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2010年11月3日水曜日

資本主義とオリエンタリズム その1

  •  Tue, Nov 02
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  • 09:19  RT @SteFoyLesLyon: @NaohitoOkude When the word "bazaar" is used, it sounds indicating that middle eastern system of "capitalism".
  • 09:19  RT @SteFoyLesLyon: @NaohitoOkude In this regard, western stlye of capitalism could learn from the Orient.
  • 09:19  RT @SteFoyLesLyon: @NaohitoOkude However, the reality is, by and large, the oriental system has been long led by "corrupted" leaders.
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  • 09:38  3つ連続して@SteFoyLesLyonさんのTweetsをRTしました。資本主義とオリエンタリズムの問題です。これも非常に大切な問題です。200年以上にわたるアングロサクソン型資本主義が終わろうとしていると僕は思っています。
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  •  資本主義とオリエンタリズム その1
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  • 09:52  まずバザールという言葉から。レイモンド氏の『伽藍とバザール』では伽藍は少数の人間考えて多くの人に指示をだして構築するソフトウェアのメタファーとして使われる。合理的な方法で大規模システムを構築する方法だ。これに対して、バザールは少人数で共同して短期間で動くものつくる比喩である。
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  • 09:53  Linuxというオープンソースの開発方法の比喩としてバザールを使っているのだが、これは非常に面白い比喩になっている。というのもバザールは近代ヨーロッパの人間から見ると、不思議なことが起こっている場所に見えるからだ。ヨーロッパ人がアジアを見る視線の偏りをオリエンタリズムという。
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  • 09:56  サイードという哲学者の『オリエンタリズム』で有名になった概念であるが、合理的なヨーロッパに対して、何か別の原理が存在しているオリエント。この対立が本質的なことだという見方は西洋の知識人を長い間縛る。マックスウェーバーの社会分析でも東洋的圧政や暴君というイメージが出てくる。
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  • 09:58  サイードはこの問題を歴史的にさかのぼって批判したのだが、別の見方を提供したのがジャン・クリストファー・アグニュー『劇場と市場』である。シェイクスピアの時代の前のヨーロッパも市場はバザール状態だったと指摘したのだ。その状態が現在の市場に変化することで資本主義が登場する。
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  • 10:01  アグニューはイェール大学で教えていた。もう15年以上前になるが、コネチカットの街をアメリカ学の碩学トラクテンバーグと歩いていたときにすれ違ったことがある。トラクテンバーグ氏が彼に声をかけた。僕は「誰?」と聞いたら、アグニューだと教えてくれて、『劇場と市場』を紹介された。
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  • 10:03  アメリカという新大陸へイギリス人が移動していく。シェイクスピアの時代だ。「テンペスト」はアメリカンスタディにとって豊富なメタファーのつまったテキストなのだが、シェイクスピアの世界まではなかなか手が出ない。というわけでアグニューの仕事は知らなかったのだが、読んでびっくり。
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  • 10:05  その記憶とレイモンドの『伽藍とバザール』と資本主義が重なった。ちょっとそこを見てみよう。大分前だが『恋におちたシェイクスピア』という映画があった。そのオープニングで、「ロンドン、1593年。エリザベス朝劇場の黄金期」というナレーションが入る。
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  • 10:07  シェイクスピアを境に経済がバザール型から市場型になる。経済活動から劇場が切り出されて市場だけが残るのだ。これが『劇場と市場』のタイトルの意味である。それはどういうことかというと経済行為においてパフォーマンスの要素が無くなる、ということである。
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  • 10:09  香港の街で男の街とか女の街とかの看板が出ているが日中には何もないところがある。夕方から店が出てくる。そこではものを買うときに交渉をする。こうした行為は普通に英国でもあった。それが「異端視」されていく。同じことは科学にも言えるのだが、それはまた別の機会に。
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  • 10:12  シェイクスピアは1564年に生まれて1616年に亡くなる。エリザベス朝時代に活躍した。この時代はイギリスのルネサンス期だと言われる。宗教改革の後演劇が盛んになり、1642年の清教徒革命で劇場閉鎖されるまで、演劇の黄金期と言われる。新大陸からの物産などにより商品の流動性が高まる。
