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2010年10月14日木曜日

上海「ことば」事情 リンガフランカとしての中国共通語『普通話』

     Wed, Oct 13
  • 20:02  2010年10月10日のパーティに招待されて、私用で上海へ。今日の5時に成田着。いろいろと面白かった。まず英語が通じない。シンガポールにいると普通に英語が通じる。だが上海は徹底して英語はだめ。経済的に繁栄していて、高級ヨーロッパブランドの店もたっぷりある。洒落たバーも多い。
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  • 20:05  バブルというよりは底力のある経済の動きを感じる。で、まるで英語が通じない。中国語で話す中国の人間を相手にビジネスを行っていればいい。これは凄いね。さらにもうすこし話は複雑。中国語といっても4種類に分かれ、表記は漢字であっても発音が違う。別の言葉と言っていい。だがマンダリンが強い。
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  • 20:07  昔からそうだというわけではない。上海は上海の言葉があった。4声もそれほど強くなくて日本人にも学びやすいという。家では上海の言葉で、ビジネスはマンダリン。また初等教育からマンダリンを使うので、若い上海人はマンダリンが両親の世代より上手だが、その分「母語」が弱くなる。
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  • 20:11  とはいえ、自分の言葉としてのマンダリンがあり、英語なんか話さない。これは強烈で面白い。シンガポールだとちょっと分からない感覚で気に入った。10日は揚子江を大型ボートで移動しながらパーティ。上海で育ち、ケンブリッジ大学に入学して、その後スタンフォードの大学院をでた青年の結婚式。
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  • 20:15  仲間も多くが超一流の英米の大学をでて、香港やシンガポールあるいはアメリカ、ヨーロッパで働いている。これも上海の最近の現象。中国の高等教育は厳しい詰め込み教育でエリートを鍛える。近代化をばく進するための人材教育としては有効だが、それに飽き足らない人が登場してきている。
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  • 20:17  シンガポールも、日本も同じだが、中国も、そして台湾も、近代化教育は徹底して創造的な活動や領域を跨いでいくような方法を嫌う。決められたことを決められたように行う。能吏を育成するのだ。大量の能吏がいなければ近代国家の運営は出来ない。勉強といえば能吏を作ることである。
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  • 20:19  いわゆる学力もここで判定される。日本の若者の学力が上がったとか落ちたとかというのはこのレベルの話であり、計算能力にしても論理的思考にしても能吏を作るための仕組みの中での話しに過ぎない。だが、そうした近代的教育の先がある。創造性教育がそれであり、ここが非常に重要。
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  • 20:21  創造性教育はすでに資産も地位も気付いたブルジョワジーが自分たちの地位を差別化するために利用してきた。芸術とか教養といったことだ。社会学者のブルデューがのべた「ハビタス」はテイストや感受性といった創造性の基本的要素が階級維持のメカニズムに使われている仕組みを暴き出した概念だ。
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  • 20:23  日本やアジアではこの概念と近代化が結びつく。西洋芸術礼賛か、開き直りの伝統芸術の鼓舞。だが経済的に豊かになり、西洋近代化のメルクマールである教養も身に付けてみると、そうした「文化」は恐れるに至らないと気がついてくる。そうなったときに創造性が非常に大切になる。
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  • 20:26  階級も民族も文明も虚構だ。良いものを自分の力で作っていけばいい。ある程度豊かな時代が続くと若者達はそのように考えるようになる。そして、現状の教育システムが邪魔になってくる。いま上海を飛び出している中国の俊英達は能吏育成の教育でのエリートではない。が金持ちの道楽子弟でもない。
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  • 20:28  まあ上海はお金持ちが多いだけではなくてもう20年以上繁栄している。贅沢に育てられた子供達は退屈な詰め込み教育にあまり興味を示さなくて、緩い感じになっている。シンガポールも同じだ。僕はそんな感じの若者が好きだし可能性を感じるが、その話は別の機会に。そんな環境で勉強したい若者がいる。
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  • 20:32  彼らは外国に出て行く。特に英語圏に出て行く。ここもまためんどくさいところだが、英語圏の高等教育は個人の可能性を生かし、創造的な環境の中で能力を伸ばす仕組みに優れている。今後はともかく、現状、アメリカの一流の高等教育機関の人材育成の方法は創造的で素晴らしい。
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  • 20:34  英語を流暢につかう彼らは上海で働かない。アメリカで仕事が見つからなければシンガポールに行く。シンガポールのお利口で創造性をもとめる若者はアメリカの大学を目指し、卒業後かならずしもシンガポールに戻る訳ではなさそうだ。英語に不自由しないが、母語としてのマンダリンをもっている。
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  • 20:37  中国文化を継承しているかどうかは別として、二つの言葉の中で生きている。これからどうなっていくのか分からないが、いま30歳になるかならないかのこの若者達の未来には非常に興味がある。だが、大事な話はこれからである。今の話は一握りの優秀な若者の話だ。そうでない連中は?
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  • 20:39  皆、英語を自在に操って行く必要があるのか?そうではないと思う。能吏を鍛える方法で英語を詰め込もうという動きがあるが、そもそも能吏なんか必要がない。記憶力や情報処理メカニズムなどはコンピュータがやってくれる。マックスウェーバーが述べているように、能吏は人間コンピュータなのだから。
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  • 20:43  高等教育で創造性を十分に伸ばす。いまのところ英語圏でしか実践されていないが、僕は日本での高等教育でもそれを徹底して行うべきだと思う。KMDでは英語をつかって授業の半分を行っているが、それは日本での創造的教育へのアクセスを容易にするためだ。大事なのは創造的な教育である。
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  • 20:48  シンガポールや中国、そして多分インドでも高等教育は詰め込み主義である。ヨーロッパもそんな気がする。そこからはみ出る創造性溢れる若者をKMDでは受け入れたい。なので、英語で授業をしているが、やってきた学生は日本語にも興味を持っている。上手にもなる。
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  • 20:50  このあたり僕の師匠の鈴木孝夫が何度も繰り返していっているところなのだが、どうにもうまく伝えられない。人間の言語能力習得の不思議とそれを操る政治との関わりあい。そしてその政治をこえていく文学の力。このあたりの繊細な議論をしないで話を進めるといつも誤解が生まれる。だが言っておく。
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  • 20:52  人間が生きていくための文化を理解して表現できる言語は母語だけである。したがって母語を重要視しない教育は問題である。だが母語は閉鎖的で他者とコミュニケーションするためには論理的な表現が必要となる。それがリンガフランカである。
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  •  Wed, Oct 14
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  • 01:42  ま あぐずぐず書いてきたけれど、中国語(マンダリン)だけで成立している世界があって、結構魅力的で好奇心がそそられる。同じように日本語だけで成立してい る文化的世界があってこれも世界の多くの人の好奇心をそそっている。またイタリア語だけで成立している世界もある。世界中そんな感じだ。
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  • 01:44  そ うした文化的に芳醇な世界への好奇心を持ち、それを理解したくなったら文化の翻訳者の仕事にたよるか自分で言葉を勉強してみる。彼らに文化を英語で発信し てもらおうと思うのは高慢だ。一方でコミュニケーションは明確な文体を駆使したリンガフランカ、当分は英語だけど、それで行う。この形がいい。
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  • 01:46  と いうわけで、中国語だけの世界の存在感に感心した3日間だった。日本語だけの世界の存在感も大事にしていきたい。こうしたヴァナキュラーな文化の力とリン ガフランカの世界の両方を見たい。ちなみに、英語だけではなくマンダリンもリンガフランカなっていきそうだ。日本語はまだ時間がかかるかな。
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  • 補遺
  • いつもながら適切な指摘をいただいた。
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  • BebsonJP @NaohitoOkude 厳密に言いますと、マンダリンは清朝満州族官吏(貴族)の喋っていた最も綺麗な中国語で、現在は、中国国内でも海外でも、少し落つる中国共通語『普通話』を話しております。私も若い頃、満州人の方から少し習いましたが、現在は普通話です。 
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1 件のコメント:

