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2011年3月1日火曜日

アジアの創造性教育:植民地官僚主義をぶっとばせ

  • Mon, Feb 28

  • 00:00  最近TLやRTでアメリカやイギリスの高等教育の最先端を褒めるものが多いのでちょっと気になる。ハーバードやケンブリッジの教育制度が圧倒的に優れていることを認めた上での、高等教育に関する社会学的歴史学的なコメントを少しして起きたい。まず高等教育は誰のものかということである。

  • 00:01  いうまでもなく資本主義社会を支配しているブルジョワジーのものである。社会主義では高等教育は人民のなかから能力のある者を試験によって選抜する仕組みである。したがって卒業時の成績の順位が一生を決める。なので皆頑張る。卒業したらもう頑張らない。この手の高等教育は今回は議論しない。

  • 00:04  ケンブリッジでもオックスフォーでもアイビーリーグでも、入学を許されるのは支配階級の子弟だけだった。幼年時から古典語を鍛えられ文章を鍛えられた生徒のみが入学を許可されたわけだ。社会が近代化してくると、支配階級以外も高等教育を求めるようになる。そこで大学の意味が変わり始める。

  • 00:07  このあたりは拙著『トランスナショナルアメリカ』に詳しく書いているが、支配階級の子弟ではない若者が「学力で僕たちを選抜してもらいたい」というアピールを始めるのである。だれもが認める学力とは結局は暗記で評価する筆記試験の点数だ。だが、それを認めると支配階級の子弟は入学できない。

  • 00:08  そこで、民族グループ毎に入学の割合が決められたりした。これをクオータと呼ぶ。さらに卒業しても就職先がない。オックスフォードやケンブリッジをでても就職はないのだ。アイビーリーグでも同じだった。アメリカでは1930年代、ルーズベルト政権の時に実力に応じて要職に登用した。

  • 00:10  イギリスではサッチャー政権からではないか。フランスはブルジョア支配は1960年代に消えて、それ以降は実績主義で、いろいろな民族の人間が成績で要職に登用された。所詮暗記の試験で高い得点をとった人たちだ。アメリカでも同じだ。現在SATが高得点でないと上位大学に入れない。

  • 00:13  その勉強を見ているとあまりにも表層的だ。イギリスもAレベルと呼ばれる試験には創造性のかけらもない。暗記だけだ。なのでケンブリッジなどでは独自のテストも課している。要するに支配階級の再生産の大学から、小手先で頭のいい子が入学できる大学へと変化している。

  • 00:15  またこうして学力でのし上がってきた学生は人のことなど全く考えない嫌な野郎が多い。自分の立身出世しか考えていない。暗記市場主義で自己中心主義。不思議なのはこうしたむかつくような優等生がきちんとした教養と判断力と創造性を身に付ける。ここがアメリカの特徴。もちろん教育なので全員ではない。

  • 00:17  イギリスの大学は3年間なので、高校までに教養を身につけていないとアウト。なのでケンブリッジでてます、といってもあんまり信用できない。アメリカは4年生で、大学にはいるまでは教養がないということを前提としている強烈な教養強化カリキュラムが入学後1年ないし2年続く。ここで変わる。

  • 00:19  表層的な勉強しかしていないアメリカの高校生のうちSATで高い点をとった連中が一流大学に入り、1年か2年のうちに変貌する。それは凄いと見ていて思う。ヨーロッパは教養は家庭での教育を前提としている。IBではTOKという科目がそれに相当するが両親が知識人でないと家で教えるのは無理。

  • 00:24  なので、ヨーロッパは高等教育での「教養」の低下が著しいと見ている。労働者階級からたたき上げてオックスフォード大学を卒業してケンブリッジ大学で教えていたテリー・イーグルトンですら大学の死をうれいている。イギリス人にはただのようだった授業料も値上げとなりストが勃発した。

  • 00:27  実はイギリスの高等教育を巡る環境の変化に関してはちょっと期待することがある。現在の世界の大勢の不都合の多くはアラブもアジアもみな大英帝国のせいである。この大英帝国がついに消えようとしている。ここ1年くらいの話だが。アラブは爆発しアジアは経済的離陸が始まった。

  • 00:29  イギリス人による世界支配の道具としての高等教育の根本的な見直しが始まると見ている。ではアメリカはどうか?憎らしいまでに「正しい」正統派教育をアイビーリーグなどでは行っている。だが、何のために?世界の人を幸せにするために?アメリカはやっかいなことにこれに対する答えを持っている。

