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2011年6月16日木曜日

シンガポール言語事情 家庭編

  • Wed, Jun 15

  • 10:51  シンガポール最終日。10時30分クレメンティの駅で瓜生君と待ち合わせ。銀行などの作業を行う。その後NUSでいくつか作業。Cuteの博士課程の学生の相談にも対応。夕食はNUSデザインインキュベーションセンターの友人と。

  • 17:35  今晩の夕食は、・・・or cold crab with braise duck?と聞かれた。たまらないなあ。楽しみ。
  • 07:41  チャンギ空港シンガポール航空ラウンジ。これから帰国。

  • 07:44  昨晩、友人と食事。彼の先祖(?)の出身地の中華料理屋さんで。姉たちと来るとお店の人にあれこれ注文を大きな声でつけて恥ずかしいと。そのくらい日常で利用しているということ。ファンシーな店ではないがワインのコレクションが半端ではない。セラーもしっかりしていて、店主の好みだと。

  • 07:45  彼は今年の9月から小学校に進学する娘がいる。彼女は英語ではなす事を好んでいて、このまま英語でいくのだろうなと。僕かその少し上くらいの世代で交流がある人たちは母語が中国語で中国文化を継承している。大学はイギリスやアメリカをでている。

  • 07:48  子供は大学を出て就職を始めたくらいだが、この世代はかなり英語が流暢で、一方中国語は普通に話せるが、歌とか小説とかを味わうレベルではない。コミュニケーションには使えるが文化をあらわしている言葉ではないと言われたりする。この世代から英語で小説やエッセイをかく人たちも登場している。

  • 07:50  だがその次の世代、いま小学校にはいるか幼稚園に通っている世代からは急速に中国語が消滅している。シンガポールが豊かになり快適な暮らしをする一方で母語が変わりつつある。いまの大学生くらいまでは母語と公用語としての英語が共存しているが、その次の世代は英語がドミナントになっていく。

  • 07:52  一方で中国の力が増大するにつれて普通話(マンダリン)の必要性も予見できる。授業で中国語があり両親もあまり中国語に自信がないので塾が幅を利かせているが、普通話を公用語にするという政策は非常に難しいという。国はその方向に向かっていこうとするが、その一方で民族間の平等がある。

  • 07:54  いま中国語を2番目の公用語にするとやはり中国系シンガポール人が得をする。なのでこの政策を積極的にすすめることは難しい。人間の生得的な能力に依存しつつも社会システムと根本の所でかかわっていく言語を巡る意志決定は非常に難しい問題がある。

  • 07:56  かつて僕の師匠の一人である社会言語学者の鈴木孝夫氏は日本人が海外に駐在すると安易に日本語をすてて、子供は英語が母語になっていく現象を中国人の中華思想つまり母語にこだわる姿勢と比較したことがあるが、シンガポールにおいては母語としての中国語が弱まっている。

  • 07:59  もちろん文化伝統はそんなに簡単には消滅しない。シンガポール国立大学は中国文化研究の中心に将来なっていくだろうという予感はある。また政治的に有声になっていくのは中国語でも普通話であって、中国語には広東語福建語もある。またアジア人が英語で書くモダンな小説もかなり面白い。

  • 08:02  文化的には「不器用に」複数の言語を使い分けながら文化表現の可能性を探るモダンな試みも面白い。国際的な活動をする会社や団体でコミュニケーションの手段として使われている英語はかなり国際化して特定の文化の縛りから自由になってきている。今後20年言語をめぐるアジアの現象は目が離せない。

  • 17:27  成田エキスプレスで帰宅中。
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