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  • 10:18  この時代に多くの公設劇場が作られる。シアター座、カーテン座、ローズ座、スワン座、グローブ座などだ。最近当時の劇場建築が再現されている。それをみて驚くのはストリート演劇に囲いを付けただけの構造であることだ。http://bit.ly/bdGzgZ 
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  • 10:22  この時代はRoyal Exchange 王立取引所が出来た頃だ。(1565)歴史学者は1550年から1650年を長い16世紀と呼んでいる。この時代には商業が発達して、繊維産業が繁栄し、時折やってくる不況、インフレのなかで土地と労働の商品化が進行した。あやうい均衡と呼ばれる。
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  • 10:26  イギリスに取引市場が導入されその後1650年から1750年にかけてイギリスとアメリカが市場中心の文化を形成していく、というか市場と文化が分離していくのだ。シェイクスピアの「ベニスの商人」が肉体とマネーの分離を扱っているとは岩井 克人『ヴェニスの商人の資本論』だが、そんな時代だ
  • 10:31  市場と劇場は別だという考え方が登場してくる。パフォーマンスと市場が混在している場所は「バザール」と呼ばれ、それを下に見るようになる。市場において人々は個人であり、その個人はお互い敵対していて、そのなかからもっとも効率的な選択をするという考え方、個人主義効率主義が登場する。
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  • 10:34  いまでもこの考え方はかなり強い。経済市場主義、economismというが、これを唱えている人は芸術市場主義 aetheticismを受け入れることにそれほど抵抗はない。経済市場主義で莫大な富を築き美術館をつくる、という具合だ。物質の交換と象徴の交換が別なのである。
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  • 10:40  大きな会社に勤めてホワイトカラーとして働いていると市場の活動について身体的に経験することはない。市場は古典派の経済学あるいは新古典派の経済学の中に存在している。経済学者はニュートン力学の均質の時間の中で人間のニーズを調整する仕組みを経済とした。それがアングロサクソン資本主義だ。
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  • 10:42  したがって、現在市場での活動の現象学は非常に難しい。創造的活動は「芸術」のなかに閉じこめられている。だが、みわたすと、実体的なものを交換する市場、つまりはバザールは世界各地に存在している。経済活動の中で創造的行為が行われている。この社会に注目したらどうなるだろうか。
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  • 10:47  だが、ここで飜って、そもそも何故市場が生まれたのか。市場での人間の行動は同じ、uniformityという、とされたのだろうか?古典派の基礎になる稀少性の経済学はどうして生まれたのか。近代経済学を基礎をつくったアダムスミスに戻ってみよう。彼は1723年生まれ。時代は18世紀に入る。
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  • 10:49  市場のメカニズムは均衡であるとされる。貨幣の形で行われるトランズアクションは個々人の感情をこえて自立していると近代経済学は教える。だが、我々が物と人と交換するとき、様々な思いをこめていないか?市場でのやり取りから身体性が消えているときに、どのようにこの気持ちを表現するのか。
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  • 10:57  経済のメカニズムにおいて、感情の入らないトランズアクションをひたすらに行うという奇妙なモデルは近代科学の勃興と時期を同じにしている。グローブ座ができて商品取引所ができた同じ時期にthe Royal Society が出来る。
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  • 11:02  1703年から1723年までアイザック・ニュートンが12代目の会長をつとめている。さて、このあたりから参考書はバーバラ・スタッフォード『アートフルサイエンス』に変わる。経済行為とパフォーマンスが分化していないバザール状態から徐々に市場と劇場を分ける動きが16世紀から17世紀だ。
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  • 11:30  経済活動とパフォーマンスが分けがたく存在していた時代から徐々に経済が切り離されていく。そして18世紀にそれが定式化される。人間の行動を合理的に説明する仕組みが経済学となるのだ。だが18世紀はまだ身体性がのこっていた楽しい世紀だった。ここから完全に身体性がぬきさられ19世紀になる。
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  • 11:32  今日はこのくらいにしよう。異端視しているオリエンタルのバザールは16世紀までは西洋にも存在していたこと。それが徐々に市場として独立していったこと。その背後には個人主義と功利主義の考え方がうまれていたこと。そして活発な経済活動を説明する理論が生まれ始めた18世紀。(この項、続く)

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