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2010年10月4日月曜日

『獄中の人間学』と組織行動論

  •  Sun, Oct 03
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  • 18:44  「リンガフランカとヴァナキュラー」のblog http://bit.ly/d4iitj になった切っ掛けは@BebsonJP による言語学的なコメントとそのやり取り。学識の深さに感心し、http://okude.blogspot.com/に付けていただくコメントに考えさせられる。
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  • 18:47  @BebsonJP さんから彼の師匠だという城野宏氏と古海忠之氏の対談『獄中の人間学』を教えてもらり、いま読了。うーん、とてもよく分かる。僕の師匠の高橋潤二郎と鈴木孝夫が言っていたことと同質の思考だ。日本の良さの理解の方法と人間社会のマネージメントのコツ。この本はお薦め。
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  • 18:50  @BebsonJP の多言語能力も城野氏が師匠なのでしょうね。リンガフランカとなった英語を現実的に認めつつ、ヴァナキュラーを大事にする。東アジアの知性を学んでいく。これは石川九楊氏の一連の著作にもつながる。しかしこの対談、闊達で両者実に「モダン」だ。後ほど石原完爾について紹介。
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  •  Sun, Oct 04

    • 02:22  『獄中の人間学』で満州国を実際に作り上げた古海氏の回想が興味深い。戦前東大法学部から大蔵省に入り、これからというときに満州国の運営が命令で言い渡される。やってみるとなかなか面白い。終戦で捕虜になり禁固18年。昭和38年帰国。彼が見た満州国。
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    • 02:25  満州国は五族協和の旗を掲げて民族が共和した理想の国を作ろうとした。そこはよかったが、満州国と関東軍の関係なしには存在できなかったところが問題。関東軍なんかいなかったほうがよかった。満州国といえば関東軍の参謀副長石原完爾の存在が議論されることが多い。
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    • 02:30  古海氏は「(石原は)ある意味で思想家であったとは思うが、軍人としては大物でないとぼくは見るね」と述べる。「要するに実行力がない人間なんだ。口は達者 でずけずけと物はいうがね」と続ける。こんなわけで、石原完爾と古海氏は大喧嘩をすることになる。石原が古海氏を公開の場で批判した。
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    • 02:33  民族共和を推進する「協和会」をつくり、古海氏はあまり乗り気がないままマネージメントを引き受けていたときに、役人ではらちがあかない。首にするべきだと 述べたのだ。古海氏は直接関東軍司令部にのりこみ「尻をまくり」大騒ぎになった。協和会の運営を巡る意見対立は関東軍内部で討議することに。
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    • 02:36  で、 石原完爾の提案するものはことごとく否決される。で怒った石原完爾は天皇の許可がないと移動できない将官にもかかわらず、日本に無断帰国をする。で、あわ てて病気として陸大病院に入れられる。古海氏は「石原完爾といえば実行力の非常にない人だったね。同時に好き嫌いの激しい人で(続く)」
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    •  02:45  あ のひとの子分には立派な人物は一人もいなかった、と古海氏の回想は終わる。これ以上の石原完爾論はないね。この本全体を通して、仲間を率いる良い人間たれ というのがメッセージであり、「人間学」だ。戦前の上質の日本型近代心性だが、アメリカの組織行動論に非常に近い。二一世紀型組織の先駆けだ。

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5 件のコメント:

  1. Twitter より
    BebsonJP Bebson HOCHFELD
    @NaohitoOkude 過分なお褒めのお言葉有難う御座います。私の師匠の城野宏氏は確かに中国各地の言葉が喋れましたが、私の多言語能力は全く別の文化的背景から発生しております。実は私程度の人間は仲間内にはゴロゴロしております。言語下手な日本人にも別の能力があり、心配御無用です。10月月3日

    Amazon.co.jp の書評より
    本物の日本人に出会って下さい。2010/9/28

    著者のお一人、城野宏氏は私の師匠でした。第二次世界大戦終了後に、中国大陸で中国人、日本人混成の山西独立軍を編成し毛沢東軍を相手に4年間戦って敗退し、中国の監獄に戦犯として15年間収監されてから釈放帰国されました。大勢の日本人が戦後、GHQの洗脳を受けましたが、それ以前の昭和の日本人がドンナ人達だったかを教えてくれる貴重な本です。古い本ですが、『本物の日本人』を知る為に、可能ならば出来るだけ沢山の方々に読んで頂きたい本ですね。そして現在、少し希釈されてしまった『本来の日本人魂』を取り戻す良い機会になればと願っております。

