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2010年12月10日金曜日

Mike Kuniavskyの哲学

  • Thu, Dec 09
  • 08:04  Mike Kuniavskyの哲学:Adaptive PathThingMを創業し、Observing the User ExperienceSmart Thingsを著したMike Kuniavskyのインタビューを紹介したい。http://bit.ly/gRmuPq
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  • 08:10  彼の創業した二つの会社と出版した二冊の本は、ユーザーを徹底的に観察して使って意味があり直ぐ使えるプロダクトやサービスを素早く作り上げるというエンジニアリングとデザインが融合した非常に斬新なアプローチの成果である。デザイン思考というとユーザーの観察だけに留まるが、彼は実際に作る。
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  • 08:11  それも量産プロトタイプのレベルまで作ってしまう。3年ほどまえにAdapteive Pathの存在を知り、また彼らの積極的な出版活動にびっくりした。つまり秘法を公開してしまうのだ。そしてその秘法をつかって実際にものをつくるためにThingMというハードウェアのメーカーを作る。
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  • 08:13  今回のインタビューでは彼が何故このような活動を行ってきたかについて2つの方向から答えている。非常に面白い。一つは個人的な経験だという。彼の父親はフォードでエンジニアをしていた。排ガス規制のあと車は機械工学にくわえて制御のために電子工学を導入する必要があった。
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  • 08:20  彼の父親はこの分野で仕事をしており、それを見て少年時代を過ごしたという。1980年代の初頭、内燃機関の制御にデジタル技術を使うことは非常に難しかった。それを見ながら、人間とデジタル技術の関係はなにかと考えた。父を助けたいという気持ちもあったが自分の好奇心も強かった。
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  • 08:26  高校の時にこのテーマで研究論文を書いて、学部の研究も同じで、結局人生の課題になったという。あと個人的には12歳からインターネットに繋がっていたと言うことも大きいという。80年代前半の話だ。もう一つの方向、それが哲学である。
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  • 08:31  ここで言う哲学とは、人間にとって「使いやすい」技術とは何かの問題にどう答えるかである。「使いやすい」と感じているのはユーザーが「適切な(appropriate) 場所でそれを使っているからである。人間が幸せに充実した日々を送ることが出来るように技術を「創造的に」使う。
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  • 08:32  そのためには今ある技術が日常生活において適切な場所になるような場所を作る。そのためには人々が何かをしようとしたときに技術が介入する方法を適切にする必要がある。つまり技術が使いやすいとはやるべき問題に対して技術が適切であるということなのだ。
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  • 08:35  「適切 appropriateness 」は専門用語である。我々の日常生活は簡単で単純に見えて実際は非常に複雑な活動をしている。だが我々は不断はそれを意識していない。何かがおこるとその複雑さに唖然とする。スタンフォード大学のウィノグラードが現象学的設計論として注目したのはここだ。
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  • 08:46  その複雑さをハイデガーの解釈学的現象学を活用して記述分析の方法を提唱したのがPaul Dourishだ。人間は環境に深く依存して生きているがそのことを知らない。その状態をappropriatenessという。これがあるのでユーザーインタビューをしても分からない。
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  • 08:47  ユーザーを観察しなくてはならない。外から見ると非合理で無駄なことをしているように見えてもユーザーの日常世界においてはそれはappropriateなのだ。ところでこの言葉の訳は妥当という言葉もある。僕は適切なといっている。さて問題は次である。
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  • 08:50  たとえば在宅医療を観察していると無駄も多く、その負荷が従事者を苦しめている。だが業務改善を拒む。頑張っている人ほどデジタル機器をつかって仕事を楽にしてより質の高いサービスを導入することを拒否する。それはこの大変な状況を切り抜けるために自分なりに適切な環境を作り上げているからだ。
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  • 08:52  したがって、在宅医療を支援する機器をデザインしようとすると、利用者が適切だと感じるようにしなくてはならない。その適切さはまえの状況において利用者が活動していた適切な場所と同じでなくてもよい。だが適切でなくてはならない。そのように技術を活用するにはどうすればいいのか。
