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2010年9月16日木曜日

ユビキタスからアンビエントデザインへ

  • Sept14 2010
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  • 山中さんのTweetにはじまり川崎さんのBlogをへて新しいデザインパラダイムへ
  • 10:47  RT @Yam_eye: サティは、従来の芸術の枠組みで作曲演奏するのはなく、社会や生活との関係の中で音楽を「デザイン」しうる事に気がついたのだと思う。「家具の音楽」と名付けたとき、「家具」は「デザインされるもの」の象徴だったのではないだろうか。
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  • Sept 15 2010
  • 07:54  川 崎和男さんがユビキタスからアンビエントへのデザインパラダイムの変化とサティの「家具の音楽」に言及しているが、 http://www.ouzak.co.jp/blog/?p=12194 ここがいままさにインタラクションデザインの領域として登場しようとしてい る。
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  • 07:56  素 朴な素材にもどる感性は自然や環境を無批判に受け入れるおよそ美学とは無縁の世界であり、多くのデザイナーがこの方向に向かっているのは資本主義が跋扈す る状況の片棒を無批判に担いだプロダクトデザインが、みずからに突きつけられた難問を回避して闘争しているに過ぎない。
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  • 07:58  規 格化された大量生産に強烈にノンをとなえたポストモダニズムが、機械の超絶的な進歩により飲み込まれてしまった1990年代、2000年代。触れることが 出来ないアンビエントに触れたかと思ったとたんに無数のガジェットに姿をかえたユビキタスコンピューティング。その先が見え始めた。
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  • 08:02  イ ンタラクションデザインがアンビエントを扱い始めると、そこには意識と空間のデザインといういままで「デザイナー」が職業として扱ってこなかった領域が登 場する。心理学や脳科学があつかってきた意識と建築家があつかってきた空間。両方とも身体の自然な延長線上の外にある。
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  • 08:07  イ ンタラクションデザインにおける身体と空間。この問題を連続してあつかう方向はまだみえない。さらにサイバースペースが広がる。ネットワークでつながった 人や場所のうみだす景色はいままで経験したことのないものだ。映画『薔薇の名前』がみせてくれた記憶と書物と都市と荒野。ジプシーの娘と生肉。
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  • 08:19  あ るいは「刺戟」「恍惚」「陶酔」のネオバロック。そしてネットワークに繋がり知覚を刺戟して幻想をみせる無数のガジェット。ベンヤミンの晩年のノート「無 機的なもののセックスアピール」このあたりは岡田温司氏が『イタリア現代思想への招待』第4章「アイステーシスへの潜在力」に詳しい。
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  • 08:24  い まインタラクションデザインは死やスピリチャリティ、エロスあるいは愛といった人間社会が儀礼のかたちで様式化してきた感情の世界に踏み込み始めている。 監視カメラは政治の問題を日常世界に吹き出させる。それを少し前から指摘して騒ぎ立ててきたのはアーチストだ。だが、それがいまは日常に。
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  • 08:26  こ の世界から遁走して自然のアルカディアに逃げるか、新しい生活をつくりだす挑戦を続けるか。ここが分かれ道だろう。活動の場所をユビキタスからアンビエン トに移すことで、インタラクションデザイナーは人間が生きていく世界を自分の生活空間の中に生み出す活動に関わり始める。多様さと豊穣さ。
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  • 08:29  Intel の新しい研究所Interaction and Experience Research (IXR)の所長にスピリチャリティの民族誌で知られているGenevieve Bellがついた。経験デザインはつかいやすいとか無駄がないとかではなくて、感情の美学の問題になっている。
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  • 08:34  感 情の美学がどのように我々の生活する空間を構築していくのか。インタラクションデザインが空間構築の中心になっていく。故ウィリアム・ミッチェルがせっか ちに構築してみせた合理的なサイバースペースの写像にしか過ぎない「情報都市」ではない空間を手に入れる直前まできているのだ。
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  • 08:36  そ こを切り開くための理論的な研究に加えて、インタラクションデザインの活動の中にどのように空間性あるいはもっと踏み込んで建築そのものを引き受ける方法 を確立していくのか。ここが勝負だろう。ポストヒューマンは動物というのがフランス脱構築哲学者の答えだった。だが21世紀はどうだろうか。
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  • 08:45  動 物化の立場からは、ポップカルチャーやマスカルチャーの説明は出来るだろう。だが医療や死や社会を巡る深刻な問題に直面したときに動物化の議論では対処で きない。生きていること(ビオス)と技術(テクネ)が交錯する。生がむき出しになる。そこで生きていく経験をデザインする必要があるのだ。
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  • 08:50  そ の出発点はオイコス、家庭である。オイコスでの幸福を夢見て、いや欲望して、テクノロジーを導入し、自分の存在の価値や管理を肯定する同じステージで、身 体のメカニズムの数値化と統計化が行われ、スペクタクルなナルシスティックな幻想がそれに追い打ちをかける。オイコスを守るにはどうするのか。
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  • 08:57  一 つは神の家としてのオイコスの実現。聖家族である。人々は民族は移動する。先端医療と末期医療のテクネは暴走する。テロとセキュリティが社会を暴走する。 安全無風な聖家族がオイコスの答えではない。いまオイコスでおこっている経験を直視する。肉体と知覚の問題をインタラクションの中で解く。
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  • 09:02  出 発点はメルロ・ポンティである。モダンのコンテキストで「肉」の問題を考えた最初の哲学者だ。彼の考えがフランスのポストモダン思想家亡き後21世紀のイ タリアでどう展開していくのか、勉強を始めたところである。スピリチャリティと生と死、そして歓待のインタラクションデザインである。(完)

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