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  2. 若い時に地方の中小企業で、或る部門の責任者に抜擢されました。若造(31,2歳)の私は、米国人等は上手く操っておりましたが、世界的にも独特な日本人の行動原理が完全には理解出来ておらず、組織を率いるのはボロ糞に下手でありました。仕様が無いので手当たり次第に日本人論の本を読んで猛勉強しました。そこで終に城野宏先生の本に出会った訳です。日本人を動かす組織論としては最高の教科書だと思ったのですね。この本の遣り方を熟読玩味して、組織を30年間程、運営した所、当時は誰が見ても日本国内ではショボいレベルのその組織で、人材がドンドンと育って来て、今でも余り能力の無い私の力を全然借りずに、新しい仕事に勇気と熱意とを持って挑戦し、現在では私の部門は、他の都道府県ではやれていない、日本でも有数の超ハイレベルの仕事が出来る組織に完全変身してしまいました。私も間も無く停年を迎えますが、無事に此処まで来られましたのは、御縁がありまして、良き師匠に出会えたお蔭かと感謝しております。

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  3. 更に城野先生が凄いのは、当時パーソナル・コンピュータ等が全く存在していない時代に、人間の脳の合理的なプログラミング方法を開発して、それを『能力開発技法』と称して、その遣り方を具体的に教える沢山の本(教科書)を発表された事です。エッセンスとしては.....

    01.自分から主体性をもってやる姿勢をつくります;依存心の姿勢をやめる。人のせいにしたり、愚痴を言うのも結局は人頼りの姿勢です。

    02.つねに進歩発展をはかる姿勢をつくります。;進歩発展を阻害する要因は、失敗を恐れる、面倒くさいと思う気持ち、自分をよく見せようとする見栄、現状維持の怠慢、自分の欠点が見えない、そして他人にたいする優越感などです。阻害要因をもつと行動が鈍ります。自分を伸ばすためには、これらの気後れを振り払い、とにかく前に出ることです。

    03.他人の利益を考えます。;自分の利益しか考えない姿勢をやめます。人の利益を考えることによって、自分もはじめて利益を得ることが出来ます。「情けは人の為ならず」の諺のように、人に情けをかけることによって、他人に情けをかけることが巡り巡って、自分に返ってくるという考え方です。

    04.つねに中心点を明らかにして、中心の骨組みで考える習慣を作ります。;混乱する思考から逃れられます。戦略とは、中心の骨組み、つまり構造の最も大事なものです。

    05.つねに両面とも考え、どちらが主流であるかを考える習慣をつくります。;決して片面思考に陥ってはなりません。例:ある投資をすれば、うまくいく可能性と、まずくいく可能性の両方を考え、そして、どちらの可能性が大きいか、冷静に見極めます。

    06.立場や観点を整理して、多角度から考える習慣をつくります。;立場と同時に希望も理解します。

    07.確定的要素から出発して考える習慣をつくります;事実と推測を混ぜ合わせず、頭と足を使います。事実を確認します。

    08.行動のつながりで考え、具体的に考える習慣をつくります。;抽象理論だけで”わかったつもり”にならないようにします。

    09.得た知識はすぐ使う習慣をつくります。;ペーパードライバーにならないように。

    10.出来るだけ沢山の「物事」に首を突っ込む習慣をつくります。

    11.出来るだけ沢山の人と接触する習慣をつくります。

    私はアセンブラーを使ってマシン語でプログラミングをしていた時代がありますが、人間の脳をこの様にプログラミングする事は城野先生から教わった訳です。

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  4. 『能力開発技法』は『脳力開発技法』の間違いでした。城野先生は『能力』ではなく、『脳力』とユウ新しい日本語を拵(コサ)えて使っておられました。マア、余り意味的には違いが無い様にも思えるのですが、『脳力』の方が、脳コンピュータをプログラミングするイメージが湧いて来ますよね?更に彼は『情勢判断学』とユウ、今で言えばインテリジェンスの遣り方も伝授されておられました。多言語話者の私には、こちらの方でも多分、黒帯高段者にして頂きました。感謝です。合掌!

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  5. 或る時、城野先生に『日本が社会党政権になったら、君は如何する?』と訊ねられた事がありました。多言語話者の私は、当時の世界中の左翼政権の内実が良く分っておりましたから、普通の日本人の様に朝日新聞なんか根っから信用しておりませんので、『そりゃっ、先生、日本社会が激変しますから、日本を捨てて出て行くしかありませんよ。』と返答した所、『イヤイヤ、日本人はそれでも上手くやって行けるよ。』とお返事頂きました。その後、1994年に村山富市(1924 - )氏を首班とする社会党政権が出来ましたが、意外に穏やかな政権で、幸いな事に、私も日本から出て行かずに済みました。でも翌年の阪神・淡路大震災発生の時には流石に左翼政権で実務能力の無い事を曝け出してしまいましたが。中国情勢を始め、城野先生の世界や日本の分析は可也の確度で当たっておりました。インテリジェンスの能力(脳力?)でも天才でしたね。

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