  1. 宮崎正弘の国際ニュース・早読み(45206)より:

    (読者の声1) いつもマスコミでは絶対に知ることのできない真実の情報をありがとうございます。毎日楽しみにしております。尖閣諸島のことで日本の多くの有志が抗議デモを行ったことを貴誌によって知りました。また先日は『週刊ポスト』に宮崎先生の記事が掲載されましたので、生まれて初めて週刊ポストを買いました。週刊ポストは、誠に目を見張るような変貌振りで驚きました。エロとスキャンダルのイメージしかなかった雑誌社にも憂国の士が大勢いらっしゃることを知り、大変うれしい思いです。また8月15日の靖国神社参拝者は過去最高で、若者も非常に多かったということも貴誌で知りました。

    私は昭和29年生まれですが、戦後生まれの者は「愛国教育」などは全く受けていないどころか、下手に「愛国」などと発言すれば、「右翼」だの「軍国主義」だのと批判される、そういった愛国心を絶対に芽生えさせないような教育を受けて参りました。それなのに、なぜそういった世代の人々に「愛国心」があるのか? 私は、「どうしてなのだろう?日本という国は不思議な国だ」と思っておりました。ところがこのたびその理由がはっきりわかり、今はそれを確信いたしております。実は、このたび渡部昇一先生の「日本史百人一首」を読みましたところ、次のように書かれていました。「私は上智大学で戦前から日本にいて本当に日本語が上手な神父さんを何人も知っているが、その人たちでも和歌は詠めない。詠めないという以前に、五七五七七という形式をつくれないのである。言葉は話せたとしても、外国人がぽっと来て和歌をつくるのは至難の業なのである」

    また数学者の藤原正彦先生も「国家の品格」の中で、欧米人にとっては「虫の音」も雑音に過ぎないとおっしゃっています。私は時を同じくして、ある国語教育の先生が書かれた文章を読みました。その中には、
    ― 日本人の脳は欧米人や中国人、韓国人とは全く仕組みの違う「日本語脳」というべきものである。
    ― その「日本語脳」は、6歳から8歳の間に形成される。
    ― この期間に外国で育った人の脳は「日本語脳」ではなくなる。
    ということが書かれてありました。以上の諸々の情報から、私は日本人が祖国を愛する心は、特別な「愛国教育」によって形成されるものではなく、「日本語」そのものによって自然に形成されるものであると確信した次第です。つまりアメリカはわが国の軍隊を葬り、財閥を解体させ、憲法を作り変えさせ、教育制度まで変えさせ、日本人を骨抜きにしようとしましたが、一番肝心なことを一つ見逃していました。それは、国語を「英語」に変えさせなかったことです。ということは、現在小学校で、国語の時間を減らして英語やパソコンを教えているそうですが、それがいかに亡国の行為であるか、ということです。しかしその弊害もいずれは矯正されることでしょう。多くの心ある先生方も、声を大にして指摘されています。
    何しろわが国は、柿本人麻呂の歌、「磯城島の大倭の国は言霊の助くる国ぞまさきくありこそ」の国なのですから。正しい日本語を使っている限り、それだけで「大和心」は代々伝わり、わが国は不朽不滅であると信じます。その結果、平時は昼行灯の国民であっても、いざ有事の時には、多くの國士が立ち上がるのが日本の国であるとこのたび確信いたしました。

    (AW生、広島県福山市)

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