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2010年11月21日日曜日

量子力学的世界観とインタラクションデザイン その5

  • 11:13  量子力学的世界観とインタラクションデザイン その5:誤りえない指導者と必然的に失敗する指導者 
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  • さて第5部である。ここでは<他者>の問題から政治の力学へと議論を展開する。第6部でもう一度量子力学そのものへと戻る。社会を認識する枠組みについてまず考えてみる。
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  • 11:18  30年ほど前アメリカに留学をした。ワシントンDCの大学でアメリカ研究を専攻したのだがアメリカ思想史という授業があり、この試験に受からないと論文提出資格試験を受けることが出来ないという厳しい授業があった。学問は徒弟制だという頑固な教師が先生で、本に書いてないことを教えると。
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  • 11:21  随分激しく鍛えられた。思想史の基本的な文献を読んでの質疑応答で10名ほどのクラスだったがみなぼろぼろにされた。Robert H. Walker Jr.という名前で今年の一月 85歳でなくなった。海軍の将校から思想史と文学に進んだ研究者で厳しくも面白い授業をした。
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  • 11:23  強烈なソクラテス方式の授業で難解な思想史の本が課題で授業でどんどん質問が来る。容赦ない感じだったが、僕は非常に楽しかった。鈴木孝夫に鍛えられていたので他流試合のような興奮があった。ウォーカー氏も「おまえみたいな日本人にあったことはない。やり取りの仕方は誰に習った?」と聞かれた。
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  • 11:26  高橋潤二郎鈴木孝夫という両師匠に鍛えられていたことをこれほど感謝したことはなかったね。彼が言ったことでいまでも覚えているのは「セオドール・ルーズベルト以外の共和党員には本当の知識人はいない。」という台詞と「ニュートン物理学を社会に適応したのが人は平等とするアメリカ憲法だ。」
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  • 11:30  「人間はアトムだ。だから平等なんだ。」というコメント付きで建国の父達の文書を読んだことである。日本のアメリカ憲法研究は法学者の故田中英夫先生およびそのお弟子さんを除いてセンチメンタルで自らの蒙をアメリカからの光で照らして恍惚とする、性に合わないが感じなのだが、それとは違った。
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  • 11:33  人間はみなアトムで同じだ。ここがアメリカ憲法の出発点になる。予定調和的な幸福な世界が待っている。だが、勿論現実にはいろんなことが起こる。アメリカの合理主義あるいは古典的啓蒙主義は19世紀の末の混乱の中で何度も問い返される。合理主義の下に流れている無意識の潮流がある。
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  • 11:36  それを見つけ出していくのが心理学者ではウィリアム・ジェームス、彼の弟で小説家のヘンリー・ジェイムス、そしてアブダクションというまったくあたらしい推論形式を生み出したチャールズ・サンダース・パース達である。実は熱力学のジョサイア・ウィラード・ギブズもこの時代のアメリカ人だ。
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  • 11:40  この時代から第1次世界大戦の終わり頃まで「死の欲動」を多くの人々が持っていた。それは「あのときに別様に行動することも出来たはずだと深い後悔の念や罪悪感を持って過去を振り返り反復するようなとき、過去のありえた可能性は、論理的に可能なことを空虚に列挙するような場合とは違って、(続く)
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  • 11:42  固有の現実性(アクチュアリティ)をもって我々に迫ってくる。」こう大澤氏は書く。(160P)これは上手いね。命題記号論理学の操作や論理的アクロバットの指摘が論理的思考だとする本が沢山あるが、そのようなものは空虚だ。なにもわからない。時間を過去にもどしてあらためて可能性の世界を見る。
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  • 11:45  すると胸に迫るような現実性をもって起こりえなかった可能性が迫ってくる。戦友が死んだ過去を振り返ったときに「私が彼<他者>でありえた」と思う。このような反復強迫キュビズムにおける求心化作用と遠心化作用と同質だ。私が他者であったかもしれないという気持ちは、少し前に議論した偶有性だ。
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  • 11:49  量子力学が上手く説明できない可能的潜在的なものが現実性をもつという現象と「死の欲動」は同じ構造をもつのだ。この問題は第一次世界大戦の次の悲劇第二次世界大戦でさらに複雑に展開する。それは全体主義の問題だ。大澤氏は全体主義を生み出した思想家政治学者カール・シュミットを登場させる。
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  • 11:53  合理的思考で社会のシステムが設計され(アメリカ憲法)それが徹底され、個人主義と自由主義が純化される。すると社会の秩序は合理主義の元では功利主義形式主義でのみ形成されることになる。欲望や利害を追求する諸個人の戦略的な相互作用が結果として社会秩序を形成するのが功利主義だ。
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  • 12:01  もう一つは規範や目的に対して中立的な普遍的なルールを設定する形式主義だ。オーストリア出身の公法学者・国際法学者ハンス・ケルゼンが提唱した。アメリカにわたり、ロールズの『正義論』で展開され、カント的な公共的理性を前に出して特定の道徳から自由なリベラリズムを可能にする形式を求めた。