  • 00:31  アメリカ史ではマニフェスト・デスティニーというのだが、要するに世界に民主主義を普及させるミッションを担っているという考えだ。まあライシャワー氏の時代ならそうだったかもしれない。余談だが、ライシャワー氏の日本観って彼の本を読んでみるとびっくりだ。遅れている国なので啓蒙すると言う。

  • 00:33  その指摘している事実がいちいち気に障る。彼を讃える人は一度彼の本を読んでみるといい。さて話はもどって、民主主義を世界に普及させるためにアイビーリーグで必死に勉強をしている学生がどれほどいるか知らないが、まあ危害を我々に加えるほど多くはないだろう。ほとんどは自分の立身出世だ。

  • 00:36  フェイスブックの創業者を描いた映画はさもあらん、という感じだ。ではなぜ、教養もあり勇気も寛容もそなえた人物になるのか。(フェイスブックのまわりの連中は寛容はないが、寛容がエリートの最も大切な要素で、これが無いとばれるのが恥じ、とはトム・ウルフ『虚栄のかがり火』で描いて見せているところだ。)

  • 00:38  イギリスもフランスもドイツも教養を教えるのは家庭の仕事だ。アメリカでは大学の仕事になっている。そして点取り虫がいっぱしの人間になる。素晴らしいと思う。では何故日本では多くの点取り虫は点取り虫のままなのか。この状況を批判している人もまあ点取り虫のなれの果てが多い。

  • 00:44  僕自身は慶應なので点取り虫としてのレベルは低いのでこういった発言をするのは気が引けるが、今のテストで良い点を取る教育がどうして悪いのかと思う。いまNUSの工学部の若手の教員を教える仕事をしているが、NUS工学部はランキングで世界10位くらいだ。一学年1200名。

  • 00:45  そこから50名ほど選抜して特別クラスをつくった。それを教える教員にデザイン思考を教えた。学生の作業のメモやスケッチを見たが素晴らしい。頭のいい子は頭が良いのである。これは学力試験(暗記中心)で評価できる。問題はその次だ。

  • 00:47  こんなに頭のいい子を集めておいて、なぜアメリカの様な教育が出来ないのか。日本の高等教育もひどいが、韓国も駄目だ。創造性もオリジナリティもない。台湾もだめだ。自分の力で考えられない。あ、学生の話ではなくて教員の話ね。中国も駄目。シンガポールも教えていて駄目な感じがする。

  • 00:49  これは近代化を宿命とする、つまり追いつけ追いこせの教育システムの副作用かなあと思っていた。そしてインドも駄目だと最近解った。情けないくらい暗記による能力判定から先の展開がない。なにかもっと深いところに原因がありそうだと思い始めている。

  • 00:54  それは植民地官僚育成教育という名の高等教育である。インドもアジアの諸国も近代国家というシステムを運用していくにはある程度の人数の合理的な判断が出来て読み書きが出来る人間が必要である。だがそれ以上は入らない。我々は高等教育とはこの水準までの人材をつくるだけだと思っていないだろうか。

  • 00:55  いや、日本は植民地ではなかったという意見もある。植民地でもないのに植民地方式を喜んで採用して西洋にひれ伏したのが日本だというのが我が師鈴木孝夫の意見だが、それにはある程度の真実があるとしても明治からの日本の態度はそんなに悪くはなかったと思う。

  • 00:57  僕は産経新聞社まわりの日本の教科書を考えるという人たちとは真逆の立場をとっているのだが、戦前の知識人は偉かったと思う。いろいろ考えていた。陸軍や海軍のインチキぶりはたしかにそうだが、でも結構考えていたと思う。

  • 00:58  やはり大きく変わったのが戦後であり、アメリカ軍による日本支配時の教育体制の大変化だと思う。この変化に比べたら日教組の意見などささやかなものだ。この変化によって僕たちは戦前の知的伝統にアクセスできなくなっている。つまり漢字の改革だ。

  • 04:52  すこし間が空いた。漢字の改革である。戦後の漢字改革は焚書坑儒である。他民族を支配するときに文化的伝統を断ち切るのは当然の戦略であり、僕たちは戦前の知的伝統から切り離された。だからといって、戦前に戻るべきだと言っているわけではない。切り離されていると自覚して進むしかない。

  • 04:55  小説家丸谷才一氏も同じことを言っていて、漢文の素養無しに新しい教養をいかに作るかを主張している。IBはブルジョワ家庭のハビタスを教育制度にして提供する試みである。さて、「教養」を大学生のときにたたき込む。ここがアメリカの大学の特徴だと話をした。ではなぜ日本の大学はそうしないのか?