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  • 08:55  では、適切でないとは何を基準に沿う判断するのか?多くのソフトウェア工学やHCIの領域では人間の生理学的な特性などに注目して「使いやすさ usability」を指標としてきた。だが問題はそれほど単純ではない。技術をつかう人の文化に深く依存するからだ。デザイナーが必要とされる。
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  • 08:59  固有のコンテキストにおいて、固有のユーザーが、固有の技術を使う。ある人にとって適切でもほかの人にとってはそうでないかもしれない。また時代ということもある。Tablet PCがその例だ。20年以上市場に投入されたが顧客は振り向かなかった。ところが突然 iPadが受け入れられた。
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  • 09:03  顧客が納得する使い方を見つけるまで技術は普及しない。技術革命の次には社会革命がいるのだ。もちろんこれは歴史を振り返って成功した理由を探しているわけだし、他にもあると思うが20年以上相手にされなかった技術が突然成功するのだ、とKuniavskyは述べる。
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  • 09:14  カフェにWiFiがあっていつでもコンピューティングできるというのが今の状態だが、ネットワークにつながないというトレンドもあるという。これはSmart Thingsの最終章で述べたことだが、これも技術と人間の適切な関係をデザインする問題と関係する。
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  • 09:14  ネットワークにつながっていることで作業や思考が中断される。数十年前はアメリカの会社では仕事中にお酒を飲んでいた。いまでは信じれないことだ。インターネットを使わないという選択は可能性としてある。そう考えて、無線がはいってこない壁をつけたカフェ Faradays. を作った。
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  • 09:22  プロダクトが適切な場所を見つけるには、それが使われる適切な場所を探して、道具としてそれをつかえるようにデザインすると言うことですか、とインタビューアーは聞く。いやそれが難しいんだとKuniavskyは答える。
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  • 09:23  ウィノグラードはコンピュータソフトウェアは人間が意識しないで使える「道具」になるべきだと現象学を引用しながら主張した。デカルト的枠組みで人間の知能を創造しようとしていた当時のコンピュータ技術者への強烈なメッセージだった。
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  • 09:25  その影響下で多くのソフトウェアは適切な場所をえて道具になるようにデザインされた。いま普通に使われているGUIなどはこの哲学のおかげである。だが、ユビキタスコンピューティングが登場したときに、現象学の原則を貫くことが難しくなった。
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  • 09:26  比喩としての日常生活ではなくて、本当の日常生活の中にデジタル技術の適切な場所を探す。鍵は身体性にあるとDourishが主張してもう10年立つ。彼自身もなかなかユビキタスコンピューティングを前提としたプロダクトをデザインできていない。
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  • 09:38  人々の日常生活に注目して技術の適切な場所を見つける。答えはない。作ってはユーザーに使ってもらい、また作る。作るとは観察したデータに対して解釈をすることだ。正しい答えがあるわけではなく何度も作っては試す。
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  • 09:39  日常生活における問題点をみつけて、それを解決するためのテクノロジーをみつけ、適切な場所をデザインすることもあれば、逆に使いたい技術があってそれが日常生活のどこに適切な場所があるのかを検討することもある。何度も繰り返す。これが大切なのだ。
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  • 09:39  ちょっとKuniavskyの言葉を直接引用しよう。「技術から初めて、この技術が解決できる問題は何かを考える。それからその問題を検討してこの問題を技術を使わないで解決できる方法はないかを考える。そして、次に、そうだ別の技術を介入させて問題を解くことが出来る、と思いつく。」
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  • 09:39  この作業を繰り返して、ようやく人々に買ってもらえるプロダクトやサービスができて、売り上げも立つ。このように課題が山積みのプロセスを経て、うまくいけば、ビジネスモデルがあり、人々の問題も解決するプロダクトにたどり着く。 これが僕や僕の会社がクライアントと行っている作業である。
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  • 09:50  このプロセスはユビキタスコンピューティング技術とミッキーマウスの魔法の箒の問題を比べてみるとよく分かる。デズニーのファンタジアに登場してミッキーマウスが手こずる箒は扱いにくくて暴れまくる。このようなプロダクトではないものを作るにはどうすればいいのだろうか。