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  • 12:09  このような形式主義はいまでは日本でも評判になっているサンデルによる「政治の道徳化」によって批判的に継承されている。さて、時間を第二次大戦まえに戻そう。ケルゼンが形式による規律を主張していたときにそれに対抗して形式主義では現実的な(アクチュアルな)問題に対応できないとした。
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  • 12:12  ではどうするか。シュミットの出した結論は政治的決断主義とよばれる。(162P)これは例外状態において決断をくだす者である。具体的には当時のヒットラーであった。シュミットの議論は形式と現実を媒介することが出来るのは主権者の意志のみである。
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  • 12:15  大澤氏によれば「主権者が特定の内容をもつ命令や(抽象的なルールに対する)特殊で具体的な解釈を人々に課すのだ。」(163P)つまり、内容は関係ない。意志決定をするという、これも形式だが、それが大切なのだ。決定に関する形式主義である。そしてそれがなされるのが「例外状況」だという。
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  • 12:17  例外状況というと特別な状況のような気がするがシュミットはルールによって形式主義にいたった近代の行き詰まりが例外状況なのだ。つまりいまの現状すべて。ここは難しい。モダニズムを批判して登場してきたポストモダニズムの思想家が立ちすくんだところだ。モダニズム批判の先にはナチズム来る。
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  • 12:20  1980年代からフランスを中心に勢いを得たポストモダニズムはモダニズムのつまりはニュートン的世界観の成立する根拠をたたきつぶした。そしてその先には新しい社会ではなくナチズムがあるいは全体主義が幻のように現れた。これはかなりまずい状況だ。
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  • 12:24  この問題は現象学的設計論を展開する僕にとっても大問題で、ここを解かないとヘルスケアから家族、暮らし、街といったところへインタラクションデザインを展開できない。そのために超えなくてはならないところがこの量子力学的世界観の習得なのだ。さて、議論を進めよう。
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  • 12:26  フランスポストモダニズムの巨匠が相次いで亡くなりその思想的継承はフランスやドイツではなくイタリアで行われた。モダンを解体した先に見え隠れする全体主義の亡霊を閉じこめようとしているのはイタリア現代思想の哲学者達である。大澤氏はそのうちの一人ジョルジュ・アガンベンの思想を紹介する。
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  • 12:35  アガンベンは例外状態を法の内と外との区別に対して、解消不能な不決定性が宿るという。(165P)法の実行を停止する主権者の権力が法によって規定されているからだ。典型的な嘘つきのパラドックスだ。法の機能が停止していると、遵法でも侵犯となり、凶悪犯罪でも法に従っていると見なされる。
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  • 12:42  大澤氏は例外状況は量子力学と同じ構造をしていると指摘する。量子力学における波動とは「電子や光子のような微粒子の可能な運動がすべて潜在している状態」である。(166P)この状態を説明する考え方はハイゼルベルグシュレディンガーファインマンなどがそれぞれモデルを提案している。
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  • 12:45  説明の仕方はいろいろあるが現象としてはすべての運動が許されている状態が波動である。それが例外状況と似ている。例外状況では主権者は決断する。法律では判定できな状況で「友は誰か、敵は誰か」を定義し、宣言する。なんか、こんな適当な判断をする人を主権者におくとやばいよねえ。
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  • 12:47  量子力学において「観測を通じて、潜在的・可能的な運動の束(波)の中から、1個の粒子が結晶し、立ち現れる。」例外状況においては「主権者の決定を通じて人民の中から「友」が結晶する。(166P)相当やばいな。しかし、これが第二次世界大戦前にナチズムが生まれてきたメカニズムなのだ。
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  • 12:49  シュミットの決断主義は合理的なパラダイムを徹底的に実行した結果生じた困難に対する対応であった。量子力学もニュートン的なパラダイムを徹底してすすめた結果現れてきた現象への解決の試みだったのだ。さて、ここでちょっと立ち止まろう。まだ量子力学的世界観の中身には分け入っていない。
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  • 12:50  いままで考えてきたのは従来の認識枠組みでは説明できない現象が生まれ、それが新しい認識枠組みを要求していると言うこと。この変化は科学だけではなく社会においても生じていること。その原因は近代社会の憲法がニュートン物理学と同じパラダイムであること。
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  • 12:54  解けない問題が同じ構造を持っている。その問題をとにかく解いて見せたのが全体主義であったこと。思想的合理主義を1970年代から追い詰めてきたポストモダン哲学は同じ亡霊に直面したこと。ここまでだ。大澤氏はさらにもう一つの亡霊について話を進める。それは共産主義だ。
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  • 12:55  全体主義と共産主義は亡霊である。なぜなら過去の出来事だから。しかしいまの社会の先にこの亡霊が見えている。功利主義と形式主義しか決定原理がない社会の落ちていく先はここになる。ハーバーマスやサンデルのように法律に道徳を合理的に持ち込む、ということは現実的ではない。ではどうするのか?