  • 05:04  さらに何故シンガポールは、インドは、中国は、台湾は、韓国はそうしないのだろうか。近代化がこれまでの答えである。追いつくためにというわけだ。だが追いついてしまった。長生きをするようになり、生活を楽しむことが大事だと知った。ところが、近代化といわれていた啓蒙的な知識の体系に答えはない。

  • 05:07  アメリカの一流大学の教養育成は確かにたいしたものだ。だが結局のところ、そこで身に付けた能力で世界を支配している。ルールを自分で決めて、そのルールで戦うことが上手い人間を育成している。それは強いよね。で我々が考えている高等教育はこの水準には届かない。近代化の方程式の先に答えはない。

  • 05:10  近代化の方程式だとおもっていた教育体系の最後の答えがない。これがいまのアジアの大学の焦りだ。それは無いはずだ。そもそも植民地支配の中間層を形成するために押しつけられていた教育体系だからだ。この体系をいきなり否定することは出来ない。近代的なシステムが壊れる。

  • 05:14  エリートは一部の大学でのみ教える。とうぜんエリートではない連中もそこでの教育を求める。なんらかの方法で入学の基準を明示化する。統一テストの点数だ。当然その点数を上げるために競争が激烈になる。そして、アメリカに限ればその競争に勝った人間に「教養」を教えようとする。

  • 05:15  その教養が身につかなければ「寛容」のない下劣な人間とされる。実際多くのこうした名門校卒のエリートが「身も蓋もない高慢ちき」というのは、このレベルの人間と仕事をした人であれば分かっている話だ。かれらは「下劣」な人たち。もちろん「すばらしい」人もいる。そうなるべく教育をしているからね。

  • 05:21  植民地時代は終わっている。にもかかわらず、高等教育の中には「言われたことをやって評価をまつ人材しか作れない」仕組みが残っている。これが僕らを含めて多くのアジアの高等教育の抱える本質的な問題だ。二番煎じと業績主義。どこかでこの連鎖を断ち切らないと先に進むことは出来ない。

  • 05:23  アメリカの社会学者が『ブラックブルジョワジー』という本を出している。ギリシャ語からはじまり西洋音楽を含めヨーロッパの正しいとされる教養を身に付けた黒人のブルジョワジーだ。彼らが黒人の地位向上に役立たないことを批判的に書いている本だが、ブラックブルジョワジーの気持ちは分かる。

  • 05:26  ルールの通りにしっかりと能力を身に付けた。だが結局約束された地位は提供されない。この苛立ちが公民権運動となり、アメリカは変わった。シンガポールではきちんとした教育を英語でおこなうというやり方にあまり抵抗感のない子供はそのまま英語で能力をみにつけてアメリカに行ってしまう。

  • 05:29  日本の文脈で言えば帰国子女状態だ。母語ではないが英語が第1言語になっている。そのあと帰国してくる者も多いだろうが行ったきりの学生も多い。だが、アメリカでのびのびと人生が送れるのか?という疑問がある。要するに、自分が何をやろうとしているのかが彼らには解らない。

  • 05:33  我々は伝統的世界からは切り離され、一方でもはや植民地支配はない。自分たちのことは自分たちで始末を付ければいい。だがその方法が解らない。これが現状である。大英帝国は終わった。でもそれはそんなに昔ではない。アジアにいると大英帝国の時代が終わってから50年もまだ経っていないと実感する。そして今、アメリカの時代が終わろうとしている。

  • 05:37  次はアジアの時代だ。それは解る。でもどうすればいいのか?日本がいま直面している閉塞感はすくなくとも高等教育ではアジア全体が直面している問題と同じだ。自分たちで自分たちが納得いく世界を作りそのなかで争いをすることなく生きていく。こうした世の中を創造することが急務なのだ。

  • 05:39  そうおもって周りを見てみる。すると、ハーバードやケンブリッジをでて「優秀」とされている人が自分からは何もすることが出来ない役立たずだ、と唖然とする。自分がケンブリッジで勉強していたときの屈辱を味あわせたくないと、子供の教育を心がけた。ところがその子供達が役立たずだ。

  • 05:42  あるいは骨のありそうな奴は国をでていく。これがシンガポールの悩みである。インドは自分で考える人間が作れない。インドの外に新しい大学を作ろうとしている。そのくらい創造的な人材が不足しているのだ。近代化教育の悲しさで創造性の「先生」をまたアメリカやヨーロッパに求める。

