのか。どれもうまくいかない。一つにならない。
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  • 11:44  方法はただ一つプロジェクトを組むこと。デザインとエンジニアリングとビジネスやポリシーが協力しないと解けないだけではなくて、グループや個人の中でこうした能力がまんべんなくそなわっていること。これしか方法はない。個人の能力をこえた問題をグループでプロジェクトを実行しながら解決する。
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  • 11:47  技術とデザインの両方の能力が一人の人間に必要とされているところは最近のタクラムの活躍で理解され始めていると思う。分業じゃない。両方やるのだ。僕が教えるデザイン思考でもこのあたりを教える方法は大分確立してきた。ではビジネス、かならずしも金儲けの必要はないが、この能力はどうだろうか?
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  • 11:49  デザインとテクノロジーとビジネス、この3つを全部やらないと社会の中のプロジェクトにはならない。KMDの学生にはここに歯を食いしばってグループを組んで挑戦して欲しいのである。ヘルスケア、都市システム、ミュージックマネージメント、リビングデザイン、みな難しいがそこで学ぶことは多い。
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