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  • 15:35  量 子力学的世界観とインタラクションデザイン その5:(続き)シュミットが合理主義と生活世界のほころびを全体主義で解決した。ほころびがある点は量子力 学的世界観と同じだ。だが例外状態で主権者が友と敵との境界を決定してそこから「友」が結晶してくる、というのは振り返っても、よくない。
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  • 15:40  合理主義と日常世界のほころびにかんしてもう一つの解決策があった。それが共産主義である。社会の規範を担う人間は生きていてはいけない。抽象的な存在でなくてはいけない。規範の与えてだ。これはシュミットのいう形式的な法と同じである。
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  • 15:42  こ この裂け目を見るとは、量子力学における観測問題、つまり波動関数を壊すことになる。つまり「観測は政治的決断主義の物理的な表現である」(174P)と いうわけだ。議論は大分めんどうなところまで大澤氏によって展開されてきた。だが20世紀の隘路は全体主義だけではなく、共産主義も挑戦した。
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  • 15:45  大 澤氏はレーニンを例にひく。彼もまた全体主義を生み出したシュミットのように共産主義の指導者について論じている。これは西洋の社会民主主義と違うとい う。プロレタリアート自身が運動すると考えるからだ。レーニンはこれとは違って、指導者によって友と敵とを分けるシュミット的指導者であった。
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  • 15:57  共産主義あるいは社会民主主義においては、指導(プロレタリアートや農民への知識注入)ではなく、どのように世界を認識していようと関係なく、資本主義の中で改革の実践をしていれば仕組みはかわると考える見方だ。この考えの指導者がベルンシュタインである。
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  • 16:05  し かしただ日々かいぜんの実践をしたところで本当に革命の日はくるのか。ローザ・ルクセンブルクは革命の好機をまっていてもこないという。つまりさっさとや るしかない。すると時期尚早なので失敗をする。反復的な失敗が「革命の主体を教育してその主体的条件を成熟させる」という。
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  • 16:08  こ れはびっくりだ。イノベーションを実践するためのデザイン思考と同じではないか。まずやってみて失敗をする。そこから学んで次にすすめる。Build to Thinkの考え方だ。またこれはレーニンの主張にも似ている。だが、ローザは大衆を指導するリーダーを耐える考えにも否定的だった。
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  • 16:10  ここからは僕の意見だが、シュンペーター『資本主義・民主主義・社会主義』が問いかけた問題に直接結びつく。資本主義と民主主義つまりは近代合理主義が生み出した二つのシステムが生み出した生活の裂け目の解決が社会主義とはあんまりではないか、というのが彼の主張だ。
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  • 16:12  社 会主義に代わる方法を模索してイノベーションを打ち出しているがそれを継続的に、つまりゼロから一を常に生み出す方法に関してはいくつかの操作的な方法を 示しているだけだ。シュンペーターの天才的な思考はその弟子達によって厚生経済学的にあるいは混合経済的に引き継がれる。
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  • 16:14  そ の危うい均衡は金融工学という量子力学的破壊兵器でぶち壊される。その次はまちがいなくゼロから一を生み出し続けるイノベーションをコアコンピテンスとす るグループだ。そこにおいては指導者なき(アイデアマンではなくコラボレーションで)実践と実行(失敗)の繰り返しあるのみなのだ。
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  • 16:18  レーニンは「成功には失敗が内在している。その失敗へと人を駆り立てるためにこそ、指導者が必要だ」と述べたという。(183P)シュミットは誤り得ない指導者だがレーニンは「必然的に誤る指導者」だ。大澤氏はこの視点から量子力学に戻る。(この項 完)
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  • 補遺

  • 16:20  良いつっこみを頂きました。僕もそう思います。そこにブラックショールズ方程式を持ち込んで高速のコンピュータで情報をやり取りする市場を「工学的」につくりディーラーが端末で力自慢をしていた。ここが変な20年。RT@ooe_san 金融って、そもそも工学分野じゃないでしょって言う(後略)
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