  • 05:45 しかし、そこに答えはない。自分で作るしかないのだ。いまの世界を動かしているルールで戦うしたたかさも必要だろうし、自分でルールをつくって楽しい世界を生みだし、様々な人を誘うのも手だ。アジアの我々の日常生活はこうした可能性に充ち満ちている。だが、目がここに向かない。

  • 05:49  さて、このくらいにしよう。アジアの高等教育は自分たちの「教養」をつくる時期に来ている。生きのびるための近代化は終わった。平均寿命も衛生状態も食糧事情も乳児死亡率も可処分所得も改善した。読み書き能力も普及した。基本的なところは充実しているのだ。次の一手は我々はどのように生きるかを考えることだ。

  • 05:51  インドネシア、中国、シンガポール、韓国、台湾の若い研究者と勉強していると彼らの人生に対する気持ちは日本の若手の研究者と同じだ。この優秀な若者がのびのびと自分の人生を生きていける環境が必要だし、彼らが世の中に貢献する仕組みも必要だ。

  • 05:53  KMDではチェコやレバノンの学生も教えているが彼らも同じだ。自分で考える。自分で世界を作る。自分の立身出世(そんなものは幻想なのだが)だけを考えてはいけない。友達をつくる、家族を作る、社会を作る。人生を楽しむ至福の時間を持つ。人類がこのような贅沢な目的をもてるのは初めてだ。

  • 05:57  そろそろお終いにしよう。点取り主義受験戦争は終わっているという意見もあった。これは別の問題だ。愚民政策というものがある。支配するにはあまり人民は利口でない方がいいという考え方だ。身体をたっぷりと活用した「詰め込み」教育を受けることは国民の権利だと思う。これはでも別の問題。いつか議論したいが。

  • 05:59  Facebook創業者がどのようなやつか?あったことがないから解らないが状況はトム・ウルフの小説『虚栄のかがり火』に描かれている状態と同じだと思う。「教養」を身に付けていないことがばれる恐怖というかそれとたたかうのが現状なので、「教養ない」と映画では描かれているわけだ。

  • 06:03  僕は教養は大事だと思うが教養主義者ではない。ギリシャ語もラテン語も漢文も出来ない。だがそうした「教養」がなくてもストリートの生活から教養を構築することが出来る。情報社会とはそいういうことだ。ピッツバーグに生まれた大学ドロップアウトのケネス・バークは若い頃の僕のヒーローだ。

  • 06:05  知識はストリートに、つまりは公共図書館に、(いまではインターネットに)ある。それをどのように身に付けるかの身体性が教養につながる。だが同じことを大学で行った方が友達もいるし無駄がない。ハイカルチャーだけではなくてローカルチャーというかポップな世界にも教養のネタは溢れている。

  • 06:10  じっくり自分の周りをみわたして教養を身につけたときに、決して世界のトップには立てない立身出世主義の道具とおもわれていた能力が生きてくる。それは数学だったり英語だったり物理だったり経済学だったりする。まず必要なことは自分で莫大な知識をかきわけて教養を身体的に身につけること。

  • 06:12  ここがポイントである。本来ブルジョワ階級の再生産につかわれていたIBがグローバルな視点から見た次世代のエリートを作る教育システムとして注目されている。この方法は英語がメインなのが欠点だが、これを日本語で行ってもよい。文部科学省も検討を始めているはずだ。

  • 06:14  下からのこうした試みに加えて、大学や大学院では「植民地官僚」根性をすてて自分で考えて自分で始末をする人生を目指す。これにつきるね。イギリスの大学制度は変わり始めた。アメリカはまだ先かな。日本も変わっていきたいものである。アジアの連中と一緒にね。(完)
補遺:
IBに関する貴重な情報を教えていただいたので、ここに載せておきます。SteFoyLesLyonFrさんはイギリスの状況を的確にTweetsしており、僕は愛読しています。この問題に興味のある方はフォローしてみて下さい。

SteFoyLesLyonFr @NaohitoOkude 驚異的な IBの成果をあげているイギリスのこの学校 http://tinyurl.com/6d4ww8l に注目しています。最近校長の話を直接聞く機会がありました。 ...


補遺2


11:08  RT @kentarohmizuno: ハーバード大学などへの留学が激減していることが問題視されている。留学しても国内就職へのメリットがないこと、若者の内向き思考などが原因とされているが、もっと底流にアメリカによる洗脳からの脱却があると思う。アメリカと少し距離を取りたい気 ... 


ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のblogからの紹介。下記URL


http://mariyoshihara.blogspot.com/2011/02/blog-post_26.html


そのとおりなんだよね。

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