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  • 09:50  その技術が具体的にどうなっているのかを知らないにもかかわらず、人々が自明のようにその技術を使う。その鍵は、直面している問題を解決するときにその技術が本当に必要なのかどうかにある。技術をつかって日常世界に介入するとかならず思っても見なかったようなことが起こる。
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  • 09:53  ミッキーは箒をばらばらにしたらさらに多くの箒が出来てしまうと気がつかなかったのである。 箒の操作マニュアルなんて当然読んでいない。だいたいマニュアルなんてついてこないのだから。ミッキーが技術を理解していないというのは不当だ。我々は大体技術をすべて理解しているわけではない。
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  • 09:55  特に技術の社会的なインパクトは全く理解していない。技術には言い面と悪い面がありそれをバランスするだけだ。デザイナーはこれを出来るだけ理解して、技術の良い面をだし、悪い面を隠す工夫をするべきである。
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  • 09:58  だが、どうなるかはやってみなくては分からない。顧客を何度も観察して何度もスケッチやプロトタイプを作り直し、それを人々がどのように使うかを詳細に観察する。その方法は沢山ある。どれが正しいというわけではない。いくつも試みて試すしかない。
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  • 10:03  ミッキーの魔法の箒の問題にもどると、技術に完璧なことをやってもらいたいという文化的な期待があり、 技術をデザインツールとしてつかうとそれが可能だとするのがマジックなのだ。だが観察をして反復をしてデザインする方法はこのようなやり方ではない。
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  • 10:03  作るべきモノは人々にこうしろと命令するものではない。我々はユーザーに魔法をかなえて上げると言っているわけではない。実際に機能している技術についてだってほんの少しのことしか知らない。普通の人はどうして車が走っているのだといわれても知らない。
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  • 10:20  150年前の風車の技術はそれを見れば分かるものだった。だがいまでは技術がどのような原理からなっているのかを知ることは非常に難しい。さらに、産業革命による大量生産によって、the read-only cultureつまり、手にしているプロダクトやサービスを利用することしかできない。
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  • 10:21  次の世界がどうなっていくのかを確証を持って言うことは出来ないが、 Larry Lessigがいうところの creative commons and copyrights の問題を考えることが大切な気がしている。
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  • 10:21  Kuniavskyはこの考えをプロダクトやサービスに拡張している。我々は実は与えられたものを利用するだけではなくて 自分で創り出す能力を持っているのだ。ものを創る道具も、作り方の設計図を流通させるネットワークもある。コストもかからない。必要なモノだけ作ることが出来る。
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  • 10:21  どこの工場で作ったか分からないものを使うよりは自分でつくったものを使う。おもちゃとか遊びではなくて日常世界でやくにたつものを作っていく。生活に必要なものを自分たちに相応しいように生活している場所で作っていく。結局コストも安くなる。
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  • 10:25  以上がThingMを作った理由だ。デザインは従来の工業デザインの枠を越えて様々な活動を含んでいく。それは現在登場している技術をよく吟味する(critical) 作業でもあり、これ自体が技術創造といってよい。
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  • 10:36  デザインを一連の創造的な活動が構造化されたものと考える時に来ている。技術を創造しながら創造的な活動を行っているのだ。以上Kuniavsky のインタビューをパラフレイズをしたが、非常に勇気がわく。ユーザーを観察してプロトタイプを何度も作り、顧客もビジネスをする側も満足する。
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  • 10:36  その基本に日常生活の適切な場所の発見と技術が日常生活に介入する適切な場所のデザインがある。現象学的なデザインの実践が二冊の本と二つの会社に体現されている。すばらしいね。ユビキタスコンピューティングにおけるインタラクションデザインのありかたを明確に示している。(この稿 完)
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